Scope3削減 サプライヤーエンゲージメントを通じた持続可能な価値共創とは?

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国際航業株式会社カーボンニュートラル推進部デジタルエネルギーG

樋口 悟(著者情報はこちら

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目次

Scope3削減 サプライヤーエンゲージメントを通じた持続可能な価値共創とは?

序章:Scope3という「見えざる巨人」の正体と、企業経営における新たな競争軸

企業経営を取り巻く環境が激変する中、気候変動はもはや遠い未来の課題ではなく、日々の事業活動に直接的な影響を及ぼす経営アジェンダの中心に位置づけられている。投資家、顧客、そして規制当局は、企業に対して自社の事業活動から生じる温室効果ガス(GHG)排出量の開示と削減を強く求めている。

しかし、多くの企業が注力してきた自社拠点での燃料使用(Scope1)や購入電力(Scope2)の削減は、気候変動対策の全体像から見れば、氷山の一角に過ぎない。その水面下には、「Scope3」と呼ばれる巨大な排出源、いわば「見えざる巨人」が存在している。

Scope3とは、原材料の調達から製品の使用、廃棄に至るまで、自社の直接的な管理下にないサプライチェーン全体で発生する間接的なGHG排出量を指す 1。驚くべきことに、多くの企業において、このScope3排出量は自社の直接排出量(Scope1およびScope2の合計)をはるかに凌駕する

ある分析によれば、企業のサプライチェーンからの排出量は、自社拠点からの排出量の平均して26倍にも達すると報告されている 3。この事実は、企業が真に気候変動対策を前進させるためには、自社の垣根を越え、サプライチェーン全体を巻き込んだ取り組みが不可欠であることを示唆している。

さらに、この課題の複雑性を増しているのが、排出源の深層構造である。多くの場合、排出量の約3分の2は、直接取引のある「Tier 1」サプライヤーのさらに先に存在する「Tier 2」以降のサプライヤー、すなわち部品の部品を供給するような企業群から生じている 5。これらの企業は、最終製品を製造する大企業からは直接見えにくく、影響力を行使することも困難である。

このような状況下で、Scope3排出量の管理は、単なるコンプライアンス上の負担やCSR活動の一環として捉えるべきではない。むしろ、それは企業のリスク管理、事業継続性、そして新たな競争優位性を構築するための核心的な戦略課題へと変貌を遂げている。サプライチェーンの深層で気候変動に起因する物理的リスク(例:洪水による工場停止)や移行リスク(例:炭素税の導入)が顕在化すれば、それは即座に自社の生産停止やコスト増に直結する 6

一方で、サプライチェーン全体の排出量を可視化し、削減を主導できる企業は、投資家からの評価を高め、環境意識の高い顧客からの支持を獲得し、より強靭で持続可能な事業基盤を構築することができる 4

この「見えざる巨人」を管理し、リスクを機会に転換するための最も強力な手段が、「サプライヤーエンゲージメント」である。これは、サプライヤーに対して一方的に要求を突きつけるのではなく、対話を通じて課題を共有し、共に解決策を探り、持続可能な価値を共創していくための戦略的パートナーシップの構築を意味する。

本レポートでは、このサプライヤーエンゲージメントをScope3削減の中核的手法と位置づけ、その定義から具体的な戦略、先進企業の事例、そして日本市場特有の課題と成功の要諦に至るまでを包括的かつ深く掘り下げていく。Scope3という巨大な課題に立ち向かうことは、未来のサプライチェーンのあり方を再定義し、企業の持続的成長を実現するための新たな競争軸を確立するプロセスに他ならない。

第1章:基礎の理解 – Scope3排出量の全体像

サプライヤーエンゲージメント戦略を構築する上で、その対象となるScope3排出量そのものについての正確な理解は不可欠な前提となる。本章では、国際的な基準であるGHGプロトコルに基づき、Scope1, 2, 3の定義を明確にし、Scope3を構成する15のカテゴリを詳解する。さらに、Scope3算定における核心的な課題と、その解決の鍵を握るデータ活用の変革について解説する。

1.1 GHGプロトコルの枠組み:Scope1, 2, 3の明確な区分

企業のGHG排出量を算定・報告するための世界的な標準として広く受け入れられているのが「GHGプロトコル」である 1。このプロトコルは、排出源を企業の活動との関係性に基づき、以下の3つの「スコープ」に分類することで、網羅的かつ重複のない算定を可能にしている 10

  • Scope1:直接排出量

    これは、事業者が自ら所有または管理する排出源から直接排出されるGHGを指す 11。具体的には、工場におけるボイラーでの燃料燃焼、社有車の走行、製造プロセスにおける化学反応などが該当する。いわば、自社の敷地内や管理下で直接的にコントロールできる排出量である。

  • Scope2:間接排出量(エネルギー起源)

    これは、他社から供給された電気、熱、蒸気の使用に伴い間接的に排出されるGHGを指す 11。自社のオフィスや工場で使用する電力が、火力発電所で化石燃料を燃焼させることによって作られている場合、その発電段階での排出がScope2に分類される。自社で直接排出しているわけではないが、エネルギーの購入を通じて間接的に排出責任を負う部分である。

