『Tracking SDG7: 2025年報告書』で検証 普遍的アクセス×脱炭素×日本の援助・投資の最適解

著者情報

国際航業株式会社カーボンニュートラル推進部デジタルエネルギーG

樋口 悟(著者情報はこちら

国際航業 カーボンニュートラル推進部デジタルエネルギーG。環境省、トヨタ自働車、東京ガス、パナソニック、オムロン、シャープ、伊藤忠商事、東急不動産、ソフトバンク、村田製作所など大手企業や全国中小工務店、販売施工店など国内700社以上・シェアNo.1のエネルギー診断B2B SaaS・APIサービス「エネがえる」(太陽光・蓄電池・オール電化・EV・V2Hの経済効果シミュレータ)のBizDev管掌。再エネ設備導入効果シミュレーション及び再エネ関連事業の事業戦略・マーケティング・セールス・生成AIに関するエキスパート。AI蓄電池充放電最適制御システムなどデジタル×エネルギー領域の事業開発が主要領域。東京都(日経新聞社)の太陽光普及関連イベント登壇などセミナー・イベント登壇も多数。太陽光・蓄電池・EV/V2H経済効果シミュレーションのエキスパート。Xアカウント:@satoruhiguchi。お仕事・新規事業・提携・取材・登壇のご相談はお気軽に(070-3669-8761 / satoru_higuchi@kk-grp.jp)

むずかしいエネルギー診断をカンタンにエネがえる
むずかしいエネルギー診断をカンタンにエネがえる

目次

『Tracking SDG7: 2025年報告書』で検証 普遍的アクセス×脱炭素×日本の援助・投資の最適解

序章:二つの至上命題と岐路に立つ日本の役割

世界は今、人類史的とも言える二つの巨大な課題に同時に直面している。一つは、経済成長と人間の尊厳の基盤である近代的エネルギーを、未だその恩恵を受けられずにいる何億もの人々に届けるという「普遍的アクセス」の達成。もう一つは、気候変動という生存に関わる脅威に対処するため、経済社会の根幹であるエネルギーシステムを化石燃料から脱却させるという「脱炭素化」の断行である。

この二つの至上命題は、時として相反するベクトルを持ち、特に開発途上国においては深刻なジレンマを生み出している

この喫緊の課題に対し、最新の羅針盤となるのが、国連の持続可能な開発目標7(SDG7)の進捗を追う年次報告書、Tracking SDG7: The Energy Progress Report 2025である 1国際再生可能エネルギー機関(IRENA)が主導し、国際エネルギー機関(IEA)、世界銀行などが共同で作成したこの報告書が示す現実は、極めて厳しい電力へのアクセス向上は停滞し、クリーンな調理に至っては人口増に追いつかず、再生可能エネルギーの普及も目標達成には程遠い

報告書は、我々が目標達成の軌道から外れていることを明確に警告している 1

この危機的な状況において、世界有数の経済大国・技術大国である日本は、その役割が厳しく問われる戦略的な岐路に立たされている。日本の国際協力・投資は、この巨大なジレンマを解決する強力な触媒となりうるポテンシャルを持つ一方で、その実態は深刻な自己矛盾を抱えている。

一方では、政府開発援助(ODA)や国際協力銀行(JBIC)のグリーンファイナンス、そして民間企業が再生可能エネルギーの最先端技術を世界に展開し、開発途上国の持続可能な発展を後押ししている。しかしその裏で、日本は世界最大級の公的化石燃料ファイナンス国として、特に液化天然ガス(LNG)への巨額の投融資を続け、パートナー国の化石燃料への長期的な依存、すなわち「ロックイン」を助長しているという、もう一つの顔を持つ

これは、解決策と問題点の双方に資金を供給する、戦略的な統合性を欠いた危険な二元論的アプローチと言わざるを得ない。

本稿は、『Tracking SDG7: 2025年報告書』が示すグローバルなエネルギー・デフィシットの現状分析から始め、開発途上国が直面する「開発と脱炭素のジレンマ」の構造を解き明かす。その上で、日本の国際エネルギー戦略が内包するこの「二つの顔」を、具体的な事例とデータに基づき徹底的に検証する。

最終的な目的は、この自己矛盾を乗り越え、日本の公的金融と民間セクターの強みを最大限に活かし、普遍的アクセスと脱炭素という二大命題を同時に達成するための首尾一貫した「最適解」を提示することにある。今こそ、日本の国際貢献のあり方を根本から問い直し、真にインパクトのある戦略を構築すべき時である。

