「稼ぐ力」強化に向けた会社法改正 コーポレートガバナンス研究会報告書の影響分析

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国際航業株式会社カーボンニュートラル推進部デジタルエネルギーG

樋口 悟(著者情報はこちら

国際航業 カーボンニュートラル推進部デジタルエネルギーG。環境省、トヨタ自働車、東京ガス、パナソニック、オムロン、シャープ、伊藤忠商事、東急不動産、ソフトバンク、村田製作所など大手企業や全国中小工務店、販売施工店など国内700社以上・シェアNo.1のエネルギー診断B2B SaaS・APIサービス「エネがえる」(太陽光・蓄電池・オール電化・EV・V2Hの経済効果シミュレータ)のBizDev管掌。再エネ設備導入効果シミュレーション及び再エネ関連事業の事業戦略・マーケティング・セールス・生成AIに関するエキスパート。AI蓄電池充放電最適制御システムなどデジタル×エネルギー領域の事業開発が主要領域。東京都(日経新聞社)の太陽光普及関連イベント登壇などセミナー・イベント登壇も多数。太陽光・蓄電池・EV/V2H経済効果シミュレーションのエキスパート。Xアカウント:@satoruhiguchi。お仕事・新規事業・提携・取材・登壇のご相談はお気軽に(070-3669-8761 / satoru_higuchi@kk-grp.jp)

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目次

「稼ぐ力」強化に向けた会社法改正 コーポレートガバナンス研究会報告書の影響分析

序論:日本企業「稼ぐ力」強化に向けた新たな羅針盤

日本経済が30年来のデフレからの完全脱却という歴史的転換点を迎える中、企業の持続的な成長と企業価値向上は国家的な最重要課題として位置づけられている 1。特に、東京証券取引所による低PBR(株価純資産倍率)企業への改善要請に象徴されるように、日本企業の資本効率と収益性、すなわち「稼ぐ力」の抜本的な強化が、国内外の投資家から強く求められている。

このようなマクロ経済的・政策的要請を背景として、2024年9月、経済産業省は「『稼ぐ力』の強化に向けたコーポレートガバナンス研究会」(以下、本研究会)を設置した 2。本研究会は、日本企業の「稼ぐ力」を強化するため、コーポレートガバナンス改革のあり方と、その基盤となる会社法改正の方向性について集中的な議論を行うことを目的としていた 2

本稿が分析対象とするのは、この研究会における議論の集大成として2025年1月17日に公表された「『稼ぐ力』の強化に向けたコーポレートガバナンス研究会 会社法の改正に関する報告書」(以下、本報告書)である 4。本報告書が提唱する「稼ぐ力」とは、単なる短期的な利益の追求を意味するものではない。それは、各企業が自社の強みや競争優位性を核として、「長期的に目指す姿の実現に向けて、どのようなビジネスモデルを通じて、どのような社会課題を解決し、どのように長期的な企業価値向上に結びつけていくかについての一連のストーリー」、すなわち「価値創造ストーリー」を構築し、実行する能力を指す 3。取締役会は、この価値創造ストーリーを策定し、経営陣による中長期的な視点に立った経営や適切なリスクテイクを後押しする役割を担うべきだとされている 3

本報告書の核心的な命題は、会社法制そのものを、従来のコンプライアンス遵守やステークホルダー保護といった静的な役割に留めるのではなく、企業の価値創造ストーリーの実現を積極的に支援するための「ソフトインフラ」として再定義し、機能させるべきだという点にある 2。この思想は、日本のコーポレートガバナンス改革における重要な哲学的転換を示唆している。

すなわち、法制度を、企業の戦略的な成長、果敢なリスクテイク、そして資本効率の向上を促進するための能動的なツールとして活用しようとする明確な意志の表れである。

このアプローチは、経済産業省が企業法制のあり方について強力なイニシアチブを発揮している点にも見て取れる。伝統的に会社法改正の議論は法務省が所管する法制審議会が主導してきた。しかし、本報告書は経済産業省主導で策定され、今後の法制審議会における会社法制の見直し議論において参考にされることが明記されている 4。これは、経済成長と産業競争力の強化という経済政策上の目標が、会社法の改正アジェンダを直接的に形成するという、新たな政策決定プロセスを象徴している。