  • Scope3:その他の間接排出量

    Scope1、Scope2以外の、企業のバリューチェーンに関連するあらゆる間接排出量がScope3に該当する 2。これには、購入した原材料の生産、従業員の通勤や出張、製品の輸送、販売した製品の使用、そして最終的な廃棄に至るまで、事業活動の全域が含まれる 1。Scope3は、企業の直接的な管理外で発生するため、算定と削減が最も困難であるが、前述の通り、多くの企業にとって排出量の最大の割合を占める部分でもある。

この3つのスコープを理解することは、自社の排出量の全体像を正確に把握し、どこに削減の重点を置くべきかを判断するための第一歩となる。

1.2 Scope3の15カテゴリ詳解:自社の事業活動との関連性を理解する

Scope3は、その排出源の多様性から、GHGプロトコルによって15のカテゴリに細分化されている 14。これらのカテゴリは、排出活動の性質に基づき、自社への財やサービスのインプットに関連する「上流(Upstream)」活動(カテゴリ1~8)と、自社からのアウトプットに関連する「下流(Downstream)」活動(カテゴリ9~15)に大別される 16。各カテゴリの定義と具体例を理解することは、自社のどの事業活動がScope3排出に繋がっているかを特定し、算定の対象範囲を決定する上で極めて重要である。

以下の表は、Scope3の15カテゴリについて、その定義と日本企業における具体的な活動例をまとめたものである。これは、自社の活動をGHGプロトコルの枠組みに当てはめ、Scope3算定の第一歩を踏み出すための実践的な参照ツールとなる。

表1:Scope3排出量 15カテゴリの定義と具体例

カテゴリ カテゴリ名 (英語名) 定義 日本企業における具体例
上流 (Upstream)
1 購入した製品・サービス (Purchased Goods and Services) 報告対象年度に購入・取得した製品(原材料、部品など)やサービスの製造・提供まで(Cradle-to-Gate)に排出されたGHG。 ・製造業:部品メーカーからの金属部品や電子部品の調達
・小売業:販売する商品の仕入れ
・全業種:コンサルティング会社への業務委託、オフィス消耗品の購入
2 資本財 (Capital Goods) 報告対象年度に購入・取得した資本財(工場、設備、車両など)の製造までに排出されたGHG。 ・工場の新設、製造ラインの増設
・社用車や営業車両の購入
・サーバーやPCなどのIT機器の導入
3 Scope1,2に含まれない燃料及びエネルギー関連活動 (Fuel- and Energy-Related Activities) 購入した燃料・電力の採掘、精製、発電、送配電ロスなど、Scope1,2の算定範囲外の上流工程における排出。 ・購入した電力の発電に使われる燃料(石炭、LNG等)の採掘・輸送
・購入したガソリンの原油採掘・精製
・送電網における電力損失分
4 輸送、配送(上流) (Upstream Transportation and Distribution) 購入した製品のサプライヤーから自社拠点までの輸送、および自社拠点間の輸送(自社が輸送費を負担する場合)。 ・海外の部品工場から日本の組立工場への海上・航空輸送
・国内の原材料メーカーから自社工場へのトラック輸送
・倉庫間の在庫移動(横持ち輸送)
5 事業から出る廃棄物 (Waste Generated in Operations) 自社の事業活動から生じた廃棄物(一般廃棄物、産業廃棄物)の社外での輸送・処理に伴う排出。 ・工場から出る金属くずや廃プラスチックの処理委託
・オフィスから出る古紙や一般ごみの焼却・埋立
・廃水の処理
6 出張 (Business Travel) 従業員の出張における移動に伴う排出。 ・国内・海外出張での航空機、鉄道、タクシーの利用
・出張先での宿泊
7 雇用者の通勤 (Employee Commuting) 全従業員の自宅から勤務地までの通勤に伴う排出。 ・従業員が利用する電車、バス、自家用車での通勤
8 リース資産(上流) (Upstream Leased Assets) 自社が賃借しているリース資産(オフィス、車両など)の稼働に伴う排出(Scope1,2で計上していない場合)。 ・賃借しているオフィスビルや倉庫の運営(所有者のScope1,2排出)
・リース車両の稼働
下流 (Downstream)
9 輸送、配送(下流) (Downstream Transportation and Distribution) 販売した製品の自社拠点から最終消費者までの輸送・配送(自社が輸送費を負担しない場合も含む)。 ・製品出荷拠点から卸売業者や小売店への輸送 ・ECサイトで購入された商品の顧客への配送
10 販売した製品の加工 (Processing of Sold Products) 中間製品を販売し、他社によってさらに加工される場合の、その加工プロセスにおける排出。 ・化学メーカーが販売した樹脂ペレットが、成形メーカーで部品に加工される際の排出 ・製鉄会社が販売した鋼材が、自動車部品メーカーでプレス加工される際の排出
11 販売した製品の使用 (Use of Sold Products) 販売した製品が、最終消費者によって使用される段階でエネルギーを消費することに伴う排出。 ・自動車や家電製品が使用される際のガソリンや電力の消費 ・PCやサーバーが稼働する際の電力消費
12 販売した製品の廃棄 (End-of-Life Treatment of Sold Products) 販売した製品が、使用後に廃棄・処理される段階での排出。 ・販売した家電製品や自動車が廃棄され、リサイクル・埋立される際の排出 ・飲料のペットボトルが廃棄・処理される際の排出
13 リース資産(下流) (Downstream Leased Assets) 自社が所有し、他社に賃貸しているリース資産の稼働に伴う排出。 ・不動産会社が所有する賃貸オフィスビルで、テナントが消費するエネルギー ・リース会社が貸し出している車両や設備の稼働
14 フランチャイズ (Franchises) 自社が主宰するフランチャイズ加盟者の事業活動に伴う排出(加盟者のScope1,2に相当)。 ・コンビニエンスストア本部から見た、各加盟店の店舗運営(照明、空調など)に伴う排出
15 投資 (Investments) 株式投資、融資、プロジェクトファイナンスなどの投資活動に伴う、投資先からの排出。 ・金融機関の投融資ポートフォリオに含まれる企業の排出 ・事業会社の関連会社や子会社(連結対象外)の排出

