目次
サプライチェーン脱炭素の羅針盤 世界の先駆者に学ぶ、日本企業のための次世代戦略
序章:なぜ今、「サプライチェーン全体の脱炭素」が最重要経営アジェンダなのか
気候変動は、もはや企業の社会的責任(CSR)の範疇に留まる問題ではない。それは事業の存続そのものを揺るがし、同時に新たな成長機会を創出する、経営の中核に位置づけられるべき最重要アジェンダである。かつては環境対策と経済成長がトレードオフの関係にあると見なされる時代もあったが、現在では、脱炭素化への取り組みこそが未来の競争優位を築くための不可欠な戦略的投資であるという認識が、世界の先進企業の共通理解となりつつある。
本稿では、サプライチェーン全体での脱炭素化という壮大かつ複雑なテーマについて、その国際的基準から世界の先端事例、革新的なテクノロジー、そして日本企業が直面する特有の課題とそれを乗り越えるための構造的ソリューションまでを網羅的かつ高解像度に解析し、2050年カーボンニュートラルへの航路を描くための羅針盤を提示する。
気候変動時代の事業リスクと機会の再定義
気候変動がもたらす物理的リスク(異常気象による操業停止など)や移行リスク(政策・規制の強化、市場・技術の変化など)は、今や企業の財務諸表に直接的な影響を及ぼす現実的な脅威となっている。世界経済フォーラムの調査によれば、気候変動リスクは2035年までに企業収益を年間7%減少させる可能性があると警告されている
一方で、この危機は巨大な経済的機会の裏返しでもある。コンサルティングファームのデロイトは、日本の脱炭素化への取り組みが成功した場合、2070年までに累計で388兆円もの経済効果が生まれる可能性があると試算している
この分析が示す重要な点は、サプライチェーン全体の脱炭素化が単なるコスト負担ではなく、新たな産業の創出、技術革新、そして国際競争力の強化を通じて、未来の経済的価値を創造するための戦略的投資であるということだ。
デロイトのロードマップでは、2021年から2025年を「脱炭素社会の構造変化の基礎を固める期間」と位置づけ、サプライチェーンの変革がその中核をなすと指摘している
フロンティアとしての「Scope3」:GHGプロトコルの構造と企業への要請を理解する
サプライチェーンの脱炭素化を語る上で、その議論の出発点となるのが「GHGプロトコル」である。これは、WRI(世界資源研究所)とWBCSD(持続可能な開発のための世界経済人会議)が主体となり策定された、温室効果ガス(GHG)排出量の算定・報告に関する国際的な基準であり、事実上のグローバルスタンダードとなっている
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Scope 1:直接排出量
自社が所有・管理する排出源からの直接的な排出を指す。例えば、自社の工場における燃料の燃焼(ボイラー、炉など)や、社用車の排気ガス、製造プロセスにおける化学反応による排出などがこれに該当する 3。
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Scope 2:エネルギー起源の間接排出量
自社が購入した電気、熱、蒸気の使用に伴う間接的な排出を指す。排出自体は発電所などで発生するが、そのエネルギーを消費する企業の責任として算定される 3。
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Scope 3:その他の間接排出量
Scope 1、2以外の、企業のバリューチェーン全体で発生する間接的な排出を指す。これには、原材料の調達、製造、輸送、従業員の通勤や出張、販売した製品の使用・廃棄に至るまで、事業活動に関連するあらゆる排出が含まれる 7。
多くの企業、特に製造業や小売業にとって、Scope 3排出量は総排出量の大部分を占めることが少なくない
まさにこのScope 3こそが、現代の企業にとって脱炭素化の主戦場であり、最も困難かつ重要なフロンティアなのである。自社の直接的な管理下にない排出量をいかに把握し、サプライヤーや顧客といったステークホルダーと協働して削減していくか。その巧拙が、企業の気候変動対応能力を測る試金石となる。
スコープ | 定義 | 具体例 |
Scope 1 | 直接排出 事業者自らによる温室効果ガスの直接排出 | ・自社工場での燃料燃焼 ・社用車の排気ガス ・製造プロセスでの化学反応 ・フロンガスの漏洩 |
Scope 2 | エネルギー起源の間接排出 他社から供給された電気、熱、蒸気の使用に伴う間接排出 | ・購入した電力の使用 ・購入した熱・蒸気の使用 |
Scope 3 | その他の間接排出 Scope 1, 2以外の、サプライチェーン(上流・下流)における間接排出 | ・購入した製品・サービスの製造 ・原材料の調達・輸送 ・従業員の通勤・出張 ・販売した製品の使用・廃棄 ・投融資先の排出 |
出典:
Scope 3はさらに15のカテゴリに細分化されており、企業は自社の事業活動と関連性の高いカテゴリを特定し、排出量を算定・報告することが求められる
活動区分 | カテゴリ | 内容 |
上流 (Upstream) | 1. 購入した製品・サービス | 購入した製品・サービスの「cradle-to-gate(揺りかごからゲートまで)」の排出量 |
2. 資本財 | 購入した資本財(建物、機械、車両など)の製造に伴う排出量 | |
3. Scope 1, 2に含まれない燃料・エネルギー活動 | 購入した燃料・電力の採掘、精製、輸送など上流工程での排出量 | |
4. 上流の輸送・配送 | サプライヤーから自社までの製品・原材料の輸送・配送に伴う排出量 | |
5. 事業から出る廃棄物 | 自社の事業活動から生じる廃棄物の処理(焼却、埋立など)に伴う排出量 | |
6. 出張 | 従業員の出張に伴う移動(航空機、鉄道など)での排出量 | |
7. 従業員の通勤 | 従業員の通勤に伴う移動での排出量 | |
8. 上流のリース資産 | 自社が賃借している資産(リース資産)の稼働に伴う排出量 | |
下流 (Downstream) | 9. 下流の輸送・配送 | 自社から顧客までの製品の輸送・配送に伴う排出量 |
10. 販売した製品の加工 | 販売した中間製品が他社で加工される際の排出量 | |
11. 販売した製品の使用 | 販売した製品が顧客によって使用される際の排出量(例:自動車の走行、家電の電力消費) | |
12. 販売した製品の廃棄 | 販売した製品が使用後に廃棄・処理される際の排出量 | |
13. 下流のリース資産 | 自社が賃貸している資産(リース資産)の稼働に伴う排出量 | |
14. フランチャイズ | フランチャイズ加盟店の事業活動に伴う排出量 | |
15. 投資 | 投融資先の事業活動に伴う排出量 |