法的な形式論理よりも、戦略的な経済目標が優先されるという、官庁間の力学の変化と政策のパラダイムシフトが、本報告書の背景には存在する。

第一部:改革の設計者たち—研究会の構成と議論の力学

本報告書が持つ影響力と実現可能性を理解するためには、その提言を策定した本研究会の構成メンバーを分析することが不可欠である。メンバーの顔ぶれは、今回の改革が単なる一省庁の意向ではなく、日本の法曹界、経済界、学術界、そして資本市場の中核をなすステークホルダー間の広範なコンセンサス形成を意図して設計されたことを明確に示している。

研究会メンバーの構成分析

本研究会は、会社法研究の第一人者である神田秀樹・東京大学名誉教授を座長に据え、その下に学術、法曹、経済界、機関投資家など、各分野を代表する権威が集結した 7。この 構成は、提言内容に学術的な正当性と実務的な妥当性の両方を与えることを目的としている。

メンバーは以下のように分類できる。

  • 学術界: 座長の神田教授に加え、コーポレートガバナンスやCFO研究で著名伊藤邦雄・一橋大学名誉教授会社法の大家である神作裕之・学習院大学教授宮島英昭・早稲田大学教授らが参加し、理論的支柱を形成した 7

  • 法曹界(四大法律事務所): 日本の法務実務を牽引する四大法律事務所から、澤口実弁護士(森・濱田松本法律事務所)、武井一浩弁護士(西村あさひ法律事務所)、塚本英巨弁護士(アンダーソン・毛利・友常法律事務所)、三笘裕弁護士(長島・大野・常松法律事務所)が名を連ねた 7。彼らの参加は、提言が法的に精緻であり、かつ実務において実行可能であることを保証する上で決定的に重要である。

  • 経済界: 日本経済団体連合会(経団連)や経済同友会から代表者が参加しており 7、改革の対象となる企業側の視点が反映され、経済界全体として本報告書の方向性を支持していることを示唆している。

  • 機関投資家: 世界最大の資産運用会社であるブラックロック・ジャパンや、日本投資顧問業協会の代表者が委員として参加している点は特に注目に値する 7。これは、グローバルな資本市場の視点と、投資家が企業に何を期待しているかという要求が、改革プロセスの初期段階から直接的に組み込まれていることを意味する。

  • 企業経営者: 味の素、ANAホールディングス、みずほフィナンシャルグループ、オムロンといった日本を代表する企業の社外取締役を務める経営者や、AGC、住友理工といった事業会社の役員も参加し、ガバナンスの現場からの知見を提供した 7

  • 政府オブザーバー: 法務省、金融庁、そして東京証券取引所から幹部職員がオブザーバーとして参加した 7。これにより、省庁間の連携が図られ、本報告書の提言が将来の法制化や取引所規則の改正プロセスにおいて無視されることのないよう、事前の調整が行われた。

以下の表は、本研究会の主要な委員及びオブザーバーを一覧にしたものである。

表1:「稼ぐ力」の強化に向けたコーポレートガバナンス研究会 委員及びオブザーバー一覧

氏名 主な所属・役職 カテゴリー
神田 秀樹 東京大学名誉教授 座長・学術界
伊藤 邦雄 一橋大学CFO教育研究センター長/一橋大学名誉教授 学術界
岩田 喜美枝 味の素株式会社社外取締役/株式会社りそなホールディングス社外取締役 企業経営者
内ヶ﨑 茂 HRガバナンス・リーダーズ株式会社代表取締役社長CEO 専門家
江良 明嗣 ブラックロック・ジャパン株式会社インベストメント・スチュワードシップ部長 機関投資家
大内 政太 一般社団法人日本経済団体連合会経済法規委員会企画部会長(日本製鉄株式会社特任顧問) 経済界
大場 昭義 一般社団法人日本投資顧問業協会会長 機関投資家
神作 裕之 学習院大学法学部教授 学術界
小林 いずみ ANAホールディングス株式会社社外取締役/株式会社みずほフィナンシャルグループ社外取締役/オムロン株式会社社外取締役 企業経営者
澤口 実 森・濱田松本法律事務所外国法共同事業弁護士 法曹界
高山 与志子 ジェイ・ユーラス・アイアール株式会社副会長 専門家
武井 一浩 西村あさひ法律事務所・外国法共同事業弁護士 法曹界
塚本 英巨 アンダーソン・毛利・友常法律事務所外国法共同事業弁護士 法曹界
西村 義明 住友理工株式会社特別顧問 経済界
三笘 裕 長島・大野・常松法律事務所弁護士 法曹界
宮地 伸二 公益社団法人経済同友会幹事(AGC株式会社代表取締役副社長執行役員) 経済界
宮島 英昭 早稲田大学商学学術院教授 学術界
オブザーバー
渡辺 諭 法務省民事局参事官 政府オブザーバー
野崎 彰 金融庁企画市場局企業開示課長 政府オブザーバー
渡邉 浩司 株式会社東京証券取引所上場部長 政府オブザーバー