13

1.3 算定の壁を越える:二次データから一次データ活用へのシフトがもたらす変革

Scope3排出量の算定は、基本的にという式で計算される 11。ここで「活動量」とは、購入した製品の重量や金額、輸送距離など、事業活動の規模を示すデータである。「排出原単位」とは、活動量あたりに排出されるGHGの量(例:鉄鋼1トンあたりの排出量)を指す。

従来、多くの企業はこの排出原単位として、国や業界団体が公表する業界平均値、いわゆる「二次データ」を利用してきた。この方法は、サプライヤーから直接データを収集する必要がなく、比較的容易に算定できるという利点がある。しかし、このアプローチには致命的な欠陥が存在する。それは、サプライヤー個社の削減努力が全く反映されないという点である 21

例えば、ある企業が、再生可能エネルギー導入に多額の投資を行ったサプライヤーAと、特段の対策を講じていないサプライヤーBから、同じ製品を同量購入したとする。二次データ(業界平均値)を用いて算定した場合、どちらのサプライヤーから購入しても、計上されるScope3排出量は全く同じになってしまう。これでは、購入企業側にはサプライヤーAを優先的に選定するインセンティブが働かず、サプライヤーAの投資も評価されない。サプライチェーン全体での脱炭素化に向けた経済的な動機付けが機能不全に陥ってしまうのである。

この構造的な課題を解決するため、近年、日本政府(環境省)をはじめ、国際的にも大きな潮流となっているのが、サプライヤー固有の排出量データ、すなわち「一次データ」の活用である 21。一次データとは、サプライヤーが自社のScope1, 2排出量を実測し、製品やサービス単位で算出した排出量情報などを指す。

この一次データの活用は、単なる算定精度の向上に留まらない、画期的な変革をもたらす。サプライヤーAの削減努力が、一次データを通じて購入企業のScope3排出量算定に明確に反映されるようになる。これにより、購入企業は、排出量の少ないサプライヤーを優先的に選定したり、削減努力を評価してインセンティブを与えたりといった、具体的な調達戦略を策定することが可能になる 21

つまり、一次データへのシフトは、サプライヤーの脱炭素への取り組みを「見える化」し、それを経済的価値に結びつけるための根幹的なメカニズムなのである。これは、Scope3の算定を「報告義務」から「経営ツール」へと昇華させ、サプライヤーエンゲージメントを真に実効性のあるものにするための、最も重要なパラダイムシフトと言える。この変化は、サプライチェーン内に低炭素な製品・サービスを取引する新たな市場を創出し、市場メカニズムを通じて脱炭素化を加速させる原動力となる。

第2章:サプライヤーエンゲージメントの戦略的フレームワーク

Scope3削減という目標を達成するためには、場当たり的な情報要請ではなく、体系的かつ長期的な視点に立ったサプライヤーエンゲージメント戦略が不可欠である。本章では、その戦略を構築するための核心的なフレームワークを提示する。エンゲージメントの進化段階を示す「成熟度モデル」を起点に、実効性を高めるための「要請」と「支援」の二輪駆動モデル、そして具体的な支援策を体系化した「知る・測る・減らす」の枠組みについて詳述する。

2.1 エンゲージメントの成熟度モデル:コンプライアンス遵守から価値共創パートナーへ

サプライヤーエンゲージメントとは、単発の取引や交渉を超え、企業とサプライヤーが長期的な信頼関係を基盤に、持続可能性や価値創出といった共通の目標に向けて協働する姿勢を指す 3。その関係性は、静的なものではなく、段階的に進化・深化していく「成熟度モデル」として捉えることができる。

  1. レベル1:コンプライアンス・情報収集段階

    この初期段階では、エンゲージメントは主に規制対応や報告義務を果たすための情報収集が目的となる。CDP質問書への回答要請や、サステナビリティに関する自己評価質問票(SAQ)の送付などが典型的な活動である 3。関係性は一方通行になりがちで、サプライヤーは「評価される側」としての受動的な立場に置かれることが多い。

  2. レベル2:リスク管理・能力構築段階

    エンゲージメントの目的が、サプライチェーンにおける気候変動リスクの特定と管理へと移行する。排出量の多いサプライヤーや事業継続上重要なサプライヤーを優先的に特定し、彼らが排出量を算定し、削減目標を設定できるよう能力構築を支援する活動が中心となる 24。勉強会の開催や算定ツールの提供などがこれにあたり、関係性は双方向のコミュニケーションへと発展し始める。

  3. レベル3:協働・パフォーマンス向上段階

    単なるリスク管理に留まらず、サプライヤーと共同で具体的な削減プロジェクトに取り組む段階省エネ技術の共同開発、再生可能エネルギーの共同購入、物流の効率化など、具体的なパフォーマンス向上を目指す 26。ここでは、サプライヤーは単なる供給者ではなく、課題解決のためのパートナーとして認識される。

