再エネ主力化時代の電力市場設計 ベルリンの専門家集団Neonに学ぶ、日本の次なる一手

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国際航業株式会社カーボンニュートラル推進部デジタルエネルギーG

樋口 悟(著者情報はこちら

国際航業 カーボンニュートラル推進部デジタルエネルギーG。環境省、トヨタ自働車、東京ガス、パナソニック、オムロン、シャープ、伊藤忠商事、東急不動産、ソフトバンク、村田製作所など大手企業や全国中小工務店、販売施工店など国内700社以上・シェアNo.1のエネルギー診断B2B SaaS・APIサービス「エネがえる」(太陽光・蓄電池・オール電化・EV・V2Hの経済効果シミュレータ)のBizDev管掌。再エネ設備導入効果シミュレーション及び再エネ関連事業の事業戦略・マーケティング・セールス・生成AIに関するエキスパート。AI蓄電池充放電最適制御システムなどデジタル×エネルギー領域の事業開発が主要領域。東京都(日経新聞社)の太陽光普及関連イベント登壇などセミナー・イベント登壇も多数。太陽光・蓄電池・EV/V2H経済効果シミュレーションのエキスパート。Xアカウント:@satoruhiguchi。お仕事・新規事業・提携・取材・登壇のご相談はお気軽に(070-3669-8761 / satoru_higuchi@kk-grp.jp)

むずかしいエネルギー診断をカンタンにエネがえる
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目次

再エネ主力化時代の電力市場設計 ベルリンの専門家集団Neonに学ぶ、日本の次なる一手

序章:2030年への岐路――日本の電力システムが直面する「静かなる危機」

日本のエネルギー政策は、今、重大な岐路に立たされている。2050年のカーボンニュートラル達成という壮大な目標に向け、再生可能エネルギー(以下、再エネ)の導入を加速させる国家的な要請は日増しに強まっている。しかし、その意欲的な目標と、現在の電力システムの現実との間には、深刻な乖離が存在する。これは、大規模停電のような劇的な出来事ではないが、日本のエネルギー転換の土台そのものを蝕む「静かなる危機」と呼ぶべき構造的な問題である。

この危機の核心は、技術的な限界や投資の不足というよりも、むしろ電力市場の「設計思想」そのものにある。日本の電力市場は、依然として大規模・集中的な化石燃料発電所が安定的に電力を供給することを前提に構築されている 1。この旧来のシステムの上で、出力が自然条件に左右される変動性再エネ(VRE)を主力電源へと押し上げようとする試みは、数々の歪みを生み出している。北海道や東北、九州といった再エネ資源が豊富な地域で発電された電力が、大消費地である都市部へ送電できずに滞留する「系統混雑」は常態化し、貴重なクリーンエネルギーの出力抑制が頻発している 3。これは、単にインフラが不足しているという物理的な問題だけでなく、市場が「どこで」「いつ」発電される電気に価値があるのかという、最も重要な価格シグナルを正しく発信できていない経済的な問題の表れである。この根本的な設計不全が、効率的な設備投資を阻害し、柔軟性(フレキシビリティ)リソースの導入を遅らせ、結果としてエネルギー転換全体のコストを増大させている。

この複雑で根深い課題を乗り越えるため、我々は欧州、特にエネルギー転換「Energiewendeの最前線で格闘してきたドイツの知見に目を向ける必要がある。その中でも、ベルリンを拠点とするブティックコンサルティングファームNeon Neue Energieökonomik(以下、Neon)は、ひときわ異彩を放つ存在だ。創設者であるライオン・ヒルス教授(Prof. Dr. Lion Hirth)をはじめ、学術的な厳密さと実践的な政策提言を両立させる専門家集団として、ドイツ政府や欧州委員会、大手エネルギー企業から絶大な信頼を得ている 5。Neonの特異性は、単なるコンサルタントではなく、高度な定量的経済モデルを駆使して、再エネが主力となる未来の電力市場の挙動を冷徹に分析し、時として業界の常識や規制当局の方針にさえも鋭い異を唱える点にある 7。彼らは、欧州委員会が推進する政策に対しても、その経済的非効率性をデータに基づいて指摘することを厭わない、いわば電力市場設計における「辛口だが、信頼できる友人」である。

本稿は、このNeonの分析を羅針盤とし、日本の電力システム改革が次に踏み出すべき一歩を具体的に描き出すことを目的とする。単にドイツの成功事例を模倣するのではなく、Neonが提供する普遍的な経済学的フレームワークを用いて、日本の固有の課題を診断し、処方箋を導き出す。そのために、本稿ではNeonの分析の中でも特に重要と考えられる以下の3つの核心的テーマを深掘りしていく。