第1章:グローバル・エネルギー・デフィシット:2025年SDG7報告書が示す厳然たる現実

『Tracking SDG7: 2025年報告書』は、単なる進捗確認の文書ではない。それは、国際社会が2030年の目標達成という約束を果たせずにいる現状に対し、鳴り響く警鐘である。報告書が示すデータは、進捗の遅さだけでなく、一部指標における停滞、さらには後退という憂慮すべき事態を浮き彫りにしている。

特に最も脆弱な国々でその傾向は顕著であり、エネルギー格差はインフラの不足に留まらず、それを解決するために不可欠な国際金融フローの不足という、より根深い問題に起因している。この章では、SDG7の各ターゲットにおける危機の深刻度を定量的に分析し、求められる対応の規模感を明らかにする。

電力アクセス:停滞する「ラストマイル」の電化

2023年のデータによれば、世界の電力アクセス率は約92%に達した 1。この数字だけを見れば、目標達成は目前にあるかのように思える。しかし、その裏では依然として6億6,600万人が電力のない生活を余儀なくされており、その大半がサブサハラ・アフリカに集中している 1。さらに深刻なのは、近年の進捗の鈍化である。新型コロナウイルス感染症のパンデミックや地政学的紛争の影響を受け、2022年には世界の未電化人口が過去10年で初めて増加に転じるという事態に陥った 2。このままでは、2030年時点でも6億6,000万人が未電化状態に取り残されると予測されており、目標達成は絶望的だ 2

この状況は、「ラストマイル」問題が物理的な障壁から、経済的・金融的な障壁へと移行したことを示唆している。未電化地域の多くは、人口密度が低く、所得水準も低い農村部や遠隔地である 3。こうした地域に従来の centralised な大規模送電網を延伸することは、経済的に採算が合わない。一方で、解決策となりうる分散型電源への投資を呼び込むための金融メカニズムが決定的に不足している。後述するように、開発途上国向けのクリーンエネルギーファイナンスは伸び悩み、歴史的なピークを下回っている 1。つまり、技術的な解決策は存在するにもかかわらず、それを社会実装するためのビジネスモデルと、初期投資のリスクを低減させるための金融支援が追いついていないのである。ラストマイル問題の本質は、市場と金融の失敗にある

クリーンな調理:見過ごされた開発の危機

SDG7のターゲットの中で最も進捗が遅れているのが、クリーンな調理へのアクセスである。2023年時点で、依然として21億人もの人々が、薪や木炭、家畜の糞といった固形燃料や灯油など、健康的・環境的に有害な調理方法に依存している 1。アクセス率は緩やかに向上しているものの、人口増加のペースに完全に追い抜かれており、絶対数はほとんど改善していない 1

この問題の停滞は、単なるエネルギー統計上の課題ではない。それは、静かに進行する開発における巨大な災害である。世界保健機関(WHO)が指摘するように、汚染された室内空気は肺炎や心疾患、がんなどの原因となり、毎年数百万人の早期死亡を引き起こしている燃料収集の労働は主に女性や子供が担っており、彼女たちの教育や経済活動への参加の機会を奪うだけでなく、身の安全を危険に晒すことにも繋がる。これは、健康(SDG3)、ジェンダー平等(SDG5)、持続可能な都市(SDG11)など、他の多くのSDGsの達成を直接的に阻害する要因となっている。国際的な金融フローにおいて、この分野が依然として低い優先順位に置かれていることは、開発政策における深刻な戦略的誤算であり、人々の命と生活に直結するこの危機への関心を早急に高める必要がある。

再生可能エネルギーとエネルギー効率:システム転換の遅れ

再生可能エネルギーの導入は、近年目覚ましい成長を遂げている。2023年には、世界の一人当たり再生可能エネルギー設備容量が過去最高の478ワットに達した 1。しかし、この数字はエネルギーシステム全体の変革という観点から見ると、楽観を許さない。世界の最終エネルギー総消費(TFEC)に占める再生可能エネルギーの割合は、2022年時点でわずか17.9%に留まっている 1

このギャップは、エネルギーシステムの変革が、単に発電設備を増やすだけでは達成できないという事実を物語っている。電力部門では再生可能エネルギーの割合が30%に達している一方で、熱利用や運輸部門での進捗は著しく遅れている 2。これらの部門は、電化が困難であったり、既存のインフラやサプライチェーンへの依存度が高かったりするため、変革にはより強力な政策と投資が必要となる。同様に、世界のエネルギー強度(GDPあたりのエネルギー消費量)の改善ペースも緩やかであり、省エネルギーの進展がエネルギー需要の増加を相殺するには至っていない 1。これは、再生可能エネルギーという「供給サイド」の対策と、省エネルギーという「需要サイド」の対策が両輪となって初めて、真の脱炭素化が可能になることを示している