  4. レベル4:価値共創・イノベーション段階

    エンゲージメントが最高度に達した段階。気候変動対策をコストではなく、新たな事業機会と捉え、サプライヤーと共に革新的な低炭素製品やサービス、循環型ビジネスモデルを共創する 23。このレベルでは、企業はサプライヤーから「選ばれる顧客(Customer of Choice)」となり、最も優れた技術や提案が優先的に持ち込まれる好循環が生まれる 23。

この成熟度モデルは、自社のエンゲージメント活動が現在どの段階にあるかを客観的に評価し、次のステップへと進むためのロードマップを描く上で有用な指針となる。

2.2 「要請」と「支援」の二輪駆動モデル:実効性を高めるためのアプローチ

効果的なサプライヤーエンゲージメントは、「要請(Requests)」という牽引力と、「支援(Support)」という推進力の両輪がバランスよく機能することで初めて実現する 28。どちらか一方だけでは、エンゲージメントは形骸化するか、持続不可能になる。

  • 要請(Requests):明確な期待値の設定

    「要請」は、サプライヤーに対して企業の期待を明確に伝え、行動を促すための重要なドライバーである。その内容は、サプライヤーの能力や関係性の成熟度に応じて段階的に設定されるべきである。

    • 基本的な要請: 環境情報の開示(例:CDP質問書への回答)や、排出量算定の実施を求める。

    • 中級的な要請: 自主的な排出量削減目標(特にSBTなどの科学的根拠に基づく目標)の設定を奨励する。

    • 先進的な要請: 具体的な削減目標の達成を義務付けたり、再生可能エネルギー100%での生産を求めたりするなど、より踏み込んだ要求を行う。

      さらに、これらの要請の実効性を担保するため、その遵守状況を取引条件と結びつける動きも加速している。具体的には、削減に積極的なサプライヤーを優先的に選定する「ポジティブ・インセンティブ」から、基準を満たさない場合に取引停止の可能性を示唆する「ネガティブ・インセンティブ」まで、その強度は様々である 28。

  • 支援(Support):行動を可能にする環境整備

    「要請」が一方的な押し付けとならないために不可欠なのが「支援」である。特に、リソースが限られる中小企業にとっては、要請に応えるための知識、人材、資金が不足している場合が多い 29。支援は、こうした障壁を取り除き、サプライヤーが自律的に行動できるよう後押しする役割を担う。サプライヤーを単なる管理対象ではなく、共に成長するパートナーと見なす姿勢が、この支援の根底には不可欠である。

この「要請」と「支援」を車の両輪として組み合わせ、サプライヤーの状況に応じてそのバランスを調整していくことが、サプライチェーン全体での着実な脱炭素化を推進する鍵となる。

2.3 「知る・測る・減らす」:サプライヤーを動かすための具体的な支援策

「支援」を具体的に展開する上で、環境省などが推奨する「知る」「測る」「減らす」という3つのステップに沿ったアプローチは非常に実践的で有効である 28。これは、サプライヤーが脱炭素化に取り組むプロセスを論理的に分解し、各段階で必要な支援を体系的に提供するためのフレームワークである。

  • 知る(Know):意識の共有と知識の提供

    最初のステップは、なぜサプライチェーン全体での脱炭素が必要なのか、その背景にある気候変動リスクや事業機会についてサプライヤーと共通認識を形成することである。

    • 具体的な支援策:

      • 自社のサステナビビリティ方針や目標を共有する説明会の開催 28

      • 気候変動に関する最新の社会動向や規制情報を伝えるウェビナーの実施 28

      • 脱炭素経営のメリットや他社事例を紹介する情報提供。

  • 測る(Measure):排出量の可視化支援

    次のステップは、サプライヤーが自社の現状、すなわちGHG排出量を正確に把握できるよう支援することである。「測れないものは管理できない」という原則に基づき、現状把握は全ての削減活動の出発点となる。

    • 具体的な支援策:

      • 中小企業でも利用しやすい簡易的な排出量算定ガイドラインの作成・配布 28

      • 排出量算定クラウドシステムなどのツールの無償または安価な提供 28

      • 算定方法に関する個別の相談会やワークショップの開催。

  • 減らす(Reduce):削減計画の策定と実行支援

    排出量が可視化された後、最終ステップとして、具体的な削減目標と実行計画の策定を支援する。この段階では、より技術的、財務的な支援が求められる。

    • 具体的な支援策:

      • サプライヤーとの1対1の対話を通じた、現実的かつ意欲的な削減目標の設定支援 28

      • 省エネルギー診断の実施や、高効率設備導入に関する技術的アドバイスの提供 28

      • 再生可能エネルギー電力の共同購入(コーポレートPPA)の斡旋

      • 設備投資のための低利融資プログラム(サプライヤーファイナンス)の紹介や設立 28

      • 削減実績が優れたサプライヤーを表彰する制度の導入 28

以下の表は、これらのフレームワークに基づき、企業が取り得る「要請」と「支援」の具体策を一覧にしたものである。自社の戦略を策定する際の選択肢として活用できる。

表2:サプライヤーエンゲージメントの「要請」と「支援」具体策比較

Part A:要請(Requests)の段階的アプローチ

要請レベル 具体的なアクション 企業事例(参考)
レベル1:基礎 ・CDP気候変動質問書など、標準化された質問票への回答要請 ・サステナビリティ方針に関する情報開示要請