  1. 再給電の罠: 系統混雑の解決策として一見合理的に見える「市場ベースの再給電」が、なぜ逆に状況を悪化させるのか。そのメカニズムを解き明かし、日本への警鐘を鳴らす。

  2. 系統料金の再発明: 受動的なコスト回収の手段であった系統料金を、系統の安定化に能動的に貢献する「動的なインセンティブ」へと転換させる方法を探る。

  3. 究極の価格シグナル: 電力需給の最終的な均衡を司るインバランス(需給不均衡)価格を、リアルタイムの需給逼迫度を正確に反映するよう設計し、あらゆる柔軟性リソースを覚醒させる方策を論じる。

これらの分析を通じて、日本の電力システムが直面する「静かなる危機」の本質が、市場の価格シグナルが歪んでいるという経済的な問題であることを明らかにする。そして、技術的な対症療法や巨額のインフラ投資に偏重するのではなく、市場設計そのものにメスを入れることこそが、持続可能で効率的なエネルギー転換を実現するための最も確実な道筋であることを提示したい。


第1部:再給電の罠――なぜ欧州で推奨される「市場ベース」が機能しないのか

系統混雑は、再エネ大量導入時代における電力システムの最大の隘路(あいろ)の一つである。この問題に対する解決策として、近年、欧州を中心に「市場ベースの再給電(Market-Based Redispatch)」という手法が注目を集めている。これは、従来の規制的な手法に代わり、市場メカニズムを用いて混雑を解消しようという試みであり、一見すると効率的で現代的なアプローチに思える。しかし、Neonの分析は、この直感的な魅力の裏に潜む深刻な欠陥を暴き出し、安易な導入に警鐘を鳴らしている

1.1. 市場メカニズムという魅力的な解決策

まず、市場ベースの再給電がなぜ魅力的に映るのかを理解する必要がある。伝統的な再給電は「コストベース」と呼ばれ、系統運用者(TSO)が特定の発電事業者に対して指令を出し、発電量の増減(上げ・下げ)を強制する。その対価として、発電事業者が負担した実費(燃料費など)と逸失利益が補償される 9。この方法は確実性が高い一方で、いくつかの問題を抱えている。特に、デマンドレスポンス(DR)や蓄電池といった新しい柔軟性リソースを組み込むことが極めて難しい。なぜなら、規制当局が需要家の「電力消費を止めることの対価(Willingness to Pay)」を正確に算定することは不可能に近いからだ 10

これに対し、市場ベースの再給電は、オークション形式で混雑解消に必要な「上げDR」や「下げDR」を募集する。参加者は自らの価値判断に基づいて入札価格を決め、系統運用者は最も経済的な組み合わせを選択する。この仕組みは、理論上、あらゆる柔軟性リソースの参加を促し、競争原理によってコストを最小化できるはずだった 11。欧州委員会もこの考えに基づき、市場ベースの再給電を標準的な手法として推奨してきた経緯がある 10

1.2. Neonが暴く核心的欠陥:「Inc-Decゲーム」

しかし、Neonはゲーム理論を用いた緻密なモデル分析を通じて、この魅力的な解決策が、市場参加者の合理的な行動によって、いかに容易に崩壊するかを明らかにした 12。問題の核心は、「Inc-Dec(Increase-Decrease)ゲーム」と呼ばれる戦略的行動にある。

このゲームが発生する根本的な原因は、二つの異なる価格メカニズムが矛盾した形で共存することにある。一つは、日本のJEPXのように、特定のエリア(ゾーン)内では単一の価格が成立する「ゾーン市場」。もう一つは、系統混雑を解消するために、物理的な場所(ノード)に応じて価格が変動する「ローカルな再給電市場」である。この二つの市場の価格差を、合理的な市場参加者が見逃すはずはない。彼らは利潤を最大化するため、以下のような戦略的入札行動をとるようになる。

  • 混雑エリア(輸出制約エリア)の発電事業者: このエリアの発電事業者は、ゾーン市場で電力を売るよりも、発電量を抑制する「下げ再給電」の対価を得る方が儲かる可能性を予測する。そのため、彼らはゾーン市場において意図的に高い価格で入札し、市場から締め出される(落札しない)ように仕向ける。その結果、系統運用者から「発電量を減らせ」という指令を受け、高い再給電価格で補償金を得るのである 10