出典: 7

資本市場中心モデルへの移行

このメンバー構成は、日本のコーポレートガバナンスが、かつての銀行中心の「メインバンク・システム」から、資本市場を規律の主軸とする現代的なモデルへと決定的に移行しつつあることを物語っている。ブラックロックのようなグローバルな資産運用会社の代表者が主要メンバーとして名を連ねる一方で、日本のメガバンクからの高位の代表者が政策形成の中心にいないことは象徴的である。

本報告書の提言内容が、株式価値を重視し、M&Aや株式報酬、株主との対話といった市場ベースのメカニズムを強化するものであることと、このメンバー構成は完全に符合する 2。これは、企業規律と成長の源泉が、間接金融から直接金融へ、銀行によるモニタリングから株主によるエンゲージメントへとシフトしている現代日本の経済構造を、研究会の設計自体が反映していることを示している。

この周到な事前コンセンサス形成(根回し)のプロセスは、経済産業省が法務省に提言を提示する際に、それが単なる一省庁の意見ではなく、日本の経済・法曹・資本市場のエスタブリッシュメント全体の総意に近いものであるかのように見せる、高度な政策的戦略であると分析できる。これにより、提言が法制審議会で骨抜きにされるリスクを最小化し、法改正の実現性を飛躍的に高めているのである。

第二部:第一の柱—価値創造ストーリーの構築と実行を支える法制度改革

本報告書が提言する会社法改正の第一の柱は、企業が策定した「価値創造ストーリー」を具体的に構築・実行するための選択肢を拡大し、そのための法的インフラを整備することにある 2。これは、経営陣が中長期的な視点で大胆な経営判断を下せる環境を整えることを目的としており、人的資本投資の促進、成長戦略の加速、経営者のリスクテイクの後押しの三つの側面から具体的な制度改正を提言している。

2.1 人的資本投資の促進:従業員等への株式無償交付の解禁

現状の課題: 現代の企業経営において、優秀な人材の獲得・維持は競争力の源泉であり、人的資本への投資は極めて重要である。株式報酬は、従業員のインセンティブを高め、企業価値向上への貢献意欲を引き出すための強力なツールである。令和元年の会社法改正により、取締役や執行役に対しては株式の無償交付が認められ、手続きが簡素化された 9。しかし、企業の価値創造の担い手である従業員に対しては、現行法上、株式の無償交付が直接的には認められていない。そのため、企業が従業員に株式を付与する際には、従業員に金銭報酬請求権を付与し、その債権を会社に現物出資させるという、技巧的で煩雑な「現物出資構成」に頼らざるを得ないのが実情である 9。この手続き上の障壁が、日本企業における株式報酬制度の普及を妨げる一因となってきた。

改正の方向性: 本報告書は、この課題を解決するため、会社法を改正し、株式会社がその従業員及び子会社の役職員に対して株式を無償で交付(譲渡)することを可能にすべきだと提言している 2。これにより、現物出資構成という迂遠な方法を用いる必要がなくなり、企業はより機動的かつ低コストで、広範な従業員に対して株式インセンティブを付与できるようになる。これは、従業員と株主の利害を一致させ、組織全体で価値創造ストーリーの実現を目指すための重要な制度的基盤となる。