セコム、NTTデータグループ 28

レベル2:中級 ・自主的なGHG排出量削減目標の設定を要請 ・SBT(科学と整合した目標)認定水準の目標設定を奨励

Walmart、大和ハウス工業 28

レベル3:上級 ・具体的な排出量削減目標の達成を契約上の要件とする ・特定の製造プロセスにおける再生可能エネルギー100%使用の賦課 ・遵守状況を取引継続の条件とする(取引停止の可能性を示唆)

Volkswagen AG 28

Part B:「知る・測る・減らす」に基づく支援(Support)策

支援フェーズ 具体的なアクション 企業事例(参考)
知る (Know) ・サプライヤー向け方針説明会、勉強会の開催 ・気候変動に関する社会動向や規制に関する情報提供(ウェビナー、動画配信) ・脱炭素化の重要性やメリットに関する資料の配布

セコム、NTTデータグループ、Volkswagen AG 28

測る (Measure) ・排出量算定ガイドラインの独自作成・配布 ・排出量算定クラウドシステムやツールの無償・安価提供 ・算定に関するワークショップや個別相談会の実施 ・自己評価アンケートと業界平均などのフィードバック提供

NTTデータグループ (C-Turtle)、Walmart、三井不動産 28

減らす (Reduce) ・1対1の対話による削減目標・計画策定の伴走支援 ・省エネ診断や高効率設備の導入提案 ・再生可能エネルギー導入支援(PPA契約斡旋など) ・設備投資のための金融支援(融資条件優遇など) ・削減取組のベストプラクティスの共有、優良サプライヤーの表彰

大和ハウス工業、Walmart、Volkswagen AG 28

第3章:先進事例に学ぶ – リーダー企業の実践知

戦略フレームワークを理解した上で、次に重要なのは、それを現実に適用し、成果を上げているリーダー企業の実践から具体的な知見を得ることである。本章では、国際的な非営利団体CDPから「サプライヤーエンゲージメント・リーダー」として最高評価を獲得している国内外の企業を分析する 31。特に、日本のビジネス環境の中で最適化された国内企業の事例と、より直接的なアプローチを取る海外企業の事例を比較検討することで、自社に応用可能な戦略のヒントを探る。

3.1 【国内編】日本企業におけるエンゲージメントの最適解

日本のリーダー企業は、強力なトップダウンの要求だけでなく、テクノロジーの活用や、サプライヤーの状況に寄り添った丁寧なコミュニケーションを通じて、協力関係を構築している点に特徴が見られる。

NTTデータグループ:テクノロジーとパートナーシップを駆使するソリューション提供型

NTTデータグループは、CDPから3年連続で「サプライヤーエンゲージメント・リーダー」に選定されるなど、高い評価を得ている 33。同社の戦略の最大の特徴は、自社のサプライチェーン改革と、社会全体の脱炭素化を支援するソリューション提供を両輪で進めている点にある。

  • 中核ツール「C-Turtle®」の活用: 同社は、自社開発したGHG排出量可視化プラットフォーム「C-Turtle®」を、自社のサプライヤーエンゲージメントに活用している 28一部サプライヤーには無償で提供し、排出量算定(「測る」支援)のハードルを劇的に下げている 28。これは、単なる支援に留まらず、自社ソリューションの有効性を実証し、市場展開に繋げるという巧みな戦略である。C-Turtleは、サプライヤーの削減努力を反映できる一次データの活用(総排出量配分方式)に対応しており、エンゲージメントの実効性を高める技術的基盤となっている 34

  • 体系的な支援プログラム: 同社は、「知る・測る・減らす」の各段階で体系的な支援を展開している。年に一度のオンライン説明会で社会動向を共有し(「知る」)、C-Turtleの提供で算定を支援し(「測る」)、課題の多かった業種向けに削減目標設定の解説書を独自に作成・配布する(「減らす」)など、包括的なアプローチを取っている 28

  • CDPとの戦略的パートナーシップ: CDPの「ゴールド認定パートナー」や「サプライチェーンプログラム プレミアムメンバー」として、グローバルな知見をいち早く取り入れ、自社の取り組みを高度化させている 33。このパートナーシップは、同社の取り組みに国際的な信頼性を与えている。

NTTデータグループの事例は、IT企業としての強みを最大限に活かし、テクノロジーを基盤としたスケーラブルなエンゲージメントモデルを構築した好例と言える。

リコー:調達戦略に脱炭素を組み込むDNA実装型

リコーは、5年連続でCDPの最高評価を獲得しており、その取り組みの継続性と一貫性が際立っている 38。同社の強みは、脱炭素という目標を、経営戦略や日々の調達業務のDNAとして深く組み込んでいる点にある。

  • 野心的なScope3削減目標: リコーは、「2030年までにScope3排出量を40%削減(2015年比)」という、SBT1.5℃認定を受けた意欲的な目標を掲げている 39。この明確な目標が、サプライチェーン全体を巻き込む強力な求心力となっている。

  • 調達方針との連動: 同社は、「ゼロエミッション材料調達」や「非化石燃料由来の輸送利用」といった具体的な施策を掲げ、サプライヤー選定や仕様決定の段階からGHG削減を考慮している 39。これは、サステナビリティが調達部門の評価指標や業務プロセスに不可欠な要素として統合されていることを示している。