出典:
「1~4%のコスト増」の真実(WEF & BCG):脱炭素はコストではなく競争優位へ
サプライチェーン全体の脱炭素化、特にScope 3の削減は、膨大なコストを伴う困難な挑戦であるというイメージが根強い。しかし、世界経済フォーラム(WEF)とボストン コンサルティング グループ(BCG)が発表した画期的な共同レポート「Net-Zero Challenge: The Supply Chain Opportunity」は、その常識を覆す分析を提示した
このレポートの核心的な結論は、「世界の主要な8つのサプライチェーン(食品、建設、ファッション、日用品、電子機器、自動車、専門サービス、物流)をエンドツーエンドで脱炭素化しても、最終消費者が負担するコスト増は中期的にはわずか1~4%に抑えられる」というものである
この驚くべき低コストでの脱炭素化が可能となる背景には、削減策の約40%が、「すぐに導入可能で手頃な手段(あたり10ユーロ未満)」で達成できるという事実がある
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サーキュラリティ(循環性)とリサイクル: 再生材の利用拡大や製品の再利用・修理を促進することで、新たな資源採掘や原材料生産に伴う排出を削減する。
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材料・プロセス効率の向上: 製造工程におけるエネルギー効率の改善や廃棄物の削減により、消費電力を抑制する。
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再生可能電力への転換: サプライヤーが使用する電力を再生可能エネルギーに切り替える。
これらの施策は、多くの場合、コスト削減にも直結するため、企業にとって経済的なインセンティブも大きい。この分析は、サプライチェーン脱炭素が、価格競争力を損なうことなく、むしろ資源効率の向上や新たな付加価値(「グリーン」な製品というブランド価値)を生み出す源泉となり得ることを明確に示している。
脱炭素化は、もはや一方的なコスト負担ではなく、企業のレジリエンスと競争力を高めるための戦略的な選択肢へとその意味合いを大きく変えつつあるのだ。この認識の転換こそが、企業を単なる「コンプライアンス対応」から、価値創造を伴う「プロアクティブな変革」へと駆り立てる原動力となる。
第1章:グローバルスタンダードの潮流:SBTiが描く野心的な未来
サプライチェーン脱炭素の取り組みが世界的に加速する中、企業の目標設定における信頼性と野心レベルを測る「ものさし」として、国際的なイニシアチブであるSBTi(Science Based Targets initiative)が絶大な影響力を持つようになった。SBTiは、企業が設定する温室効果ガス削減目標が、パリ協定の目標(世界の平均気温上昇を産業革命前より1.5℃に抑える)と整合した科学的根拠に基づくものであることを認定する
科学的根拠に基づく目標設定(SBTi)の進化:Corporate Net-Zero Standard V2が求めるもの
SBTiの基準は、気候科学の最新の知見や企業の取り組み状況を反映し、常に進化を続けている。現在、改訂作業が進められている「Corporate Net-Zero Standard V2」の草案は、これまでの基準をさらに一歩進め、企業に対してより厳格で包括的な目標設定を要求するものとなっている
このV2草案における最も重要な変更点の一つが、Scope 3排出量に関する目標設定の扱いの変化である。従来の基準では、Scope 3排出量が総排出量の40%以上を占める場合にScope 3目標の設定が求められていたが
この基準の厳格化は、企業経営に大きな影響を及ぼす。これまでScope 1, 2の削減に注力してきた企業も、サプライチェーン全体の排出量把握と削減戦略の策定が不可避となる。これは、調達部門や製品開発部門など、これまで必ずしも環境問題の主担当ではなかった部署をも巻き込む、全社的な変革を促すものとなるだろう。
Scope3目標設定の壁を越える:カバー率から影響力・エンゲージメントへの転換
多くの企業にとって、Scope 3の目標設定と達成は大きな壁として立ちはだかっている。SBTiが実施した調査でも、半数以上の企業がScope 3をネットゼロ目標設定における最大の障壁と回答している
このような企業の現実的な課題を踏まえ、SBTi V2草案は、目標設定のアプローチに新たな柔軟性をもたらそうとしている。従来の基準は、Scope 3排出量のうち最低67%(短期目標)または90%(長期目標)をカバーするという「量的」な基準に重きを置いていた
そこでV2草案では、従来の排出量削減目標に加え、「アライメント目標(Alignment targets)」という新たな選択肢を重視する方針が示されている
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サプライヤーエンゲージメント目標: 主要なサプライヤーがSBT認定を取得する割合
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グリーン調達目標: 総調達額のうち、ネットゼロに整合したサプライヤーからの調達が占める割合
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グリーン歳入目標: 総歳入のうち、ネットゼロに整合した製品・サービスから得られる歳入が占める割合
この転換は、極めて重要かつ実践的な意味を持つ。完璧な一次データを全サプライヤーから集めるという理想論を待つのではなく、企業が持つ「影響力」を最も効果的に行使できる領域にリソースを集中させることを促すからだ。これは、企業の取り組みを「完璧な算定」から「インパクトのある行動」へとシフトさせる、SBTiの思想の成熟を示すものと言える。
サプライヤー・エンゲージメント:目標達成の鍵を握る協働戦略
SBTiがScope 3目標達成のための最も重要な手段として位置づけているのが、「サプライヤー・エンゲージメント」である
効果的なサプライヤー・エンゲージメントには、以下のような多岐にわたる活動が含まれる。
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意識向上と情報共有: 自社の脱炭素方針や目標をサプライヤーに明確に伝え、気候変動対策の重要性に関する共通認識を醸成する。
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能力開発支援(キャパシティ・ビルディング): 排出量算定のノウハウを持たないサプライヤーに対し、研修会やツール提供などを通じて、算定能力の向上を支援する。