戦略的意義: この提言は、単なる手続きの簡素化に留まらない。グローバルな「人材獲得競争」が激化する中で、日本企業が海外の競合他社、特に米国のテクノロジー企業などに見劣りしない魅力的な報酬パッケージを提示できるようにするための戦略的な一手である。従業員が自社の株主となることで、当事者意識が醸成され、生産性の向上やイノベーションの創出が期待される。これは、本報告書が目指す「人的投資の促進」を具体化する、核心的な施策の一つである 2

2.2 成長戦略の加速:株式対価M&Aの利便性向上と対象拡大

現状の課題: 非連続的な成長を実現する上で、M&Aは不可欠な戦略ツールである。特に、自社株式を対価として用いる株式対価M&Aは、手元資金を温存しつつ大規模な買収を可能にするため、企業の成長戦略において極めて有効な手段となり得る。実際に、米国のグーグル(現アルファベット)などの巨大企業は、成長の初期段階から株式対価M&Aを積極的に活用し、事業規模を飛躍的に拡大させてきた歴史がある 9。しかし、日本の現行制度は、特に上場企業間の買収手続きが複雑である、株式交付制度の対象範囲が限定的であるなど、使い勝手の面で課題を抱えており、その利用は限定的であった。

改正の方向性: 本報告書は、企業の「大規模な成長促進」を可能にするため、株式対価M&Aに関する会社法上の規律を見直すことを提言している 2。具体的には、上場企業同士の買収に係る手続きを簡素化し、より迅速な意思決定を可能にすること、そして、現行では利用が難しい外国会社の買収や、子会社株式の追加取得など、株式交付制度の活用可能な範囲を拡大することが検討されている 2

戦略的意義: この改正は、日本企業に、グローバルな競争相手が日常的に用いている強力な「戦略的ツールボックス」を提供することを目的としている。自社株の価値をレバレッジとして活用することで、日本企業は業界再編の主導権を握ったり、海外の先進技術を持つ企業を買収したりといった、これまで以上に大胆な成長戦略を実行しやすくなる。これは、国内市場の成熟化に直面する多くの日本企業にとって、新たな成長機会を創出するための重要な法制度インフラの整備と言える。

2.3 経営者のリスクテイク後押し:責任限定契約の柔軟化

現状の課題: 日本企業の経営者は、株主代表訴訟などのリスクを過度に恐れるあまり、萎縮してしまい、大胆な経営判断を躊躇する傾向があるとしばしば指摘される。イノベーションや事業の変革には不確実性が伴うが、失敗した場合の個人的な責任を懸念することが、中長期的な企業価値向上に資するはずの前向きなリスクテイクを妨げている可能性がある。

改正の方向性: このような経営者の萎縮効果を緩和し、「経営者の大胆なリスクテイク促進」を図るため、本報告書は、経営者と会社との間で締結できる責任限定契約の要件を緩和し、その活用を促進することを検討すべきだとしている 2。これにより、経営者は不測の事態に対する過度な懸念から解放され、企業価値の最大化という本来の職務に、より集中して取り組むことが可能になる。

戦略的意義: この提言は、本研究会が掲げる「取締役会が、経営陣による中長期目線での経営や適切なリスクテイクを後押しする」という理念を法制度面から支えるものである 3。価値創造ストーリーの実現には、時に既存事業の枠組みを超えるような、リスクを伴う決断が必要となる。経営者が適切なリスクを取ることを法的に許容し、奨励する環境を整えることは、日本企業全体のダイナミズムを高め、「稼ぐ力」を内側から強化するために不可欠な要素である。これらの提言は、個別の法改正案というよりも、日本企業をより機動的で、買収に積極的で、グローバルな競争環境で戦える存在へと法的に再設計しようとする、一貫した思想に基づいたパッケージなのである。

2.4 取締役会の機能強化:機関設計の選択肢拡大と監督機能の再定義

現状の課題: 会社の意思決定と監督のあり方を定める機関設計は、コーポレートガバナンスの根幹である。現行の会社法では、指名委員会等設置会社において、取締役の指名や報酬に関する事項の最終決定権は、それぞれの委員会(指名委員会、報酬委員会)に専属的に与えられている。この規律は、たとえ取締役会の過半数が独立した社外取締役で構成されていたとしても、取締役会全体として委員会の決定を覆すことができないという構造を生み出しており、一部の取締役のみが最終決定権を有することに対する懸念が指摘されていた 2