  • ライフサイクルアセスメント(LCA)の活用: 製品のライフサイクル全体での環境負荷を評価するLCAを推進し、サプライヤーや顧客と共に削減貢献量を算定・公表している 39。これにより、自社の排出削減だけでなく、社会全体の環境負荷低減への貢献を可視化し、エンゲージメントの意義を高めている。

リコーの事例は、長期的な視点に立ち、経営トップの強いコミットメントのもと、脱炭素を事業活動の根幹に据えることで、持続的な成果を生み出す「王道」のアプローチを示している。

大和ハウス工業:サプライヤーの成長に寄り添う伴走型

大和ハウス工業は、建設業界という裾野の広いサプライチェーンを持つ中で、サプライヤーの多様な状況に合わせた、きめ細やかなエンゲージメントを実践している。そのアプローチは、一方的な要求ではなく、サプライヤーの成長を支援する「伴走型」と特徴づけられる。

  • 成熟度に応じた三段階のエンゲージメント: 同社の戦略の核心は、サプライヤーの脱炭素への取り組み状況に応じて、エンゲージメント手法を使い分ける点にある 40

    1. 方針説明会: 脱炭素への取り組みが初期段階の企業に対し、ESG経営の重要性を説き、意識改革を促す(「知る」支援)。

    2. 脱炭素ワーキンググループ(WG): 目標設定に課題を抱える企業に対し、ワークショップ形式でCO2算定方法などのノウハウを共有し、具体的な目標設定を支援する(「測る」「減らす」支援)。

    3. 脱炭素ダイアログ: すでに目標を設定済みの先進的な企業とは、1対1の対話を通じて、さらなる削減策や協働の可能性を探る。

  • 明確な目標の共有: 「2025年までに主要サプライヤーの90%以上とパリ協定に沿った削減目標を共有する」という具体的かつ期限を定めた目標を掲げ、サプライチェーン全体で目指す方向性を明確にしている 41

  • 自社ノウハウの提供: ZEH(ネット・ゼロ・エネルギー・ハウス)やZEB(ネット・ゼロ・エネルギー・ビル)の推進で培った自社の省エネ・創エネソリューションをサプライヤーに提供し、彼らの脱炭素化を直接的に支援している 41

大和ハウス工業の事例は、サプライヤーを画一的に捉えるのではなく、個々の成熟度や課題に真摯に向き合い、対話を通じて共に成長していくという、日本的な関係性構築の強みを活かしたエンゲージメントの理想形を示している。

3.2 【海外編】グローバル基準のベストプラクティス

海外のグローバル企業、特に小売業や自動車産業のリーダーたちは、その巨大な購買力を背景に、より直接的で強力なエンゲージメントを展開している。彼らのアプローチは、日本企業が将来的に目指すべき一つの方向性を示唆している。

  • Walmart(ウォルマート): 世界最大の小売業者であるウォルマートは、プロジェクト・ギガトンという野心的なプログラムを立ち上げ、サプライヤーと共に2030年までに10億トン(1ギガトン)のGHG排出量削減を目指している 42。同社は、排出量削減を進めるサプライヤーからの優先的な調達を明言しており、環境パフォーマンスを明確なビジネスチャンスに結びつけている 28。また、サプライヤー向けに算定ツールを無償提供したり、再生可能エネルギー導入のためのPPA契約を斡旋したり、認定サプライヤー向けの融資条件を優遇するなど、大規模な支援策も同時に展開している 28

  • Volkswagen AG(フォルクスワーゲン): ドイツの自動車大手であるフォルクスワーゲンは、サプライヤーのサステナビリティパフォーマンスを「S-Rating」という独自指標で評価し、この評価が低い場合には取引停止の可能性を明確に示している 28。さらに、EVのバッテリーメーカーなど特定のサプライヤーに対しては「再生可能エネルギーのみを使用して生産すること」を契約上の義務として課すなど、非常に踏み込んだ要請を行っている 28

これらの海外事例に共通するのは、サステナビリティを単なる努力目標ではなく、取引を継続するための「必須条件」と位置づけている点である。その背景には、サプライチェーン全体のリスク管理と、ブランド価値の維持・向上に対する強い意識がある。日本企業にとっては、こうした厳しい要求を直ちに導入することは難しいかもしれないが、エンゲージメントの最終的なゴールとして、環境価値と商業的価値を完全に統合する方向性を見据えておくことは重要である。

以下の表は、分析した国内先進企業3社の戦略を比較したものである。各社のアプローチの違いと共通点から、自社に最適な戦略を構想するための示唆を得ることができる。

表3:国内先進企業3社のサプライヤーエンゲージメント戦略比較

比較項目 NTTデータグループ リコー 大和ハウス工業
中核戦略・思想 テクノロジー主導のソリューション提供型。自社の取り組みを社会全体の課題解決に繋げる。 経営戦略と一体化したDNA実装型。脱炭素を調達業務の根幹に据える。 サプライヤーの成長に寄り添う伴走型。対話と段階的支援を重視する。
主要な「要請」 CDP質問書への回答要請。排出量削減目標の自主的な設定要請。 SBT1.5℃水準の野心的なScope3目標(40%削減)の達成。 主要サプライヤーの90%以上とパリ協定整合目標を設定・共有。
主要な「支援」 GHG可視化PF「C-Turtle」の提供。業種別解説書の作成。CDPとの連携。 ゼロエミッション材料調達の推進。LCA活用の共同推進。 成熟度別プログラム(方針説明会、脱炭素WG、脱炭素ダイアログ)。自社省エネ・創エネ技術の提供。
テクノロジー活用 自社開発プラットフォーム「C-Turtle」をエンゲージメントと事業展開の中核に据える。 グローバル約900拠点の環境データをクラウドで集計・分析し、PDCA管理に活用。 自社のZEH/ZEB技術をサプライヤーの施設改善に展開。
成功の要諦 ITソリューションという自社の強みを最大限に活かし、スケーラブルな支援と事業を両立。 長期的視点とトップの強いコミットメントにより、脱炭素を全社の文化・プロセスに定着。 サプライヤーの多様性を前提とした、きめ細やかで人間中心の関係性構築力。