  • 希少エリア(輸入制約エリア)の発電事業者: 逆に、電力が不足しているエリアの発電事業者は、ゾーン市場価格よりもさらに高い価格で「上げ再給電」を要請されることを予測する。そのため、彼らはゾーン市場で確実に落札されるよう、意図的に低い価格で入札する。そして、ゾーン市場で売電した後、さらに系統運用者からの要請に応じて出力を上げ、高額な再給電価格を得ることで二重の利益を狙う 12

この一連の行動が「Inc-Decゲーム」である。これは、市場参加者が共謀したり、市場支配力を行使したりしているわけではない。むしろ、完全に競争的な市場環境下で、各々が自社の利益を最大化しようとした結果、必然的に発生する現象なのである 12

1.3. 破壊的な結末:意図せざる4つの弊害

Neonの分析によれば、このInc-Decゲームは、電力システム全体に破壊的とも言える4つの深刻な弊害をもたらす。

  1. 物理的な系統混雑の悪化: 最も皮肉な結果は、混雑を解消するための市場が、逆に物理的な混雑をさらに悪化させることである。戦略的な入札により、電力の余っている地域で供給が増え、不足している地域で供給が減るという、系統の物理的制約とは真逆の経済的インセンティブが働く。Neonがドイツの系統を対象に行ったシミュレーションでは、この戦略的行動によって、本来必要だった再給電量が300%から700%にまで増大するという衝撃的な結果が示されている 10

  2. 消費者の負担による超過利潤: 発電事業者は、歪められたゾーン市場価格と、高騰した再給電コストの両方から超過利潤(Windfall Profits)を得る。このコストは最終的に、託送料金などを通じて全て電力消費者が負担することになる 11

  3. 金融市場の歪み: 現物市場であるスポット市場が、物理的な需給実態を反映しなくなるため、先物市場などでの価格ヘッジが極めて困難かつリスキーになる。市場の価格発見機能が著しく損なわれる。

  4. 歪んだ投資インセンティブ: 長期的には、このシステムは「電力の余っている地域に、さらに発電所を建設する」という、全く perverse(倒錯した)な投資シグナルを送ることになる。これにより、将来にわたって系統混雑問題が固定化・悪化する恐れがある 10

この分析が示すのは、市場ベースの再給電が抱える問題が、単なる制度の未熟さや運用上の課題ではなく、ゾーン市場とローカル市場を安易に組み合わせたことによる構造的な設計不全であるという事実だ。これは、ある物理的な制約を解決するために導入された経済的なツールが、合理的な経済主体の行動を通じて、その物理的な制約自体を悪化させるという、市場設計における根深いパラドクスを露呈している。

1.4. 代替案の検討:欠陥のある「容量ベース」再給電

エネルギー支払いを伴う再給電市場(エナジーベース)の欠陥が明らかになる中で、代替案として「容量ベース(Capacity-Based)」の再給電メカニズムが検討されてきた。これは、実際の発電量(kWh)の増減に対して支払うのではなく、再給電のために待機(アベイラビリティ)する能力(kW)に対して、あらかじめ長期契約などで支払いを行うという考え方14。直接的なエネルギー支払いのインセンティブをなくすことで、Inc-Decゲームを防ごうという狙いがあった。

しかし、Neonのさらなるゲーム理論分析は、この代替案もまた本質的な欠陥を抱えていることを示した 14問題は、待機容量への支払い(アベイラビリティ支払い)自体が、新たな戦略的行動を誘発する点にある。例えば、本来であれば操業を停止していたはずの工場が、アベイラビリティ支払いを得るためだけに、意図的に電力消費を開始し、「いつでも消費を止められますよ」と再給電市場に参加するインセンティブを持つ。結果として、このメカニズムが提供する混雑解消ポテンシャルと、それが新たに生み出す混雑悪化の要因が、ほぼ等しくなってしまう可能性がある。つまり、この制度は自らが作り出した問題を解決しているに過ぎないという、自己矛盾に陥るのである。このメカニズムは、システムにとって本当に有益な「善玉」の参加者と、制度を悪用する「悪玉」の参加者を区別することができないのだ 14

1.5. 日本への警鐘と次への示唆

Neonの一連の分析は、日本の電力システム改革に対して、極めて重要な示唆を与える。日本の電力系統は、東西の周波数境界や、東北と東京、九州と本州を結ぶ連系線など、恒常的かつ深刻なボトルネックを多数抱えている 2。これはまさに、Inc-Decゲームが発生するための完璧な土壌である。