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目標設定の奨励と支援: サプライヤー自身がSBTなどの科学的根拠に基づく目標を設定するよう働きかけ、そのプロセスを支援する。
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共同での削減プロジェクト: 省エネ技術の導入や再生可能エネルギーへの転換など、具体的な削減プロジェクトを共同で企画・実行する。
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インセンティブの設計: 排出削減に積極的に取り組むサプライヤーを評価し、優先的な発注や長期契約、共同での技術開発といったインセンティブを提供する。
このようなエンゲージメントは、サプライチェーン全体のレジリエンス(強靭性)を高めることにも繋がる。気候変動リスクへの対応力が高いサプライヤーは、将来の規制強化や市場の変化にも柔軟に対応できる可能性が高い。したがって、サプライヤー・エンゲージメントは、単なる排出量削減の手段に留まらず、より安定的で持続可能なサプライチェーンを構築するための戦略的投資と捉えるべきなのである。
第2章:世界のトップランナーに学ぶ:セクター別・脱炭素戦略の最前線
グローバルスタンダードが進化する中で、世界の先進企業はすでにサプライチェーン脱炭素化に向けた具体的なアクションを開始している。そのアプローチは、業種や企業が持つ独自の強み、サプライチェーンの構造によって多岐にわたる。ここでは、製造業、小売業、IT・テクノロジー業界のトップランナーたちの戦略を深掘りし、その成功の要因と日本企業への示唆を抽出する。
製造業の革新
製造業は、原材料調達から生産プロセスに至るまで、サプライチェーンの上流(Upstream)における排出量が大きいという特徴を持つ。そのため、サプライヤーとの緊密な連携が脱炭素化の成否を分ける。
Unilever「Supplier Climate Programme」:集中と選択によるインパクト最大化
世界的な消費財メーカーであるユニリーバは、バリューチェーン全体で2039年までにネットゼロを達成するという野心的な目標を掲げている
このプログラムは、サプライヤーに対して「SBTiに整合した目標を設定し、進捗を公に報告すること」を求める一方で、ユニリーバ自身が排出量算定や製品別カーボンフットプリント(PCF)のデータ提供を支援するという、「要求」と「支援」を両輪で進める点が特徴だ
この「集中と選択」のアプローチは、限られたリソースを最も効果的な領域に投下する、極めて実用的なモデルである。すべてのサプライヤーを一度に変えることは非現実的だが、影響力の大きいパートナーから変革の輪を広げていくことで、サプライチェーン全体に大きなインパクトを与えることが可能になる。2024年末までに181社のサプライヤーが積極的にプログラムに参加しており、その数は増加し続けている
トヨタ自動車「グリーンサプライヤー要件」:強固なネットワークを活かすトップダウン・アプローチ
日本の製造業の象徴とも言えるトヨタ自動車は、長年にわたって築き上げてきた強固なサプライヤーネットワークを、脱炭素化の強力な推進力として活用している。同社は、取引先に対して「グリーンサプライヤー要件(Green Supplier Requirements)」を提示し、具体的な削減目標の達成を求めている
このトップダウン型のアプローチが有効に機能する背景には、日本の製造業に特徴的な「系列」構造と、長年の取引を通じて培われた信頼関係がある。トヨタは単に要求を突きつけるだけでなく、サプライヤーの環境マネジメントを評価する「グリーンサプライヤー認定制度」を運用し、優れた取り組みを奨励している
この事例は、日本の製造業が持つ緊密なサプライヤーとの関係性が、脱炭素化という新たな課題において強力な競争優位となり得ることを示唆している。重要なのは、その関係性を一方的な「要求」の伝達経路として使うだけでなく、目標達成に向けた「協働」のプラットフォームとして機能させることである
花王「CFP算定」:データ駆動型の製品イノベーション
化学・消費財メーカーの花王は、2040年のカーボンゼロ、2050年のカーボンネガティブという極めて高い目標を掲げている
花王は、化粧品や化学製品など、すでに25製品でCFPを算定し、原材料調達から製造、使用、廃棄に至るライフサイクル全体の排出量を「見える化」している
このデータ駆動型のアプローチにより、脱炭素は受動的なコストセンターではなく、製品の環境付加価値を高め、競争力を強化するための能動的なイノベーションの源泉へと転換される。どのプロセスで、どの素材が、どれだけの排出量を生んでいるかを正確に把握することで、より効果的な削減策を講じることが可能になる。これは、サプライチェーン脱炭素が、企業の根幹である「ものづくり」そのものを変革するポテンシャルを秘めていることを示す好例である。
小売業の挑戦
小売業は、膨大な数の商品を多様なサプライヤーから調達し、広範な消費者と直接接点を持つという特徴がある。そのため、サプライチェーンの上流から下流まで、広範囲にわたる影響力を行使することが可能である。
Walmart「Project Gigaton」:エコシステム全体を動かすプラットフォーム戦略
世界最大の小売企業であるウォルマートは、その圧倒的な規模と影響力を活かし、サプライチェーン脱炭素において業界全体の変革を主導している。2017年に開始された「Project Gigaton」は、2030年までに同社のグローバルバリューチェーンから1ギガトン(10億トン)の温室効果ガスを削減するという、極めて野心的な目標を掲げたイニシアチブである
この壮大な目標を達成するため、ウォルマートはサプライヤーに対して一方的な要求をするのではなく、彼らが脱炭素化に取り組むためのプラットフォーム「Sustainability Hub」を提供している
この戦略の巧みさは、個々のサプライヤーとの直接交渉に終始するのではなく、エコシステム全体を巻き込み、自律的な変革を促す仕組みを構築した点にある。すでに2,300社以上のサプライヤーがこのプロジェクトに参加を表明しており、2020年にはフランス一国の年間排出量を上回る2億3,000万メトリックトンの排出量削減を達成した
PUMA & Nike:ブランド価値と連動したサステナビリティ戦略
消費者に近い小売業、特にファッション業界では、サステナビリティへの取り組みがブランドイメージや消費者の購買行動に直結する。スポーツアパレル大手のPUMAは、国際金融公社(IFC)やバングラデシュ政府と連携し、同国の主要な製造委託先(Tier 1およびTier 2サプライヤー)の工場における脱炭素化を支援するプログラムを実施している