改正の方向性: 本報告書は、このような懸念に対応し、取締役会全体の監督機能を強化する観点から、機関設計のあり方について更なる検討が必要だとしている。具体的な方向性として、取締役会の過半数を社外取締役が占める場合に限り、指名・報酬に関する最終決定権を、委員会から取締役会本体に帰属させる(引き戻す)選択肢を設けることについて、引き続き検討するとしている 2

戦略的意義: この提言は、取締役会の監督機能の本質を問い直すものである。取締役会は個別の業務執行に過度に介入する「マイクロマネジメント」を行うべきではなく、経営のプロセスや体制全体が適切に機能しているかを確認する、一段高い視点からの監督に注力すべきである、という本研究会の基本的な考え方を反映している 3。最終決定権を取締役会に帰属させる選択肢を設けることは、取締役会全体が、会社の重要なガバナンス事項に対して一体として責任を負うという原則を強化する。同時に、それが「社外取締役が過半数」という条件付きであることは、経営の客観性と独立性を担保するための重要なガバナンス上の規律を維持しようとする意図の表れであり、ガバナンスの形骸化を防ぎつつ、取締役会の実効性を高めようとするバランスの取れたアプローチである。

第三部:第二の柱—企業と株主の建設的対話を促す制度的基盤の整備

本報告書が掲げる第二の柱は、企業と株主の間の「意味あるエンゲージメント」を促進するための制度改革である 2。持続的な企業価値向上には、企業経営者が自社の価値創造ストーリーを株主に丁寧に説明し、株主がその内容を理解・評価した上で、建設的な対話を通じて経営を規律づけるという好循環が不可欠である。本報告書は、そのための前提となる透明性の確保と、対話の場である株主総会の効率化・高度化を提言している。

3.1 対話の前提となる透明性の確保:実質株主把握制度の創設

現状の課題: 企業が株主と実質的な対話を行おうとする際、最初の障壁となるのが「誰が本当の株主なのかがわからない」という問題である。日本の株式保有構造では、多くの株式が信託銀行等のカストディアン(名義上の株主)を通じて多層的に保有されており、企業側からは議決権を持つ最終的な投資家、すなわち「実質株主」の姿が見えにくい。この情報の非対称性は、企業が主要な投資家の意向を把握し、的を絞ったエンゲージメント活動を行うことを困難にしている。

改正の方向性: この課題を根本的に解決するため、本報告書は、企業が実質株主に関する情報の開示を求めることを可能にする、新たな「開示請求権制度」の創設を提言している 2。この制度が導入されれば、企業は法的な根拠に基づき、信託銀行等の名義株主に対して、その先にいる実質株主の名称や保有株式数といった情報の提供を請求できるようになる。

戦略的意義: この提言は、日本における株主エンゲージメントの質を劇的に変える可能性を秘めている。企業が自社の主要な投資家を正確に特定できることは、全ての対話の出発点である。これにより、企業は年次総会のような画一的なコミュニケーションに留まらず、中長期的な視点を共有する重要な投資家と平時から継続的かつ深い対話を行うことが可能になる。これは、経営方針への理解を深め、安定株主基盤を構築する上で極めて有効である。

この制度は、株主エンゲージメントにおけるパワーバランスを、より戦略的かつ生産的な方向へとシフトさせる効果も持つ。企業経営陣は、自社の長期戦略を理解してくれるであろう機関投資家を特定し、彼らとの直接対話を通じて支持を取り付けることができる。一方で、物理的な株主総会でのパフォーマンスに頼る一部のアクティビストや、短期的な利益を追求する投資家との対話とは一線を画し、エンゲージメントのプロフェッショナル化を促進する。これは単なる効率化ではなく、対話の「実質化」を目指す戦略的な制度設計なのである 2