現在、日本では「再給電方式」というコストベースの非市場的な仕組みが運用されている15、今後の改革のステップとして、欧州の流行に倣って安易に市場ベースの再給電を導入することは、Neonが警告する「罠」に自ら飛び込むことに等しい。Neonがドイツ政府に対して行った提言は、「市場ベースの再給電導入に反対する」という、極めて明確なものであった 10。この結論は、イデオロギー的に「市場は常に優れている」と考えるのではなく、厳密なデータと経済分析に基づいて政策を判断することの重要性を示している。

では、どうすればよいのか。Neonの分析は、混雑解消という対症療法のために複雑で歪んだ市場を創設するのではなく、問題の根本原因、すなわち「電気の場所的価値が価格に反映されていない」という課題に直接取り組むべきだと示唆している。これこそが、次章で論じる「系統料金の再発明」へと繋がる、本質的な処方箋なのである。


第2部:系統料金の再発明――「静的なコスト」から「動的なインセンティブ」へ

系統混雑という病巣に、市場ベースの再給電という「劇薬」を投じることの危険性を明らかにした上で、Neonの分析はより根本的でエレガントな処方箋を提示する。それは、電力システムの「血管」である送配電網の利用料金、すなわち「系統料金(Grid Tariffs)」を、単なるコスト回収の仕組みから、系統全体の最適化を促す動的なインセンティブ装置へと進化させることである。

2.1. 時代遅れの「静的な」系統料金

日本を含む多くの国々で、伝統的な系統料金は、過去のインフラ投資コストを回収することを主目的に設計されてきた。料金体系は、使用電力量に応じた従量料金(円/kWh)や、契約電力に応じた基本料金(円/kW)が中心であり、その単価は年間を通じて、あるいは時間帯や場所にかかわらずほぼ固定されている。

この「静的」で「画一的」な料金体系は、VREがほとんど存在しなかった時代には十分に機能したかもしれない。しかし、太陽光や風力発電が大量に導入された現代の電力システムにおいては、深刻な非効率性を生み出す。なぜなら、この料金体系は、電力の利用者に、系統の状況を考慮するインセンティブを一切与えないからだ。例えば、ある地域の送電線が太陽光発電の大量出力でパンク寸前になっている時も、需要家がそこで電力を大量に消費することに対するペナルティは何もない。逆に、電力が余っている時に消費を増やすことへのインセンティブも存在しない。系統料金は、システムの状態を伝える情報を何も含んでいない「鈍感な(Dumb)」シグナルに成り下がっているのである。

2.2. Neonの提案:動的・地域差を設けた料金体系

これに対し、Neonは系統料金を系統混雑管理の能動的なツールとして活用することを提唱している 16。その核心的なアイデアは、系統料金を時間と場所に応じてダイナミックに変動させることにある。

  • コンセプト: 系統料金は、その時々の送配電網の利用コストをリアルタイムに反映すべきである。ある地域の送電線が混雑している時、そのエリアでの電力の託送(送電)に対する料金は高く設定されるべきだ。逆に、送電網に十分な空き容量がある時、あるいは太陽光発電の出力が過剰で電気が余っている時には、料金は低く、場合によってはマイナス(つまり、電力消費に対して補助金が支払われる)にさえなり得る

この仕組みは、系統利用者に明確な価格シグナルを送る。混雑を悪化させる行動(混雑エリアでの発電や需要増)はコストを伴い、混雑を緩和する行動(混雑エリアでの需要増や発電減)は利益をもたらす。これにより、系統運用者が中央集権的に指令を出すのではなく、無数の市場参加者が分散的に、かつ自律的に系統に優しい行動をとるよう誘導することができる

2.3. ケーススタディ:「大型蓄電池の系統便益(Grid Serviceability)」

この動的料金の有効性を具体的に示したのが、Neonが2025年に発表した「大型蓄電池の系統便益(Grid serviceability of large batteries)」と題する画期的なレポートである 17。この研究は、系統料金の設計が、蓄電池のような柔軟性リソースの価値をいかに左右するかを定量的に明らかにしている。

まず、Neonは「系統便益(Grid Serviceability)」という重要な概念を定義した。これは、ある系統利用者が、再給電コストの削減など、システム全体のコストを低減させる能力を指す 17。蓄電池は、単に安い時に電気を貯め、高い時に売る(裁定取引)だけでなく、系統の安定化に貢献することで、さらなる価値を生み出すポテンシャルを持つ。