同様に、Nikeも自社施設でのGHG排出量を70%削減するという目標を掲げるだけでなく、主要サプライヤーに対しても再生可能エネルギーの利用を働きかけるなど、サプライチェーン全体での取り組みを強化している
IT・テクノロジー業界のソリューション
IT・テクノロジー業界は、自社のデータセンターなどで大量の電力を消費する(Scope 2)一方で、その技術力を活かして社会全体の脱炭素化に貢献するソリューションプロバイダーとしての役割も担っている。
富士通:ブロックチェーンによるデータ信頼性の確保
サプライチェーン全体で排出量を算定・削減する上で、最大の課題の一つが「データの信頼性」である。サプライヤーから提供されるデータが正確で、改ざんされていないことをいかに担保するか。この課題に対し、富士通は自社の技術力を活かした先進的な解決策を提示している。
同社は、ブロックチェーン技術を活用し、サプライチェーン上でやり取りされる製品別カーボンフットプリント(PCF)データの信頼性と透明性を高める実証実験を開始した
この取り組みは、サプライチェーン脱炭素におけるデータ連携の壁を、テクノロジーによって乗り越えようとする象徴的な事例である。信頼性の高いデータ基盤が整備されることで、企業間の排出量削減努力が正しく評価され、より効果的な協働が可能になる。
Google:自社オペレーションの徹底と社会への貢献
Googleをはじめとする巨大IT企業は、世界中に大規模なデータセンターを運営しており、その電力消費量は膨大である。Googleは、この課題に正面から向き合い、2030年までにデータセンターやオフィスで使用する電力を24時間365日、すべてカーボンフリーエネルギーで賄うという極めて野心的な目標を掲げている
Googleの戦略が優れているのは、自社のScope 2排出量を徹底的に削減するだけに留まらない点である。彼らは、そこで培った技術やノウハウ、そして再生可能エネルギーの調達手法などを広く公開し、他社が利用できるツールやプラットフォームを提供することで、社会全体の脱炭素化を支援している。これは、自社の課題解決が、新たなビジネス機会の創出と社会貢献に繋がるという、サステナビリティ経営の理想的な姿を示している。
企業名 | 業種 | 中核戦略 | 主要な手段・レバー | 対象 |
Unilever | 製造業(消費財) | 集中と選択 影響力の大きいサプライヤーとの協働 | ・Supplier Climate Programme ・能力開発支援 ・SBTi整合目標の設定要求 | 排出量の大きい主要サプライヤー(約300社) |
トヨタ自動車 | 製造業(自動車) | トップダウン型 強固なサプライヤーネットワークの活用 | ・グリーンサプライヤー要件 ・年3%の絶対量削減要求 ・物流効率化の協働 | 主にTier 1サプライヤー |
Walmart | 小売業 | エコシステム・プラットフォーム 業界全体の変革を主導 | ・Project Gigaton ・Sustainability Hub(ツール・リソース提供) ・野心的な全体目標の設定 | 全てのサプライヤー |
出典:
これらの事例から浮かび上がるのは、最も効果的な脱炭素戦略は画一的なものではなく、企業が持つ独自のビジネスモデル、コアコンピタンス、そしてサプライチェーンの構造に深く根差しているという事実である。トヨタは階層的で緊密なサプライヤー関係を、ウォルマートはプラットフォーマーとしての規模を、花王は製品開発力を、そして富士通は技術力を、それぞれ脱炭素化の強力な武器へと転換している。
日本企業、特に製造業は、トヨタのモデルから多くを学ぶことができる。自社が持つ長期的なサプライヤーとの関係性を、単なるコスト管理の対象としてではなく、未来を共創する戦略的パートナーシップとして再定義すること。そこに、日本ならではのサプライチェーン脱炭素化の道筋が見えてくるはずだ。
第3章:イノベーションが拓く脱炭素の新たな地平
サプライチェーン脱炭素という壮大な目標は、既存の技術やビジネスモデルの延長線上だけでは達成できない。その実現には、テクノロジー、ビジネスモデル、そしてフロンティア技術における多角的なイノベーションが不可欠である。ここでは、脱炭素化の新たな地平を切り拓く最先端の動向を詳述する。
テクノロジーによる可視化と最適化
サプライチェーン脱炭素の第一歩は、自社の排出量を正確に「見える化」することである。しかし、特にScope 3の算定は、膨大なデータの収集と複雑な計算を要し、多くの企業にとって大きな負担となっていた。この課題を解決する切り札として、AIをはじめとするデジタル技術が急速に台頭している。
AI活用スタートアップ(Zeroboard, Asuene等)による算定業務の革命
近年、GHG排出量の算定・可視化をクラウド上で支援するサービスを提供するスタートアップが次々と登場し、企業の脱炭素経営を強力に後押ししている。日本の「Zeroboard」や「Asuene」といった企業は、この分野の代表格である
これらのサービスがもたらす最大の価値は、算定業務の抜本的な効率化である。例えば、以下のような革新的な機能が提供されている。
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AI-OCRによるデータ自動入力: これまで手作業で行っていた電力会社やガス会社の請求書データの入力を、AI-OCR(光学的文字認識)技術を用いて自動化する。画像をアップロードするだけで、AIが使用量データを読み取り、算定システムに自動で反映させるため、入力工数を大幅に削減し、ヒューマンエラーを防ぐことができる
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生成AIによる削減施策のシミュレーション: 企業の排出量データを分析し、排出のホットスポットを特定した上で、生成AIが最も効果的な削減施策(例:高効率設備への更新、再エネ電力への切り替えなど)を提案する。さらに、提案された施策を実行した場合の削減効果やコストをシミュレーションし、企業の意思決定を支援する
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これらのテクノロジーは、これまで専門知識を持つ一部の担当者に依存していた排出量算定業務を、より多くの企業がアクセス可能で、かつ効率的に行えるものへと変革している。正確なデータに基づいた現状把握と、効果的な削減策の立案が可能になることで、企業の脱炭素化は大きく加速する。
デジタルツインとシミュレーションの可能性