第4章:陥りがちな罠 – アンチパターンとその回避策

意欲的にサプライヤーエンゲージメントを開始したものの、期待した成果が得られず、形骸化してしまうケースは少なくない。その背景には、多くの企業が陥りがちな共通の「罠」、すなわちアンチパターンが存在する。本章では、これらの典型的な失敗例を明らかにし、それらを回避するための具体的な対策を提示する。これらのアンチパターンを事前に理解し、戦略に織り込むことで、エンゲージメント活動の実効性を飛躍的に高めることができる。

4.1 「エンゲージメント疲れ」を生まないためのコミュニケーション設計

サプライヤー、特に大手企業と多数取引のある優良サプライヤーは、近年、様々な顧客から類似の調査や情報提供依頼を大量に受け取っている。その結果、対応に追われ、本来の目的である排出削減活動にリソースを割けなくなる「エンゲージメント疲れ(Supplier Fatigue)」という現象が深刻化している 43

  • アンチパターン:一方通行の「要求型」コミュニケーション

    多くの企業が陥るのが、自社の報告義務を果たすためだけに、サプライヤーに対して質問票やデータ提出を一方的に要求するコミュニケーションである。サプライヤーから提供されたデータがその後どのように活用されたのか、フィードバックもなく、感謝の言葉すらない。これではサプライヤーの協力意欲は削がれ、エンゲージメントは「やらされ仕事」と化してしまう

  • 回避策:双方向の「対話型」コミュニケーションへの転換

    エンゲージメント疲れを回避する鍵は、関係性を「要求と応答」から「対話と協働」へと転換することにある 23。

    1. 目的の共有: なぜこのデータが必要なのか、それが自社の、そしてサプライヤー自身のビジネスにどう繋がるのか、その目的とビジョンを丁寧に説明する。

    2. フィードバックの提供: 収集したデータを分析し、「貴社の現在の排出量は業界平均と比較してこのレベルです」「この領域に削減ポテンシャルがあります」といった有益なフィードバックを提供する。これにより、サプライヤーはデータ提供の価値を実感できる。

    3. プロセスの簡素化・標準化: 可能な限り、CDPなどの標準化されたプラットフォームを活用し、サプライヤーが一度の回答を複数の顧客に活用できるように配慮する。また、質問項目を精査し、本当に必要な情報に絞り込む。

    4. 感謝と承認: 協力してくれたサプライヤーの努力を認め、優れた取り組みは社内外で表彰するなど、ポジティブな動機付けを行う。

4.2 データ収集が目的化する「報告のための報告」からの脱却

Scope3算定の複雑さ故に、多くの企業でデータ収集そのものが目的化してしまうという罠がある。膨大な時間と労力をかけてデータを集め、サステナビリティレポートに数値を記載した時点で満足してしまい、その先の具体的な削減アクションに繋がらないケースである。

  • アンチパターン:データ収集のゴール化

    このパターンでは、サステナビリティ部門が孤軍奮闘し、調達部門や事業部門の協力も十分に得られないまま、報告書作成のためだけにデータを集める。集められたデータは分析されることなく、次年度にはまたゼロからデータ収集が繰り返される。これでは、サプライチェーンの排出量は一向に減らない。

  • 回避策:データを「起点」としたPDCAサイクルの構築

    データ収集はゴールではなく、削減活動のスタートラインであるという認識を組織全体で共有することが重要である 25。

    1. ホットスポットの特定: 収集したデータを分析し、どのカテゴリ、どのサプライヤー、どの原材料が排出量の大部分を占めているか(ホットスポット)を特定する。

    2. 目標設定とアクションプランの策定: ホットスポットを対象に、具体的かつ測定可能な削減目標を設定する。その上で、サプライヤーと共同で削減プロジェクト(例:省エネ改善、再生可能エネルギー導入)を立ち上げる。

    3. 進捗のモニタリング: 設定した目標に対して、定期的に進捗を確認する。このモニタリングには、PersefoniSweepといった専門プラットフォームの活用が有効である 44

    4. 調達戦略への統合: データをサプライヤー評価や選定プロセスに組み込み、排出量パフォーマンスが優れたサプライヤーがビジネス上有利になる仕組みを構築する。

4.3 コスト負担の議論を乗り越え、Win-Winの関係を築く方法

サプライヤー、特にリソースの限られた中小企業にとって、脱炭素への取り組みは、新たなコスト負担として認識されがちである 29。このコストの壁を考慮せずに削減要請だけを行うと、サプライヤーとの関係が悪化し、エンゲージメントは頓挫してしまう。