このレポートの分析結果は示唆に富んでいる。

  • 現状の課題: 静的な系統料金の下では、蓄電池事業者は卸電力市場の価格のみを見て充放電を決定する。その結果、系統がすでに混雑しているにもかかわらず、卸電力価格が安いという理由で充電を行い、意図せず混雑を悪化させてしまうケースが、運用時間の約20%で発生することが示された 17。静的な系統料金は、結果的に再給電コストを増大させる方向に働く 17

  • 解決策としての動的料金: これに対し、時間帯別料金(Time-of-Use Tariffs)や、より高度な地域別の価格シグナルといった動的な料金体系を導入することで、蓄電池の系統便益は劇的に向上する 17蓄電池は、卸電力価格だけでなく、系統の混雑状況も考慮して充放電を行うようになり、システム全体のコストを削減する真に「スマート」なリソースへと変貌する。分析によれば、最も効果的な手段は、動的な再給電価格シグナル(つまり、混雑の度合いを直接価格に反映させること)であった 17

この研究は、系統料金の設計が、単なるコスト回収の問題ではなく、蓄電池のような最先端技術の価値を最大限に引き出し、システム全体の効率性を向上させるための極めて強力な政策ツールであることを証明した。

2.4. システム全体の柔軟性を解き放つ

動的料金のインパクトは、大型蓄電池にとどまらない。それは、電力システムに接続されたあらゆる分散型エネルギーリソース(DERs)の潜在能力を解き放つ鍵となる。

  • スマート充電: Neonが手掛けた電気自動車(EV)のスマート充電に関するプロジェクトでは、動的な料金体系がEVオーナーに、電力が最も安く、かつ系統に最も優しい時間帯に充電するインセンティブを与えることが示されている 18。これにより、数百万台のEVが、系統を不安定化させる負荷から、巨大な仮想蓄電池へと変わる

  • デマンドレスポンス: 動的な料金体系は、工場や商業ビルなどの需要家がデマンドレスポンスに参加するための最も自然なインセンティブとなる。電力価格や系統料金が高いピーク時間帯や混雑時間帯に電力消費を抑制・シフトすれば、直接的な経済的メリットが得られるからだ。

このように、動的料金は、電力システムを「受動的な配送網」から、無数のDERsが相互作用し、価値を交換する「能動的で最適化されたプラットフォーム」へと変貌させる。これは、従来のトップダウン型の制御から、ボトムアップ型の自律的な調整へと、電力システムの運用パラダイムそのものを転換させる力を持っている。

2.5. 日本の文脈への接続と提言

日本の系統混雑は、本質的に「場所」の問題である。動的かつ地域差を設けた系統料金は、この問題の根本に直接働きかける、経済的に最も効率的なツールである。これは、第1部で論じた、ゲーム理論的な欠陥を抱える市場ベースの再給電よりも、はるかに直接的で、操作(ゲーミング)されにくい解決策と言える。

このアプローチは、日本で進められている「コネクト&マネージ」の考え方とも整合性が高い 2。コネクト&マネージは、既存の送電網を最大限活用することを目的とするが、動的料金は、その活用を促すための強力な価格インセンティブという、決定的に重要な要素を付け加える。巨額のコストと長い年月を要する送電網の増強工事に着手する前に、まず価格メカニズムによって既存設備の利用効率を極限まで高めることは、賢明かつ経済的な戦略である。

さらに、この料金体系は、九州電力管内などで深刻化している「ダックカーブ現象」(昼間の太陽光発電の大量出力により電力需要が落ち込み、夕方に急増する現象)の緩和にも貢献する 3。昼間の系統料金を大幅に引き下げる、あるいはマイナスにすることで、その時間帯の電力消費(例えば、EVの充電や給湯器の稼働)を促し、太陽光の出力抑制を回避しつつ、夕方のピーク需要を平準化することが可能になる。

日本の電力システム改革は、今こそ系統料金を聖域視することなく、その設計思想を根本から見直すべきである。それは、再エネ主力化時代における、最も費用対効果の高い投資の一つとなるだろう。


第3部:究極の調整者、インバランス価格――需給最終均衡のシグナルをどう設計するか

電力市場において、あらゆる取引が終了した後の最後の砦、それが「インバランス(需給不均衡)決済制度」である。発電事業者や小売事業者が計画通りに発電・需要を管理できなかった場合、その過不足(インバランス)を系統運用者が最終的に調整し、そのコストを原因者に課金する。この時に適用される「インバランス価格」は、単なるペナルティ料金ではない。それは、電力システムにおけるリアルタイムの需給逼迫度を映し出す究極の価格シグナルであり、その設計の巧拙が、システム全体の効率性と安定性を大きく左右する。