さらに先進的なアプローチとして、デジタルツインの活用が期待されている。デジタルツインとは、現実世界のサプライチェーン(工場、倉庫、輸送ルートなど)を、デジタルの仮想空間上にそっくりそのまま再現する技術である。この仮想空間上で、例えば「特定の原材料を低炭素な代替素材に切り替えた場合」や「物流ルートを鉄道輸送にモーダルシフトした場合」など、様々なシナリオをシミュレーションし、サプライチェーン全体のCO2排出量にどのような影響が出るかを事前に、かつ定量的に予測することが可能になる。これにより、企業はリスクを最小限に抑えながら、最もインパクトの大きい削減策を特定し、実行に移すことができる。
ビジネスモデルの変革
テクノロジーが「見える化」と「最適化」を支援する一方で、ビジネスモデルそのものを変革することも、脱炭素化を加速させる上で不可欠である。特に、エネルギーの調達方法と、製品のライフサイクルに対する考え方の変革は、大きなインパクトを持つ。
再エネ調達のゲームチェンジャー「コーポレートPPA」
企業のScope 2排出量を削減する最も直接的かつ効果的な手段が、使用する電力を再生可能エネルギーに切り替えることである。そのための新たな調達手法として、コーポレートPPA(Power Purchase Agreement:電力購入契約)が世界的に急速に普及している
コーポレートPPAとは、企業が発電事業者と直接、長期(10年~20年)にわたる電力購入契約を結び、再生可能エネルギー由来の電力を固定価格で調達する仕組みである
コーポレートPPAは、発電設備の設置場所によって、大きく2つのタイプに分類される
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オンサイトPPA: 企業の敷地内(例:工場の屋根)に太陽光発電設備などを設置し、発電した電力を直接自家消費するモデル。送電網を介さないため、送電ロスがなく、託送料金もかからない
。トヨタ自動車やイオンなどが自社工場や店舗に導入している47 。46 -
オフサイトPPA: 企業の敷地外の遠隔地に大規模な発電所を建設し、送電網を通じて電力を供給するモデル。大規模な電力調達が可能となる
。セブン&アイ・ホールディングスや楽天グループなどがこのモデルを採用している47 。46 -
フィジカルPPA: 電力と環境価値(非化石証書など)をセットで購入する。
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バーチャルPPA: 実際の電力は市場から購入し、PPA契約は「固定価格と市場価格の差額決済」と「環境価値の購入」のみを行う金融契約。物理的な電力供給を伴わないため、より柔軟な契約が可能となる
。47
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コーポレートPPAは、企業の再エネ調達における選択肢を飛躍的に広げ、脱炭素化を加速させるゲームチェンジャーとなり得る。
サーキュラーエコノミー:新素材開発と静脈サプライチェーンの構築
従来の「採掘・生産・消費・廃棄」という一方通行の線形経済(リニアエコノミー)から脱却し、製品と資源の価値を可能な限り長く保全・維持し、廃棄物をなくすことを目指すサーキュラーエコノミー(循環型経済)への移行は、サプライチェーン脱炭素の根幹をなす概念である。
この分野では、スタートアップによる革新的な素材開発が注目を集めている。例えば、株式会社TBMが開発した「LIMEX(ライメックス)」は、石灰石を主原料とすることで、石油由来プラスチックや紙の代替となる新素材である
また、異業種間の連携によるリサイクルループの構築も進んでいる。トヨタ自動車、豊島、アーバンリサーチの3社は、エアバッグの端材を再利用してアパレル製品を開発するなど、これまで廃棄されていたものを新たな価値へと転換する取り組みを行っている
これらの動きは、サプライチェーンの概念を、単なる「製品供給網」から、資源を循環させる「価値創造ネットワーク」へと拡張するものである。
フロンティア技術の動向
既存技術の普及とビジネスモデルの変革に加え、長期的な視点では、現在開発段階にあるフロンティア技術が脱炭素化の鍵を握る。
CCUS(CO2回収・利用・貯留)
CCUS(Carbon Capture, Utilization, and Storage)は、発電所や工場の排ガスなどからCO2を分離・回収し、地中深くに貯留するか、あるいは化学品や燃料などの原料として有効利用する技術群である
しかし、CCUSの本格的な社会実装には、依然として大きな課題が存在する。
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コストの高さ: CO2の回収・輸送・貯留には多額のコストがかかり、現状では1トンあたり4,000円程度のコストが必要とされている
。米国の「インフレ抑制法」では、DAC(大気からの直接回収)に対して1トンあたり最大180ドルの税額控除が盛り込まれるなど、政策的支援がコスト低減の鍵を握る54 。56 -
インフラ整備: 回収したCO2を輸送するためのパイプラインや、適切な貯留地の確保といった大規模なインフラ整備が必要となる
。日本では、2050年に年間1.2億~2.4億トンの貯留が必要と見込まれているが、現状の貯留可能量はその一部に過ぎない54 。55
CCUSは、あくまで排出削減努力を最大限行った上で、それでも残る「残余排出量」を処理するための技術と位置づけられるべきであり、安易な解決策として捉えるべきではない。
グリーン水素・合成燃料
再生可能エネルギー由来の電力で水を電気分解して製造されるグリーン水素は、燃焼時にCO2を排出しない究極のクリーンエネルギーとして期待されている。このグリーン水素と、回収したCO2を合成して作られるe-fuel(合成燃料)は、特に運輸部門(航空、船舶)や高温の熱を必要とする産業プロセスなど、電化が困難な分野の脱炭素化の切り札として注目されている。
これらのフロンティア技術は、まだコストや製造規模の面で課題を抱えているが、技術革新と政策支援が両輪となって進むことで、2030年代以降、サプライチェーン脱炭素の新たな地平を切り拓く可能性を秘めている。
このように、テクノロジー、ビジネスモデル、フロンティア技術の各領域で起きているイノベーションは、相互に影響を与えながら、脱炭素化に向けたポジティブなフィードバックループを生み出している。AIによる「見える化」が、サーキュラーエコノミーやPPAといった新たなビジネスモデルの導入を後押しし、それがさらなる技術革新への需要を喚起する。このダイナミックな循環こそが、2050年ネットゼロという壮大な目標への道を照らす光となるだろう。
第4章:日本の根源的課題と構造的ソリューション