3.2 株主総会のDXと効率化:バーチャルオンリー総会の導入と課題

現状の課題: 伝統的な物理的株主総会は、開催コストや運営負荷が大きいだけでなく、遠隔地にいる株主や海外投資家が参加しにくいという構造的な問題を抱えている。これにより、株主総会が形式的なイベントに陥りがちで、実質的な対話の場として十分に機能していないとの批判が根強い。

改正の方向性: 本報告書は、株主総会のデジタルトランスフォーメーション(DX)を推進し、対話の実質化と効率化を両立させる観点から、株主総会のバーチャル化をさらに進めることを検討すべきだとしている 2。特に、物理的な会場を設けない「バーチャルオンリー株主総会」の導入は、コスト削減と参加機会の拡大に大きく貢献し、企業と株主双方にとって「人材・時間の有効活用」を可能にすると期待されている 2

戦略的意義: バーチャルオンリー総会の導入は、株主との対話のあり方を根本から変革する。地理的な制約がなくなることで、世界中の機関投資家が容易に参加できるようになり、株主総会は真にグローバルな対話のプラットフォームとなり得る。実質株主把握制度と組み合わせることで、企業は重要な投資家がオンラインで参加していることを認識した上で、より質の高い質疑応答や議論を展開できる。これは、株主総会を、過去の業績を報告する儀式の場から、未来の価値創造ストーリーについて議論する戦略的な対話の場へと昇華させる可能性を秘めている。株主エンゲージメントの近代化は、日本市場の魅力を高め、海外からの投資を呼び込む上でも重要な要素となるだろう。

第四部:法制審議会への示唆と今後の展望—会社法改正に向けたロードマップ

本報告書は、それ自体が法案ではないものの、今後の会社法改正に向けた極めて影響力の強い政策提言としての性格を持つ。その策定プロセスと内容、そして他のガバナンス改革との連携を分析することで、日本における企業法制の将来的なロードマップを展望することができる。

政策パイプラインにおける位置づけ

本報告書の最も重要な役割は、法務省に設置されている法制審議会・会社法制部会における、次期会社法改正の議論のたたき台となることである 4。経済産業省が主導した本研究会 2 が、法務省の審議会に先立って詳細な報告書を取りまとめたというプロセス自体が、注目に値する。これは、前述の通り、経済界の要請と産業政策的な観点から会社法改正のアジェンダを設定し、法務省での法案化プロセスに強力な方向性を与えようとする、経済産業省の明確な戦略の現れである。

このプロセスは、日本の伝統的な政策形成における「根回し」の洗練された実践例と見ることができる。経済産業省は、法務省の閉じた委員会で議論が始まる前に、法曹界、経済界、学術界、資本市場の主要プレイヤーをすべて巻き込んだオープンな研究会を組織した 7。その結果として生まれた本報告書は、もはや単なる「経済産業省の報告書」ではなく、日本のエスタブリッシュメントによる広範なコンセンサスが反映された文書としての重みを持つ。法制審議会がこの報告書の提言から大きく逸脱することは、政治的にも実務的にも困難であり、本報告書の核心部分が将来の改正会社法に反映される公算は極めて高いと言える 10

広範なガバナンス改革とのシナジー

本報告書の提言は、単独で存在するものではなく、金融庁と東京証券取引所が主導するコーポレートガバナンス・コードやスチュワードシップ・コードの改訂といった、より広範なガバナンス改革の流れと密接に連携し、相乗効果を生むように設計されている。

例えば、本報告書が提言する従業員等への株式無償交付の解禁 9 は、コーポレートガバナンス・コードが求める、中長期的な業績と連動する報酬制度の導入を法制度面から強力に後押しするものである 11。同様に、実質株主の把握やバーチャル株主総会の推進 2 は、スチュワードシップ・コードが機関投資家に求める「目的を持った対話(エンゲージメント)」を、企業側から実行しやすくするための具体的なインフラ整備に他ならない 12

このように、経済産業省による会社法改正の提言(ハードロー)と、金融庁・東証によるコード改訂(ソフトロー)は、日本企業の「稼ぐ力」の強化という共通の目標に向けて、両輪として機能している。法的な選択肢を拡大し、ベストプラクティスをコードで示すという重層的なアプローチにより、企業は自社の状況に応じて最適なガバナンス体制を構築しやすくなる。