3.1. 欧州モデル:統合と限界価格決定方式

欧州連合(EU)は、「電力バランシングに関するガイドライン(EBGL)」を通じて、国境を越えた単一の欧州バランシング市場の創設を目指してきた 19。その実現を担うのが、「PICASSO」(自動周波数回復予備力(aFRR)用)「MARI」(手動周波数回復予備力(mFRR)用)といった国際的なプラットフォームである 21。これらのプラットフォームは、各国から提出された調整力の入札(メリットオーダー)を統合し、最も安価なものから順に起動することで、欧州全体で調整力コストを最小化する仕組みだ。

この欧州モデルの核心は、限界価格決定方式(Marginal Pricing / Pay-as-Cleared)の採用にある 23。インバランス価格は、需給をバランスさせるために起動された調整力のうち、最も高価だった入札価格によって単一に決定される。需給が逼迫し、高価な調整力まで動員せざるを得ない状況ではインバランス価格が急騰し、逆に需給に余裕がある時は安価になる。これにより、市場参加者に対して、リアルタイムの電力の希少価値(Scarcity)に関する、極めてシャープで経済的に効率的なシグナルが送られる。この考え方は、「バランシングを市場均衡として捉える」というNeonの学術的な見解とも完全に一致している 7

3.2. 日本の需給調整市場の機能不全

この洗練された欧州モデルとは対照的に、2021年に本格運用を開始した日本の「需給調整市場」は、深刻な機能不全に陥っている。この市場は、再エネの変動を吸収するための調整力を、競争原理に基づき効率的に調達することを目的として創設された。しかし、その現実は、慢性的な流動性不足という危機的な状況にある。

データは、その深刻さを雄弁に物語っている。市場開設以来、特に応答速度の速い調整力(一次調整力、二次調整力①)において、系統運用者が必要とする募集量に対し、入札量が大幅に不足する「応札量未達」が常態化している 24入札が少ないため、価格は高騰・乱高下し、結果的に系統運用者は市場外での相対契約や旧来の仕組みに頼らざるを得ず、調整コストが増大するという悪循環に陥っている 24

この流動性不足の背景には、複数の要因が考えられる。市場が商品ごとに細分化されすぎていること、日本が世界有数の保有量を誇る揚水発電やデマンドレスポンスといった貴重な柔軟性リソースが、何らかの理由で市場に十分に参入できていないこと 25、そして、市場の価格決定メカニズムやルールが複雑で、参加者にとってのリスクや不確実性が高いことなどが指摘されている。この状況は、単なる市場の「産みの苦しみ」では済まされない。調整力の確保はVRE統合の生命線であり、この市場の機能不全は、日本のエネルギー転換そのもののボトルネックとなっている。

3.3. 日本のインバランス価格制度改革への道筋

日本のインバランス料金制度は、2022年4月に、従来の固定的な算定式から、JEPX価格や需給調整市場価格を反映する、より市場連動性の高い仕組みへと移行した。これは大きな前進であったが、依然として課題は多い。特に、需給が極度に逼迫した際に、インバランス価格が時間前市場(Intraday Market)の価格と連動せず、市場参加者に適切な回避行動を促すシグナルとして十分に機能していないケースが見られる 29

日本のインバランス価格制度が目指すべき方向性は、欧州モデルが示すように、透明で信頼性の高い、単一の限界価格シグナルを確立することである。需給調整市場で実際に約定した限界的な調整力のコストが、直接かつ迅速にインバランス価格に反映される仕組みを構築する必要がある。これにより、市場参加者には二つの強力なインセンティブが働く。第一に、インバランスを発生させることのコストが明確になるため、彼らはゲートクローズ直前まで時間前市場で自らのポジションを調整し、極力インバランスを減らそうと努力する。第二に、高いインバランス価格が期待できる局面では、柔軟性を持つリソース(蓄電池、DR、揚水など)を需給調整市場に提供するインセンティブが生まれる。

この慢性的な流動性不足は、単なる技術的な問題ではなく、市場設計に対する参加者の信頼の欠如の表れである。日本には、揚水発電のような物理的な調整力リソースが豊富に存在する 28それらが市場に出てこないのは、現在の市場ルールでは、運用コストやリスクに見合うだけの安定的で予見可能な収益を期待できないからに他ならない。欧州のような透明性の高い限界価格メカニズムを導入し、「正直な入札(Honest Bidding)」が報われる市場環境を整えることが、眠っている調整力ポテンシャルを呼び覚ますための不可欠な一歩である。