国際金融フロー:約束と現実の乖離

これらの課題を解決するための鍵となるのが、資金である。しかし、ここでも現実は厳しい。『Tracking SDG7』報告書によれば、開発途上国におけるクリーンエネルギー支援のための国際公的金融フローは、2023年に216億ドルに達した 1。これは3年連続の増加ではあるが、依然として2016年のピークである284億ドルを下回っている 1

この金額は、必要とされる投資額に比べてあまりにも小さい。世界銀行は、開発途上国における発電部門への年間投資額だけでも、現在の2,800億ドルから2035年までに6,300億ドルへと倍増以上にする必要があると試算している 3。UNDP(国連開発計画)は、開発途上国におけるエネルギートランジション全体の投資ギャップを年間2.2兆ドルと指摘している 4。現在の国際金融フローは、この巨大な資金需要のほんの一部を賄っているに過ぎず、SDG7達成への道のりが如何に資金不足に喘いでいるかを如実に示している。


表1:世界のSDG7進捗状況スナップショット(2025年報告書に基づく)

指標 2015年基準値 2023年現状 2030年目標 進捗ギャップと分析
電力未アクセス人口 12億人 6億6,600万人 0人

進捗は鈍化。2030年にも6億6,000万人が未アクセスと予測 1

クリーンな調理への未アクセス人口 30億人 21億人 0人

停滞。人口増が進捗を上回り、絶対数が減少しない危機的状況 1

再生可能エネルギー比率 (TFEC) 約16.7% 17.9% (2022年) 大幅な増加

成長は緩慢。特に熱・運輸分野での導入が課題 1

国際金融フロー (クリーンエネルギー) 186億ドル 216億ドル 大幅な増加

2016年のピークを下回る。IEA/世界銀行が示す必要額には遠く及ばない 1


第2章:開発と脱炭素のジレンマ:途上国が直面する構造的課題

開発途上国にとって、エネルギートランジションは先進国のように既存のシステムを置き換える単純なプロセスではない。それは、経済成長の原動力となるエネルギーを手頃な価格(Affordability)で、産業化を支える信頼性(Reliability)を確保しつつ、地球環境に配慮した持続可能性(Sustainability)を追求するという、複雑な三つの課題(トリレンマ)を同時に解決する試みである。この挑戦は、構造的な資本不足、高いと認識される投資リスク、そして公的支出の足枷となる深刻な債務問題によって、さらに困難なものとなっている。日本を含む先進国が提示すべき「最適解」は、特定の技術を推奨するだけでなく、これらの根源的な金融・構造的障壁を打破するものでなければならない。

爆発的に増大するエネルギー需要と供給の信頼性

開発途上国、特にアジアの新興国は、世界経済の成長エンジンであり、それに伴いエネルギー需要も爆発的に増加している。IEAの予測によれば、アジアは2025年までに世界の電力消費の半分を占めるようになり、今後3年間の電力需要増の70%以上が中国、東南アジア、インドからもたらされる 5。世界銀行も、新興国の電力需要が2035年までに世界の3分の2近くを占めると予測している 3。この巨大な需要を満たすことは、貧困削減、産業振興、生活水準の向上に不可欠であり、最優先課題である。

しかし、太陽光や風力といった変動性の再生可能エネルギーは、単独ではこの需要、特に産業活動に必要な安定的で信頼性の高い電力を供給することが難しい。そのため、これらの電源を大規模に導入するには、送配電網の増強、蓄電池などのエネルギー貯蔵システム、そして系統全体の安定性を管理する高度な技術への巨額な投資が不可欠となる。信頼性の担保は、単なる技術的な課題ではなく、莫大なコストを伴う経済的な課題なのである。

投資を阻む金融障壁と債務の罠

最大の問題は、この巨大な需要を満たすための資金が圧倒的に不足していることだ。世界銀行によると、開発途上国は、投資家が先進国の低リスク案件を好むため、世界の電力投資のわずか5分の1しか惹きつけられていない 3。この背景には、政治的不安定性、未整備な法制度、為替変動リスクなど、高いと認識されるカントリーリスクが存在する。

さらに、多くの開発途上国政府は、自ら大規模なインフラ投資を行ったり、民間投資のリスクを軽減したりする財政的余力を持たない。UNDPが警鐘を鳴らすように、低所得国の50%以上が、すでに債務危機に陥っているか、そのリスクが高い状態にある 6債務の利払いが増大し、教育や保健といった基本的な公共サービスへの支出さえ圧迫している中で、エネルギーインフラへの大規模な公的投資は非現実的である 7。この「債務の罠」は、エネルギートランジションを進める上で最も深刻な足枷の一つとなっている。