世界の先進企業が多様な戦略とイノベーションを駆使してサプライチェーン脱炭素を推進する一方、日本企業が同様の取り組みを進める上では、この国に特有の構造的な課題が存在する。再生可能エネルギーの普及を阻むボトルネックと、日本の製造業を長年支えてきたサプライチェーン構造そのものが持つ二面性。これらの根源的な課題を直視し、それに対する構造的なソリューションを構想することなくして、日本の真のグリーントランスフォーメーション(GX)は実現しない。
再エネ普及のボトルネック:不安定供給・土地制約・系統問題をどう乗り越えるか
日本のエネルギー自給率は2021年度時点で13.3%とOECD諸国の中でも極めて低い水準にあり、一次エネルギー供給の8割以上を輸入化石燃料に依存している
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不安定な電力供給: 太陽光や風力といった主要な再エネ電源は、天候に大きく左右される。日照時間が比較的短く、四季や地域による気候変動が大きい日本では、電力の安定供給が大きな課題となる
。また、欧州のように陸続きの国々と送電網で結ばれていないため、電力の需給バランスを国内だけで調整しなければならないという地理的制約も抱えている57 。57 -
限られた設置場所: 日本は国土の約75%を山地が占め、平地が少ない。そのため、大規模な太陽光発電所や風力発電所を建設するための広大な土地の確保が困難である
。加えて、台風や地震といった自然災害が多いことも、設置場所の選定をさらに難しくしている。57 -
電力系統の制約: たとえ発電設備を建設できたとしても、発電した電気を送るための送電網(電力系統)に空き容量がなければ、電気を供給することはできない。日本では、特に再エネのポテンシャルが高い地方から大消費地への送電網が脆弱であり、これが「系統ボトルネック」として再エネ導入の大きな障壁となっている
。57
これらの課題は、企業が再生可能エネルギーを調達する上で直接的な困難をもたらす。特に、大規模な電力を長期的に安定して調達する必要があるコーポレートPPAのような取り組みは、日本では欧米に比べて契約締結のハードルが格段に高いのが現状である。
日本型サプライチェーン構造の光と影
日本の製造業は、その国際競争力の源泉として、緻密で強固なサプライチェーンを築き上げてきた
強み(光):緊密な連携による効率的な実行力
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強力なトップダウンでの展開: 系列構造の下では、親会社(完成品メーカー)が策定した脱炭素方針や削減目標を、Tier 1, Tier 2のサプライヤーへと効率的に、かつ網羅的に展開することが可能である。トヨタ自動車が「グリーンサプライヤー要件」を通じてサプライヤーに年3%の削減を要請している事例は、この構造の強みを最大限に活かしたものと言える
。27 -
高品質なデータ管理能力: 日本の製造業が世界に誇る「品質管理(QC)」のノウハウは、GHG排出量という新たな「品質」データの管理にも応用可能である。緻密な生産管理や部品トレーサビリティの仕組みは、精度の高いScope 3排出量算定の基盤となり得る
。59 -
長期的視点での共同開発: 短期的な価格交渉だけでなく、長期的な信頼関係に基づいた取引が中心であるため、サプライヤーと共同で低炭素技術や新素材を開発するといった、時間と投資を要する取り組みを進めやすい土壌がある。
弱み(影):硬直性がもたらす変革の遅延とリスク
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中小企業への過度な負担: 親会社からの強い削減要請は、経営体力や専門知識に乏しい中小サプライヤーにとって過度な負担となりかねない。十分な支援がないまま要求だけが先行すれば、コスト増に耐えられない企業の淘汰や、サプライチェーン全体の脆弱化を招くリスクがある
。60 -
新規参入の障壁: 固定的で閉鎖的な取引関係は、革新的な低炭素技術や素材を持つ新規のスタートアップ企業などがサプライチェーンに参入する際の障壁となる可能性がある。これにより、業界全体のイノベーションが阻害される恐れがある。
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同調圧力と意思決定の遅延: 系列内での横並び意識や、親会社の意向を過度に忖度する文化が、大胆な変革や迅速な意思決定を妨げる可能性がある。
この二面性を踏まえると、日本企業が取るべき戦略は、系列構造の「光」の側面を最大限に活用しつつ、「影」の側面を克服するための仕組みを意図的に構築することである。
側面 | 強み(光) | 弱み(影) |
構造 | 強力なトップダウンでの展開力 (方針・目標の迅速な浸透) | 硬直性と新規参入の障壁 (イノベーションの阻害) |
関係性 | 長期的・協調的な関係 (共同での技術開発が容易) | 中小企業への負担転嫁リスク (サプライチェーンの脆弱化) |
文化 | 高品質なデータ管理能力 (品質管理ノウハウの応用) | 同調圧力と意思決定の遅延 (変革スピードの鈍化) |
出典:
構造的ソリューションの提案
日本の根源的な課題を乗り越え、サプライチェーン全体の脱炭素化を加速させるためには、個社の努力だけに頼るのではなく、業界や社会全体を巻き込んだ構造的なソリューションが必要となる。以下に、3つの具体的なアプローチを提案する。
【地味だが実効性のあるアプローチ】中小企業の「脱炭素コレクティブ」形成支援と金融機関のエンゲージメント
個々の中小企業では、専門人材の不足や資金的制約から、GHG排出量の算定や効果的な削減策の導入、再生可能エネルギーの調達といった取り組みを進めることは極めて困難である
このコレクティブのハブとして期待されるのが、地域経済に深く根差した金融機関である。金融機関は、取引先である中小企業に対し、エンゲージメント(対話)を通じて脱炭素化の重要性を伝え、コレクティブへの参加を促す。そして、コレクティブに対しては、排出量算定ツールの提供、専門家によるコンサルティング、省エネ設備導入や再エネ調達のための共同ファイナンス(サステナビリティ・リンク・ローンなど)といった包括的なソリューションを提供する
【ありそうでなかった切り口】「デジタル製品パスポート」の業界標準化によるCFPデータ連携の加速
サプライチェーン上での製品別カーボンフットプリント(CFP)データの連携は、Scope 3算定の精度向上と、製品の環境価値を正しく評価するために不可欠だが、企業間のシステムの違いやデータフォーマットの不統一が大きな障壁となっている。
この問題を抜本的に解決するため、EUで導入が進む「デジタル製品パスポート(Digital Product Passport)」の構想を参考に、日本でも業界横断的な標準プラットフォームの構築を推進すべきである。デジタル製品パスポートは、製品の素材構成、サプライヤー情報、修理・リサイクルの方法、そしてCFPデータといったライフサイクル情報を、QRコードなどを介して一元的に追跡・管理する仕組みである。