3.4. 究極の目標:kWhとΔkWの同時最適化

さらに、日本の市場改革が長期的に目指すべきは、現在バラバラに取引されている「エネルギー(kWh)」と「調整力(ΔkW)」を、一つの市場で同時に最適化する「同時市場(Simultaneous Market)」の実現である 24。欧州の統合市場は、実質的にこの同時最適化に近い機能を有している。

効率的なインバランス価格は、この壮大な目標を達成するための究極のアンカーとなる。なぜなら、リアルタイムのインバランス価格こそが、あらゆる柔軟性リソースの機会費用を定義するからだ。蓄電池やEV、DR事業者のビジネスモデルは、すべて価格の変動を利用した裁定取引に基づいている。最も価格変動が大きく、その価値が顕在化するのが、リアルタイムに近いバランシングの時間軸である。もし、この最終価格シグナルが歪んでいたり、人為的に抑制されていたりすれば、柔軟性リソースへの投資インセンティブは根本から失われてしまう。

したがって、インバランス価格制度の改革は、単なる系統運用者のコスト回収の問題ではない。それは、日本のエネルギー転換に不可欠な、蓄電池からデマンドレスポンスに至るまで、あらゆる柔軟性リソースへの民間投資を呼び込むための最も重要な前提条件なのである。


結論:日本の電力システム改革・次章への提言

本稿では、ベルリンの専門家集団Neonの鋭い分析を鏡として、再エネ主力化時代における日本の電力市場設計の課題と進むべき道を考察してきた。Neonの知見は、日本の改革が直面する複雑な課題を解きほぐし、次なる一手を描くための明確な指針を与えてくれる。

4.1. Neonの分析から得られる三つの核心的教訓

分析を通じて浮かび上がった核心的な教訓は、以下の三点に集約される。

  1. 「再給電の罠」を回避せよ: 系統混雑対策として、安易に市場ベースの再給電を導入してはならない。ゾーン市場とローカル市場の矛盾した組み合わせは、合理的な市場参加者の戦略的行動(Inc-Decゲーム)を誘発し、結果的に混雑とコストを悪化させる構造的欠陥を内包している。これは、対症療法が原疾患を悪化させる典型例である。

  2. 動的なインセンティブを設計せよ: 混雑問題の根本解決は、電気の「場所的・時間的価値」を価格に反映させることにある。その最も直接的で効率的な手段が、系統料金の動的化・地域別化である。これは、再給電という事後的な対策よりもはるかに優れており、あらゆる分散型リソースの系統貢献を促す、未来志向のプラットフォーム設計の要となる。

  3. 流動性あるバランシング市場を構築せよ: 再エネの変動性を吸収する調整力の確保は、エネルギー転換の成否を分ける。そのためには、欧州モデルに倣い、統合されたプラットフォームと、透明性の高い限界価格決定方式に基づくインバランス価格制度を確立することが急務である。シャープで信頼性の高い価格シグナルこそが、眠っている柔軟性リソースを市場に呼び込み、流動性を生み出す唯一の道である。

4.2. 日本のための改革ロードマップ

これらの教訓に基づき、日本の電力システム改革は、以下の段階的なロードマップに沿って進められるべきである。

  • 短期(1~2年):系統料金改革への着手

    • 最優先で取り組むべきは、系統料金の改革である。特定の混雑エリアを対象に、地域別・時間帯別料金のパイロットプロジェクトを速やかに開始する。これは、他の改革の成否にかかわらずシステム全体の効率性を高める「後悔しない(No Regrets)」政策であり、改革の機運を醸成する上でも効果的である。

  • 中期(2~5年):需給調整市場の抜本的再設計

    • 現在の機能不全に陥っている需給調整市場を、根本から再設計する。商品区分を整理・統合し、単一のメリットオーダーと限界価格決定方式を基本とする、流動性の高いプラットフォームへと刷新する。これには、広域機関やTSOの役割強化を含む、制度的な大手術が必要となるが、柔軟性確保のためには避けて通れない道である。