この状況は、エネルギー転換が新たな「開発格差」を生み出す危険性をはらんでいる。先進国が巨額の公的資金や補助金を投じて自国のグリーン化を加速させる一方で 8、債務と高金利に苦しむ開発途上国はそのペースについていけない。結果として、安価で信頼性の高いエネルギーを求めるあまり、より排出量の多い化石燃料への依存を続けざるを得なくなるか、あるいはエネルギー不足による経済成長の鈍化を受け入れるかの苦しい選択を迫られる。これは気候変動対策の失敗に繋がるだけでなく、「グリーンの豊かな国」と「炭素にロックインされた貧しい国」という新たな南北問題を生み出し、世界の分断を深刻化させる可能性がある。

求められる革新的な金融ソリューション

この構造的な課題を克服するためには、従来のODAのような公的資金の直接供与だけでは不十分である。UNDPや世界銀行は、限られた公的資金を「触媒」として活用し、何倍もの民間資金を動員するための革新的なアプローチの必要性を強調している 4

  • ブレンデッド・ファイナンス(Blended Finance):公的資金と民間資金を組み合わせ、公的資金がリスクの高い部分(First Loss)を引き受けることで、民間投資家が参入しやすい環境を作る 6

  • グリーンボンド(Green Bonds):環境プロジェクトに特化した債券を発行し、世界の広範な資本市場から資金を調達する 6

  • 債務スワップ(Debt-for-Energy Swaps):債務国が抱える債務の一部を免除する代わりに、その返済予定だった資金を国内の再生可能エネルギープロジェクトに投資させる。これにより、債務負担を軽減しつつ、グリーン投資を促進する 6

  • 公的デリスキング(Public De-risking):政府や国際機関が融資保証や保険を提供することで、民間投資家が直面するリスクを低減し、資金調達コストを引き下げる。これにより、プロジェクトの採算性を向上させる 4

見過ごされがちなボトルネック:電力系統インフラ

エネルギートランジションの議論は、しばしば太陽光パネルや風力タービンといった「発電」設備に集中しがちである。しかし、それらが生み出す電力を需要家に届け、システム全体の安定性を保つ「送配電網」こそが、しばしば見過ごされる最大のボトルネックである。世界銀行は、2050年までに開発途上国で7,300万キロメートル以上の送電線の新設・更新が必要になると試算している。これは過去100年間に世界全体で建設された量を超える規模である 3

国際協力機構(JICA)も、開発途上国における最大の課題の一つとして、送配電ネットワークの脆弱性を挙げ、その強化を支援の柱に据えている 9。発電所だけを建設しても、送電網が脆弱であれば、送電ロスが多発したり、再生可能エネルギーの出力変動に耐えられず大規模な停電を引き起こしたりする。結果として、せっかく導入した再生可能エネルギーの出力を抑制せざるを得なくなり、投資そのものが無駄になりかねない。したがって、発電、送配電、蓄電、そして系統管理といったシステム全体を統合的に捉え、バランスの取れた投資を行うことが、持続可能なエネルギーシステムの構築に不可欠なのである。この foundational なインフラへの投資を無視した「最適解」は、砂上の楼閣に過ぎない。

第3章:日本の二つの顔:グリーン成長と化石燃料ロックインの推進役

日本の国際エネルギー戦略は、一見すると矛盾に満ちている。一方では、公的機関と民間企業が一体となり、ケニアの地熱開発からアフリカの未電化地域を照らすミニグリッドまで、高度なクリーンエネルギーソリューションを展開する「グリーン・トランジションの先駆者」としての顔を持つ。しかし、もう一方では、国際的な公約に反して世界最大級の化石燃料、特にLNGへの公的資金供給を続け、パートナー国を数十年にわたる炭素依存に縛り付ける「化石燃料ロックインの推進役」という、全く異なる顔を併せ持つ。この二つの顔を客観的に分析することなくして、日本の進むべき真の「最適解」を描き出すことはできない。

3.1 グリーン・トランジションの先駆者

日本の強みは、単なる資金供与に留まらず、政策立案から技術開発、人材育成、事業運営までを包括的に支援できる点にある。

JICAの基盤構築支援(System Architectとして)

JICAの支援は、エネルギートランジションの「ソフトウェア」、すなわち制度や人づくりに重点を置いている。例えば、インドネシア、ミャンマー、バングラデシュなどで、国のエネルギー政策の根幹となるマスタープランの策定を支援し、持続可能なエネルギーシステムへの移行に向けた長期的な道筋を描いている 10。また、前章で指摘したボトルネックである送配電ネットワークの強化や、電力事業体の運営能力・財務改善といった、民間投資を呼び込むための前提条件となる領域に深く関与している 9。