このプラットフォームが業界標準として普及すれば、企業はサプライヤーから提供された部品のCFPデータをシームレスに自社の製品CFP算定に統合できるようになる。これにより、データ連携にかかる膨大な手間が削減されるだけでなく、サプライチェーン全体の透明性が飛躍的に向上し、消費者が製品の環境性能を比較・選択することも容易になる。
【根源的解決策】GXリーグを核とした「セクター別バーチャルPPA」モデル
日本の再エネ普及の最大のボトルネックである「土地制約」と「系統問題」を乗り越え、中小企業を含む多くの企業が再エネを調達できるようにするためには、大規模なオフサイト型再エネ開発を促進する新たな仕組みが必要だ。
そこで提案したいのが、経済産業省が主導する官民連携の枠組み「GXリーグ」を核とした、「セクター別バーチャルPPA」モデルである
このモデルには、複数のメリットがある。
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リスクの分散: 大規模開発に伴うリスクを多数の企業で分散できるため、個社の負担が軽減される。
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スケールメリットの享受: 需要を集約することで、より有利な条件で電力を調達できる。
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中小企業のアクセス確保: 個社では契約が難しかった中小企業も、セクターの一員として大規模な再エネ電源にアクセスできるようになる。
GXリーグが持つ「市場ルール形成機能」を活用し、このような革新的な共同購入モデルを設計・推進することで、日本の再エネ導入の構造的な課題に風穴を開けることができるだろう。
結論:2050年への航路を描くために、企業が今すべきこと
サプライチェーン全体の脱炭素化は、もはや回避不可能な経営課題であり、同時に、企業の未来を切り拓く最大の機会でもある。本稿で詳述してきたように、その道のりは複雑で挑戦に満ちているが、世界のトップランナーたちはすでに具体的な一歩を踏み出し、着実に成果を上げ始めている。GHGプロトコルという共通言語と、SBTiという羅針盤を手に、企業は今こそ自社の航路を明確に描くべき時に来ている。
脱炭素ロードマップの策定:短期・中期・長期の目標とアクションプラン
行動の第一歩は、現在地を正確に把握し、目的地を明確に設定することから始まる。企業は、以下のステップに沿って、自社の脱炭素ロードマップを策定する必要がある。
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排出量の可視化(現在地の把握): まず、GHGプロトコルに基づき、自社のScope 1, 2排出量を算定する。次に、Scope 3の15カテゴリを精査し、自社の事業活動に最も関連性が高く、排出量が大きいと想定されるカテゴリを特定し、概算でも良いので排出量の把握に着手する。AIを活用したクラウドサービスなどを利用すれば、このプロセスを大幅に効率化できる。
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野心的な目標設定(目的地の設定): 可視化された排出量データを基に、SBTiの基準に整合した、科学的根拠に基づく削減目標を設定する。2030年頃までを視野に入れた短期・中期目標と、2050年のネットゼロを見据えた長期目標の両方を設定することが重要である。
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アクションプランの具体化(航路の設計): 設定した目標を達成するための具体的な施策を、時系列で整理したアクションプランに落とし込む。これには、自社内での省エネルギー対策、再生可能エネルギーへの転換(コーポレートPPAの検討など)、そして本稿で詳述したサプライヤー・エンゲージメント戦略の策定が含まれる。
経営トップのコミットメントと全社的推進体制の重要性
サプライチェーン脱炭素は、環境部門やサステナビリティ部門といった一部の専門部署だけで完結するタスクではない。それは、企業の事業活動そのものを変革する経営課題である。したがって、その成功には、経営トップの揺るぎないコミットメントが不可欠である。
CEOや取締役会が脱炭素化を経営の最優先事項として位置づけ、そのビジョンを社内外に明確に発信すること。そして、そのビジョンを具体的な行動に繋げるため、調達、製品開発、生産、物流、営業、財務といった全部門を横断する推進体制を構築すること。部門ごとにKPIを設定し、進捗を経営会議で定期的にレビューするなど、脱炭素化を日常の業務プロセスに組み込む仕組み作りが求められる。
「共創」による価値創造:サプライヤー、顧客、そして競合との新たな関係構築
2050年カーボンニュートラルへの道は、一社単独で踏破できるほど容易ではない。この壮大な挑戦を成し遂げるための最後の、そして最も重要な鍵は「共創(Co-creation)」という姿勢である。
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サプライヤーとの関係: サプライヤーを単なる「コスト削減の対象」や「データ提出の依頼先」として見るのではなく、共に技術革新に取り組み、新たな価値を創造する「パートナー」として位置づけ直す必要がある。
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顧客との関係: 顧客に対して、自社の製品やサービスが持つ環境価値を積極的に伝え、サステナブルな消費を促すことで、市場全体のグリーン化を牽引する役割を担うべきである。
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競合との関係: 個社では解決できない業界共通の課題(例:リサイクルインフラの整備、業界標準の策定など)に対しては、時には競合他社とも連携し、業界全体で解決策を模索する協調の姿勢が求められる。
気候変動という地球規模の課題は、企業間の競争のルールを根底から変えつつある。これからの時代に求められるのは、ゼロサムゲームの発想ではなく、サプライヤー、顧客、そして社会全体と共に持続可能な未来を築き、その過程で新たな価値を生み出していく「共創」のリーダーシップである。そのリーダーシップを発揮する覚悟と戦略を持つ企業こそが、2050年、そしてその先の未来において、真の勝者となるだろう。
FAQ:サプライチェーン脱炭素に関するよくある質問
Q1. 中小企業でもScope3算定は可能ですか?