  • 長期(5年~):次世代の混雑管理メカニズムの確立

    • 動的な系統料金と、流動性のあるバランシング市場が機能し始めれば、事後的な再給電の必要性は大幅に減少するはずである。その上でなお残る、真にシステム保安上必要な混雑管理については、Neonの警告を肝に銘じ、Inc-Decゲームの余地がない、限定的かつターゲットを絞った調達メカニズム(例えば、特定の保安要件を満たすための長期契約など)を検討すべきである。広範で操作されやすい市場を創設する轍を踏んではならない。

4.3. 二つのシステムの物語:欧州モデルと日本の現状

本稿で論じてきた改革の方向性を、以下の表に集約する。これは、Neonの分析に裏打ちされた先進的な欧州モデルと、日本が抱える現状とのギャップを明確にし、改革の必要性を浮き彫りにするものである。

表1:欧州と日本の電力市場メカニズムの比較

特徴 欧州モデル(Neonの原則に基づく) 日本の現状 日本への示唆
系統混雑管理 ゲーム理論的欠陥のある市場ベース再給電から距離を置き、地域別価格シグナル(ノード価格、動的料金)を重視する傾向。 コストベースの非市場的再給電方式。市場ベースのアプローチも検討段階。 警告: 「Inc-Decゲーム」の罠を回避せよ。欠陥のある二次市場より、直接的な価格シグナルを優先すべき。
系統料金 系統に優しい行動を促すため、動的かつ時間・場所別に差別化された料金体系への移行が進展。 主にコスト回収を目的とした、静的・画一的な従量・基本料金。動的インセンティブは限定的。 好機: 動的料金を混雑管理とDERの柔軟性活用のための中核的ツールとして位置づけるべき。
需給調整市場 国境を越えた統合プラットフォーム(PICASSO, MARI)により、高い流動性と共通メリットオーダーを実現。 細分化された新市場は、深刻な流動性不足、価格変動、高い調達コストに直面。 緊急性: 参加を促すため、統合、共通メリットオーダー、透明性の高い価格設定に基づき再設計すべき。
インバランス価格設定 起動された調整力の限界費用に基づく単一のインバランス価格(Pay-as-Cleared)。シャープで信頼性の高い希少性シグナルを形成。 JEPXと需給調整市場価格に連動する複雑な体系。需給逼迫時のシグナルが歪む、あるいは弱い場合がある。 必然性: 単一の限界価格アプローチを採用し、市場参加者のバランス維持と柔軟性提供への強力なインセンティブを創出すべき。

4.4. 結びの言葉:効率的で強靭なエネルギー経済へ

日本のエネルギー転換は、単に再エネの比率を高めるという量的な目標達成に留まるものではない。その先にあるべきは、経済的に効率的で、需給変動に対して強靭であり、そして新たなビジネスやイノベーションが次々と生まれる、真に持続可能でダイナミックなエネルギー経済の構築である。

Neonの分析が示すように、その鍵を握るのは、物理的なインフラの増強だけではなく、市場参加者の行動を賢く誘導する、洗練された市場設計である。価格シグナルという見えざる手を正しく機能させることで、システムは自律的に最適化され、最小の社会コストで最大の便益を生み出す。

今こそ、対症療法的な規制の継ぎ接ぎを脱し、電力市場の根源的な設計思想に立ち返る勇気が求められている。本稿で提示したNeonの知見が、日本の電力システム改革を次なる章へと導く、確かな羅針盤となることを切に願う。

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著者情報

国際航業株式会社カーボンニュートラル推進部デジタルエネルギーG

樋口 悟(著者情報はこちら

国際航業 カーボンニュートラル推進部デジタルエネルギーG。環境省、トヨタ自働車、東京ガス、パナソニック、オムロン、シャープ、伊藤忠商事、東急不動産、ソフトバンク、村田製作所など大手企業や全国中小工務店、販売施工店など国内700社以上・シェアNo.1のエネルギー診断B2B SaaS・APIサービス「エネがえる」(太陽光・蓄電池・オール電化・EV・V2Hの経済効果シミュレータ)のBizDev管掌。再エネ設備導入効果シミュレーション及び再エネ関連事業の事業戦略・マーケティング・セールス・生成AIに関するエキスパート。AI蓄電池充放電最適制御システムなどデジタル×エネルギー領域の事業開発が主要領域。東京都(日経新聞社)の太陽光普及関連イベント登壇などセミナー・イベント登壇も多数。太陽光・蓄電池・EV/V2H経済効果シミュレーションのエキスパート。Xアカウント:@satoruhiguchi。お仕事・新規事業・提携・取材・登壇のご相談はお気軽に(070-3669-8761 / satoru_higuchi@kk-grp.jp)

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