特に戦略的に重要なのが、天候に左右されず安定的に発電できる「ベースロード再生可能エネルギー」への支援である。ケニアやインドネシアにおける地熱発電開発への長年の協力は、脱炭素と電力の安定供給という二つの目標を同時に達成する日本の貢献の象徴と言える 13。これは、個別のプロジェクト支援を超え、国のエネルギーシステム全体の変革を支えるアプローチである。

JBICのグリーンファイナンス

JBICは、地球環境保全業務(GREEN)を通じて、開発途上国の再生可能エネルギープロジェクトに大規模な資金を供給している。インドでの大規模太陽光発電事業や、ベトナム、トルコ、ブラジルなどでの再生可能エネルギー事業に対し、現地の開発金融機関を経由した融資(ツーステップローン)や直接融資を実施しており、日本の資金が世界のグリーン化を後押ししている 17。

民間セクターの卓越した実行力

日本の民間企業は、世界市場でクリーンエネルギー事業を展開するトッププレイヤーである。

  • 総合商社:豊富な資金力と事業開発ノウハウを活かし、巨大プロジェクトを主導している。三菱商事、丸紅、住友商事などは、洋上風力発電が国家戦略として推進される欧州で、発電事業から海底送電線事業に至るまで、バリューチェーン全体に深く関与している 18。さらに、住友商事がケニアで出資するミニグリッド事業は、太陽光と蓄電池を組み合わせ、未電化地域に電力を届ける革新的なビジネスモデルであり、「ラストマイル」問題に対する具体的な解決策を提示している 19

  • 電力会社:国内で培った高い技術力と運営ノウハウを海外で展開している。関西電力の海外事業ポートフォリオは、近年、欧米を中心に洋上・陸上風力発電への投資を急速に拡大しており、明確なグリーンシフトを示している 21。また、東京ガスも米国で大規模太陽光発電事業に参画するなど、伝統的なエネルギー企業もまた、新たな潮流に適応し始めている 22

3.2 化石燃料ファイナンスの世界的リーダー

しかし、これらの輝かしい実績の影で、日本は全く逆の方向性を持つ政策を強力に推進している。国際環境NGO「Oil Change International(OCI)」「Friends of the Earth Japan」などが公表した複数の報告書は、その憂慮すべき実態を明らかにしている。

矛盾の規模

データは雄弁である。2020年から2022年の平均で、日本は年間69億ドルの公的資金を海外の化石燃料プロジェクトに投じており、これは世界第2位の規模である 23。より長期の2013年から2023年にかけての石油・ガス関連への公的支援総額は、実に930億ドルに上るとの分析もある 25。この金額は、同期間のクリーンエネルギー向け支援の4倍に達しており、日本の公的金融が依然として化石燃料に大きく偏重していることを示している 25。

主導する公的機関

この化石燃料ファイナンスを主導しているのが、JBIC日本貿易保険(NEXI)である。JBICは、日本の公的化石燃料ファイナンス全体の55%を占める最大の資金供給者であり、米国、オーストラリア、モザンビークなど世界各地の巨大LNGプロジェクトに巨額の融資を行っている 25。NEXIは、これらのプロジェクトに貿易保険を付保することで、民間銀行が融資を行うためのリスクを肩代わりし、プロジェクトを成立させる上で決定的な役割を果たしている 26。JICAでさえ、アンモニア混焼のような化石燃料の延命に繋がる技術の導入を支援するケースがあり、政府一体で化石燃料を推進する構造が見て取れる 28。

意図された国家戦略

この資金供給は、過去の政策の惰性ではない。それは、日本政府が掲げる「アジア・ゼロエミッション共同体(AZEC)」構想に代表される、明確な国家戦略に基づいている 23。この構想は、アジア各国の多様な実情を踏まえ、再生可能エネルギーだけでなく、LNGや、石炭火力にアンモニアを混ぜて燃やす「アンモニア混焼」、CO2を回収・貯留する「CCS」といった技術を「現実的なエネルギートランジション」の選択肢として積極的に推進するものである 30。この戦略の背景には、日本の高い技術力を活かしたインフラ輸出を促進するとともに、日本が世界有数の輸入国であるLNGのサプライチェーンと市場における影響力を維持したいという経済的な動機が存在する 26。

国際公約との乖離

この政策は、日本が参加した2022年のG7サミットでの合意、すなわち「非効率な化石燃料補助金を2025年までに段階的に廃止し、対策の講じられていない化石燃料への新規の直接的な国際公的支援を2022年末までに終了させる」という国際公約と明確に矛盾する。報告によれば、日本はこの公約後も化石燃料への支援を継続しており、2023年には支援額が前年より増加したとさえ指摘されている 25。