A1. 可能です。ただし、大企業のように全15カテゴリを網羅的に算定するのは負担が大きいため、まずは自社の事業に最も関連が深く、影響の大きいカテゴリ(例えば、製造業であればカテゴリ1「購入した製品・サービス」)に絞って算定を始めるのが現実的です。環境省が提供する基本ガイドラインや、近年普及している比較的安価なクラウド算定ツールを活用することで、専門知識がなくても算定に着手しやすくなっています。また、本稿で提案した「脱炭素コレクティブ」のように、地域の企業や金融機関と連携して共同で取り組むことも有効な手段です。
Q2. サプライヤーがデータを開示してくれない場合はどうすればよいですか?
A2. 多くの企業が直面する課題です。まずは、なぜデータが必要なのか(自社のScope 3算定やSBT目標達成のため、最終顧客からの要請など)、その背景と目的を丁寧に説明し、理解を求めることが第一歩です。一方的に要求するだけでなく、排出量算定に関する勉強会の開催やツールの紹介など、サプライヤーの能力開発を支援する姿勢が重要です。それでも一次データの入手が困難な場合は、業界平均の排出係数や文献値を用いた推計値(二次データ)から始め、徐々に一次データへの切り替えを目指すという段階的なアプローチが推奨されます。
Q3. 脱炭素投資の回収期間は一般的にどのくらいですか?
A3. 投資の内容によって大きく異なります。例えば、工場の照明をLEDに交換する、高効率な空調設備に更新するといった省エネルギー投資は、電気料金の削減効果が直接的に現れるため、数年で投資回収できるケースが多くあります。一方で、大規模な太陽光発電設備の導入や、製造プロセスの根本的な変更を伴う投資は、回収期間が10年以上と長期にわたることもあります。重要なのは、短期的な投資回収だけでなく、将来の炭素税導入などのリスク回避や、企業価値の向上といった長期的なリターンも考慮して、総合的に投資判断を行うことです。
Q4. カーボンクレジットの購入だけでSBT目標は達成できますか?
A4. いいえ、SBTiの基準では、カーボンクレジットの購入(オフセット)は、自社のバリューチェーン内で最大限の排出削減努力を行った上で、それでも残ってしまう「残余排出量」を中和するためにのみ使用が認められています。短期・中期の削減目標の達成手段としてオフセットを用いることはできません。SBTiは、あくまで企業自身の事業活動を通じて排出量を削減すること(アベートメント)を最優先としています。
Q5. 日本の再エネ比率が低い中で、一企業として何ができますか?
A5. 日本全体として再エネ比率が低いことは事実ですが、企業として取り組めることは数多くあります。
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自家消費型太陽光発電の導入: 自社の屋根や敷地に太陽光パネルを設置する「オンサイトPPA」や自己投資は、最も直接的な手段です。
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コーポレートPPAの活用: 国内でも事例が増えている「オフサイトPPA」を活用し、特定の発電所から再エネ電力を長期的に購入することが可能です。
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再エネ電力メニューの契約: 取引のある電力会社が提供する、非化石証書などを活用した「実質再エネ」メニューに切り替えることも有効な選択肢です。
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共同購入の検討: 本稿で提案したように、地域の企業や業界団体と連携し、共同で再エネを調達することで、コストを抑えながら導入を進めることも考えられます。
ファクトチェック・サマリー
本レポートの作成にあたり、情報の正確性と信頼性を担保するため、以下の原則に基づきファクトチェックを実施しました。
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GHGプロトコルおよびSBTiに関する記述: GHG Protocol公式サイトおよびScience Based Targets initiative公式サイトで公開されている最新のスタンダード、ガイダンス、FAQ文書を一次情報源としています。特に、Scopeの定義、Scope 3のカテゴリ分類、SBTiの目標設定基準については、公式文書の記述と整合性を確認しています。
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企業事例に関する記述: Unilever、トヨタ自動車、Walmart、花王、富士通などの企業事例は、各社が発行するサステナビリティレポート、統合報告書、公式ウェブサイトのニュースリリース、およびCDPへの回答書など、企業自身が公開している情報を基に記述しています。第三者による報道や分析レポートを参考にする場合も、可能な限り一次情報との突合を行っています。
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市場データおよび調査レポートの引用: 世界経済フォーラム(WEF)、BCG、デロイト、マッキンゼーなどが発表したレポートからのデータ引用については、公開されているレポート本文を参照し、数値や結論の正確性を確認しています。
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技術情報に関する記述: コーポレートPPA、サーキュラーエコノミー、CCUSなどの技術的・制度的枠組みに関する記述は、環境省、経済産業省などの公的機関が発行する報告書やガイドライン、および専門機関の公開情報を基にしています。
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出典の明記: 本文中のすべての主要なデータ、事実、分析には、参照元となった資料を特定するための出典ID “ を付記し、トレーサビリティを確保しています。
以上のプロセスを通じて、本レポートは2025年時点の最新かつ信頼性の高い情報に基づき、客観的な事実と専門的な分析で構成されていることを確認しています。
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