予想されるタイムラインと立法プロセス

本報告書が2025年1月に公表されたことを受け、法制審議会での本格的な議論が開始される 10。日本の典型的な法改正プロセスと、本件に関する政府の強い意欲を考慮すると、法制審議会での審議、法案の作成、国会での審議・可決という一連のプロセスは、比較的迅速に進むと予想される。具体的な時期の予測は困難だが、この報告書によって始動した改革の動きは、今後数年以内に、日本の会社法に重要な変更をもたらすことになるだろう。このプロセスは、日本企業、投資家、そして法務・財務の専門家にとって、注視すべき重要な動向であり続ける。

結論:日本企業の持続的成長に向けたガバナンス改革の戦略的意義

経済産業省の「『稼ぐ力』の強化に向けたコーポレートガバナンス研究会」が公表した本報告書は、単なる法制度の技術的な修正案のリストではない。それは、日本企業の経営哲学とガバナンスのあり方を、遵守(コンプライアンス)から成長(グロース)へと転換させることを目指す、一貫した戦略思想に貫かれた改革の設計図である。

本報告書が提言する会社法改正は、日本企業が直面する長期的な課題に対応し、持続的な価値創造を実現するための、法的かつ戦略的な基盤を再構築しようとする野心的な試みである。

主要な分析結果の統合

本報告書の提言は、大きく二つの柱—「価値創造ストーリーの構築・実行」「企業と株主のエンゲージメント促進」—に集約されるが、これらは相互に補完し合う関係にある。人的資本投資を促すための従業員への株式無償交付、大胆な成長戦略を可能にする株式対価M&Aの柔軟化、そして経営者の適切なリスクテイクを後押しする責任限定契約の緩和は、企業が野心的な価値創造ストーリーを描き、実行するための「武器」を提供するものである。

一方で、実質株主の把握を可能にする制度やバーチャル株主総会の推進は、その価値創造ストーリーの進捗と妥当性を、企業と株主が建設的な対話を通じて検証し、磨き上げていくための「対話のプラットフォーム」を整備するものである。これらが一体となって機能することで、日本企業の経営はよりダイナミックで、資本市場の規律が効いたものへと変貌することが期待される。

日本株式会社への戦略的インプリケーション

取締役会及び経営陣にとって: 本報告書がもたらす変革は、経営陣に対して、守りの姿勢から攻めの姿勢への転換を強く促すものである。法改正によって提供される新たなツールは、単に利用可能な選択肢が増えるということではない。それは、これらのツールを駆使して、いかにして自社の「価値創造ストーリー」を具体化し、企業価値を向上させるかという、より高度な戦略的思考と実行力が問われることを意味する。取締役会は、コンプライアンス遵守の監督者であるだけでなく、CEOと共に価値創造を主導する戦略的な司令塔としての役割を一層強化する必要がある。報酬制度、M&A戦略、そして投資家との対話のあり方を、ゼロベースで見直すことが求められる。

機関投資家にとって: 本報告書の提言は、機関投資家のエンゲージメント活動を質的に向上させるための強力な追い風となる。実質株主として自らの姿を企業に明らかにすることが容易になり、より直接的で継続的な対話のチャンネルが開かれる。これにより、投資家は、単に議決権を行使するだけでなく、企業の長期戦略の形成過程に深く関与し、経営陣に対してより実効性の高い監督と支援を行うことが可能になる。これは、スチュワードシップ責任を果たす上で、極めて重要な権能の強化を意味する。

日本のコーポレートガバナンスの未来

本報告書の提言が成功裏に法制化され、企業社会に浸透した時、それは日本のコーポレートガバナンス改革が新たなステージに移行したことを示す画期となるだろう。形式的な「コンプライ・オア・エクスプレイン」の段階を超え、実質的な「グロースのためのガバナンス」を追求する時代が到来する。法制度が企業の成長を積極的に後押しするインフラとして機能することで、日本はグローバルな投資資金にとってより魅力的な市場となり、日本企業は世界の舞台でより強力な競争力を発揮することが可能になる。したがって、本報告書は改革の終着点ではなく、日本の企業社会が今後10年にわたって取り組むべき変革の、力強い触媒となるものである。

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