表2:日本の二元論的な国際公的エネルギーファイナンス(年間平均、2020-2024年推定)

機関名 クリーンエネルギーファイナンス(年間平均、億ドル) 化石燃料ファイナンス(年間平均、億ドル) 比率(化石燃料:クリーン) 主な支援対象セクター・プロジェクト
JBIC (GREEN報告書に基づく推定) 約50~60億ドル(OCIデータ) 不明

クリーン: 太陽光(インド)、風力(ベトナム)等。化石燃料: LNG輸出入基地(米国、豪州、モザンビーク、アジア)、ガス火力発電所 17

NEXI (推定困難) 約10~20億ドル(OCIデータ) 不明

化石燃料: JBICが支援するLNG・ガスプロジェクトに不可欠な保険・保証を提供 26

JICA (プロジェクト報告書に基づく推定) (化石燃料技術の推進に関与) N/A

クリーン: 地熱(ケニア)、送配電網近代化、マスタープラン策定。化石燃料関連: アンモニア混焼、「クリーンコール」技術の調査・推進 9

合計 約20~30億ドル 約70~90億ドル 約3:1~4:1 システム全体の不均衡が顕著

この二元論的なアプローチは、単に二つの独立した戦略が並行して走っているわけではない。両者は互いに深く干渉し、日本の国際貢献の効果を著しく損なっている。例えば、JICAがある国で再生可能エネルギーを中心とした持続可能なエネルギーマスタープランの策定を支援している裏で 11、JBICが同国に巨大なLNG輸入基地の建設を融資する 26 という事態は、受け入れ国に混乱した政策シグナルを送り、長期的なエネルギー政策の方向性を見誤らせる危険がある。

これは、将来的に価値を失う「座礁資産」のリスクを高め、受け入れ国の経済に大きな負担を強いるだけでなく、気候変動対策のリーダーとしての日本の信頼性を根底から揺るがすものである。公的資金の配分として極めて非効率かつ非一貫的であり、その影響を最大化するどころか、むしろ希薄化させ、評判リスクを増大させている。

さらに、AZEC構想の中核をなすアンモニア混焼やCCSといった技術は、その有効性や経済性に大きな疑問符がついている。CCSは発電部門において過去に提案されたプロジェクトの約90%が失敗に終わっており 28、アンモニア混焼も製造過程で多くのCO2を排出する「ブルーアンモニア」に依存する場合、真の脱炭素技術とは言えない。日本がこれらの未確立で高コストな技術を「現実的な解決策」としてアジアに輸出することは、より安価で実績のある再生可能エネルギーの導入を遅らせ、地域の国々を高価で性能の低いインフラに縛り付けることになりかねない。これは気候に対するリスクであると同時に、アジア全体の経済と開発に対する重大なリスクでもある。

第4章:日本の最適解を求めて:インパクトを最大化する3本柱の戦略

日本の国際エネルギー戦略が抱える矛盾を解消し、真にグローバルな課題解決に貢献するためには、総花的に全てを支援するのではなく、日本の強みを最も効果的に発揮できる領域に資源を集中させる、首尾一貫したアプローチが不可欠である。それは、公的金融が「呼び水」としてのデリスキング(リスク低減)と環境整備に徹し、その土台の上で世界トップクラスの技術力と事業展開力を持つ民間セクターが躍動する、という統合モデルへの転換を意味する。ここに、日本のインパクトを最大化する「3本柱の戦略」を提示する。

第1の柱:公的金融のミッション再定義と戦略的転換

日本の国際貢献の方向性を決定づけるのは、JICA、JBIC、NEXIといった公的機関の役割である。そのミッションを明確に再定義することが、全ての変革の起点となる。

  • 化石燃料ファイナンスからの段階的撤退:まず、G7での国際公約を誠実に履行し、対策の講じられていない化石燃料プロジェクトへの新規の国際公的支援を、政府全体の方針として明確に停止する必要がある 23。これは、JBICとNEXIの投融資・保険基準を改定し、例外規定を厳格化することを意味する。この一つの行動が、日本の戦略の自己矛盾を解消し、国際社会における信頼と外交資本を回復させるだろう。

  • 「デリスキング・ファースト」への転換:JBICとNEXIの主要な役割を、プロジェクトへの直接的な資金供給者から、民間投資を誘発する「触媒」へと転換させる。具体的には、融資保証、政治リスク保険、そして民間投資家が最初に損失を被る部分をカバーするファースト・ロス保証など、民間資金の調達コストを劇的に引き下げる金融商品の提供を大幅に拡充する。これは、UNDPなどが提唱する、限られた公的資金で何倍もの民間資金を動員するモデルと合致する 4

  • JICAの「システム設計者」としての役割強化:JICAが持つ政策立案や制度構築支援の能力をさらに強化する。パートナー国が、透明で競争力のある再生可能エネルギーの入札制度を設計し、安定した系統連系ルールを確立し、そして民間投資家が安心して投資できるような、法的拘束力のある電力買い取り契約(PPA)の枠組みを構築できるよう、上流段階からの支援を拡充する。これらは、民間投資を呼び込むための「土台」そのものである 9

第2の柱:民間セクターの専門性を解き放つ「ソリューション・プロバイダー」への転換

公的金融が整えた土台の上で、日本の民間セクターが持つ独自の競争優位性を最大限に発揮させる。汎用的な太陽光パネルの価格競争に巻き込まれるのではなく、日本だからこそ提供できる高付加価値なソリューションに官民一体で注力する。

  • 日本の競争優位領域への集中

    1. 地熱開発:天候に左右されない安定したベースロード再生可能エネルギーである地熱は、開発途上国の産業化を支える上で極めて重要である。しかし、初期の探査・試掘段階は成功確率が低く、民間だけではリスクが高すぎる。ここに、世界銀行の地熱開発リスク緩和基金(GGDP)のような公的デリスキング資金を投入することが極めて有効である 31。日本企業はこの分野で世界トップクラスの技術と経験を有し、JICAもケニアやインドネシアで長年の支援実績を持つ 14。地熱は、日本が世界のリーダーとなりうるニッチかつ戦略的な分野である。

    2. 系統安定化技術:開発途上国で変動性再生可能エネルギーの導入が進むほど、電力系統の安定化が死活問題となる。日本企業は、大規模蓄電システム(BESS)やエネルギーマネジメントシステム(EMS)といった、系統管理に不可欠な最先端技術で世界をリードしている 33。これらの高度なシステムを、再生可能エネルギー発電設備とパッケージで輸出する戦略は、他国にはない高い付加価値を提供する。

    3. 分散型エネルギー・ビジネスモデル:住友商事がアフリカで展開するミニグリッド事業の成功は、エネルギーアクセス問題を直接解決する、スケーラブルで革新的なビジネスモデルを日本企業が構築できることを証明している 19。公的資金は、こうした民間主導で既に有効性が証明されたモデルのスケールアップを支援することに注力すべきであり、伝統的なODAで同様の事業を模倣する必要はない。

第3の柱:各国の実情に寄り添う「公正で現実的な技術ポートフォリオ」の推進

画一的な解決策は存在しない。日本の支援戦略は、パートナー国の発展段階、資源の賦存状況、そして社会経済的な文脈に応じて、きめ細かく調整されなければならない。

  • テーラーメイド・アプローチの実践

    1. ラストマイル電化:電力アクセス率が低い国々(例:サブサハラ・アフリカの一部)に対しては、分散型ソリューションの普及を最優先する。具体的には、ソーラーホームシステム(SHS)や、集落、診療所、小規模事業所向けの太陽光ミニグリッドである 4。JICAがケニアで支援する太陽光発電を利用した給水ポンプ事業は、エネルギーアクセスを水や農業といった他の開発課題と結びつける優れた事例である 36

    2. 産業化とグリッド強靭化:急速に産業化が進む国々(例:東南アジア諸国)に対しては、産業用の信頼性の高いクリーン電力の供給に重点を置く。これは、地熱や水力といったベースロード再生可能エネルギーの開発を優先し 37、同時に、変動性再生可能エネルギーを安定的に系統統合するための送電網の近代化、連系線の増強、そして大規模蓄電池への投資を強力に支援することを意味する 9

    3. 政策・制度設計:全てのパートナー国に対し、JICAの核心的強みである人材育成とマスタープラン策定支援は不可欠である。政府が強固な制度と予測可能な規制環境を構築できるよう支援することこそが、長期的で健全な投資環境を醸成する最も持続可能な方法である 10

この3本柱の戦略は、それぞれが独立しているのではなく、相互に連携し、強化し合う一つのエコシステムとして機能する。公的金融によるデリスキング(第1の柱)が、地熱や蓄電池といったハイテク・ソリューションへの民間投資(第2の柱)を可能にする。そして、これらの高度なソリューションが、各国の実情に合わせて適切に展開されることで(第3の柱)、開発途上国が直面するエネルギーのトリレンマ(手頃な価格、信頼性、持続可能性)が解決へと向かう。成功事例が生まれれば、それが投資家の信頼を呼び、さらなる民間資本の流入を促し、資金調達コストが低下し、より多くのソリューション展開が可能になる、という好循環が生まれる。この戦略の核心は、日本が初期の触媒として機能し、クリーンエネルギーのための自己増殖的な市場エコシステムをパートナー国と共に創り上げることにある。

これは、日本が単なる「資金供給者(Financier)」から、エネルギートランジション全体を導く「移行パートナー(Transition Partner)」へと、その役割を進化させることを意味する。資金の量だけで競争することは、特に異なる地政学的目的を持つ他の支援国に対しては、得策ではない。日本の真の比較優位は、JICAによる政策支援、JBIC/NEXIによるデリスキング金融、そして商社や電力会社が持つ世界最先端の技術力と事業運営能力を、一つの包括的なパッケージとして提供できる点にある。この統合された価値提案こそが、歴史上最も複雑な経済変革の一つを乗り越えようとする世界にとって、日本を不可欠なパートナーへと押し上げるだろう。

結論:二元論的アプローチから、首尾一貫したグローバル貢献へ

日本の現在の国際エネルギー戦略は、グリーンエネルギーの旗手であると同時に、世界有数の化石燃料ファイナンス国でもあるという、深刻な自己矛盾を抱えている。この二元論的なアプローチは、戦略的に維持不可能であり、日本の国際的な評判を毀損し、そして何よりも公的資金のインパクトを著しく希薄化させる非効率なものである。

『Tracking SDG7: 2025年報告書』が突きつけた、目標達成の軌道から外れているという厳しい現実は、もはや曖昧な態度が許されないことを示している。我々が直面しているのは、普遍的エネルギーアクセスと脱炭素化のどちらかを選ぶというトレードオフではない。これらは、首尾一貫した戦略を通じてのみ同時に達成可能な、同一の課題の裏表なのである。

本稿で提示した「最適解」は、この認識に基づいている。それは、日本の戦略の核心的な矛盾を解消し、その比類なき強みを一点に集中させるためのロードマップである。

第一に、公的金融の役割を根本から見直し、G7での公約通り化石燃料ファイナンスから撤退する。そして、そのリソースを民間投資を呼び込むための「デリスキング」に振り向ける。

第二に、その上で、日本の民間セクターが持つ地熱開発、系統安定化技術、分散型エネルギーモデルといった世界トップレベルの技術的・商業的優位性を最大限に解き放つ。

第三に、これらのソリューションを、画一的に押し付けるのではなく、パートナー国の多様な発展段階やニーズに合わせてきめ細かく提供する。

この3本柱からなる統合戦略は、単なるプロジェクトの寄せ集めではない。それは、公的機関が政策と金融の土台を築き、民間企業がその上で最先端のソリューションを社会実装するという、自己増殖的なエコシステムを創り上げる試みである。

日本にとっての選択は明確である。断片的で矛盾したアプローチを続け、その影響力を薄めていくのか。あるいは、公的ミッションと民間の卓越性を完全に一致させた統一戦略を掲げ、公正なエネルギートランジションにおける真のグローバルリーダーとなるのか。後者の道を選ぶことによってのみ、日本は世界の持続可能な繁栄に貢献し、急速に変化する世界における自国の長期的な経済的・外交的プレゼンスを確保することができる。今こそ、決断の時である。

無料30日お試し登録
今すぐエネがえるBizの全機能を
体験してみませんか?

無料トライアル後に勝手に課金されることはありません。安心してお試しください。

著者情報

国際航業株式会社カーボンニュートラル推進部デジタルエネルギーG

樋口 悟(著者情報はこちら

国際航業 カーボンニュートラル推進部デジタルエネルギーG。環境省、トヨタ自働車、東京ガス、パナソニック、オムロン、シャープ、伊藤忠商事、東急不動産、ソフトバンク、村田製作所など大手企業や全国中小工務店、販売施工店など国内700社以上・シェアNo.1のエネルギー診断B2B SaaS・APIサービス「エネがえる」(太陽光・蓄電池・オール電化・EV・V2Hの経済効果シミュレータ)のBizDev管掌。再エネ設備導入効果シミュレーション及び再エネ関連事業の事業戦略・マーケティング・セールス・生成AIに関するエキスパート。AI蓄電池充放電最適制御システムなどデジタル×エネルギー領域の事業開発が主要領域。東京都(日経新聞社)の太陽光普及関連イベント登壇などセミナー・イベント登壇も多数。太陽光・蓄電池・EV/V2H経済効果シミュレーションのエキスパート。Xアカウント:@satoruhiguchi。お仕事・新規事業・提携・取材・登壇のご相談はお気軽に(070-3669-8761 / satoru_higuchi@kk-grp.jp)

コメント

たった15秒でシミュレーション完了!誰でもすぐに太陽光・蓄電池の提案が可能!
たった15秒でシミュレーション完了!
誰でもすぐに太陽光・蓄電池の提案が可能!