  • アンチパターン:コスト負担の無視・転嫁

    「環境対応はサプライヤーが負担すべき当然のコスト」という姿勢で臨んだり、価格交渉において脱炭素対応コストを全く考慮しなかったりするケースである。これは、サプライヤーの経営を圧迫し、持続的な協力関係を破壊する。

  • 回避策:共有価値の創造(Creating Shared Value)

    コストの議論を乗り越えるには、脱炭素化がサプライヤーにとっても経済的メリットをもたらす「Win-Win」の構図を設計し、提示することが不可欠である 27。

    1. コスト削減メリットの提示: 省エネルギー設備の導入は、初期投資はかかるものの、長期的には光熱費を削減し、サプライヤー自身のコスト競争力向上に繋がることを具体的に示す 46

    2. 新たなビジネス機会の創出: 低炭素な製品・部材を供給できるサプライヤーは、環境意識の高い他の顧客からの受注機会も増える可能性があることを伝え、先行者利益を強調する。

    3. 金融支援の提供・斡旋: 設備投資の初期負担を軽減するため、共同での補助金申請、グリーンローンやサプライヤーファイナンスプログラムの紹介など、金融面での支援を行う。

    4. 適正な価格交渉: サプライヤーが脱炭素のために行った投資やコスト増について、真摯に価格転嫁の協議に応じる姿勢を示す 48。これは、長期的な信頼関係の基盤となる。

これらのアンチパターンと対策をまとめた以下の表は、エンゲージメントプログラムを設計・見直しする際のチェックリストとして機能する。

表4:サプライヤーエンゲージメントにおけるアンチパターンと対策

アンチパターン(陥りがちな罠) 具体的な状況・行動 対策(回避策)
一方的な情報提供の要求 ・目的を説明せず、質問票への回答を一方的に要求する。 ・収集したデータに対するフィードバックがない。 ・サプライヤーの回答負荷を考慮しない。 ・エンゲージメントの目的と相互のメリットを丁寧に説明する。 ・収集データを分析し、ベンチマーク情報などの有益なフィードバックを提供する。 ・CDPなどの標準プラットフォームを活用し、回答プロセスを効率化する。
画一的なアプローチ ・サプライヤーの規模や技術レベル、脱炭素への成熟度を考慮せず、全社に同じ要求をする。 ・中小企業の限られたリソース(人材、資金、情報)を無視する。 ・サプライヤーを成熟度や排出量インパクトでセグメント化し、段階的な要請・支援を行う(例:大和ハウス工業)。 ・中小企業向けには、算定ツールの提供や勉強会など、基礎的な能力構築支援から始める。
データ収集の目的化 ・サステナビリティレポートへの記載がゴールとなり、収集したデータが削減活動に活用されない。 ・データ収集が毎年繰り返されるだけで、具体的な改善が見られない。 ・データ分析を通じて排出量のホットスポットを特定し、削減努力を集中させる。 ・データに基づき、サプライヤーと共同で具体的な削減目標とアクションプランを策定する。 ・収集したデータを調達部門のサプライヤー評価に組み込む。
コスト負担の転嫁 ・脱炭素化に伴うコストを全てサプライヤーが負担すべきものと捉え、価格交渉で考慮しない。 ・サプライヤーの財務状況を無視した投資を要求する。 ・省エネによるコスト削減など、サプライヤー側の経済的メリットを具体的に提示する。 ・共同での補助金活用やグリーンファイナンスの斡旋など、金融面での支援策を検討する。 ・脱炭素への貢献を評価し、適正な価格転嫁の協議に応じる。
短期的な成果の追求 ・四半期や単年度での成果を性急に求め、サプライヤーとの関係構築を軽視する。 ・成果が出ない場合に、すぐにサプライヤーを切り替えようとする。

・サプライヤーエンゲージメントは数年単位の長期的な取り組みであることを社内で合意形成する。

・短期的な排出量データだけでなく、削減に向けたプロセスや姿勢も評価する。

・サプライヤーを長期的なパートナーと位置づけ、継続的な対話を通じて信頼関係を構築する 23。

第5章:日本市場の特殊性と攻略法

グローバルなベストプラクティスをそのまま導入するだけでは、日本特有の商慣行や産業構造の中でサプライヤーエンゲージメントを成功させることは難しい。本章では、日本のサプライチェーンが抱える「多重下請け構造」「価格転嫁問題」、そして「中小企業の多さ」という3つの構造的課題を分析し、それらを乗り越えてエンゲージメントを実効あらしめるための日本独自の攻略法を探る

5.1 多重下請け構造におけるエンゲージメントの浸透戦略

日本の製造業などを中心に見られる特徴的な構造が、ピラミッド型の「多重下請け構造」である。大手組立メーカー(Tier 0)を頂点に、一次サプライヤー(Tier 1)、二次サプライヤー(Tier 2)、三次サプライヤー(Tier 3)へと、幾重にも連なる取引関係が形成されている。

  • 課題:エンゲージメントが深層に届かない

    Scope3排出量の大部分がTier 2以降のサプライヤーから発生しているにもかかわらず 5、大手企業のエンゲージメント活動は、直接取引のあるTier 1に留まりがちである。Tier 1からTier 2へ、Tier 2からTier 3へと、脱炭素化の要請や支援が十分に伝播せず、サプライチェーンの深層部で取り組みが停滞してしまう 48。大手企業にとって、顔の見えないTier 2以降のサプライヤーを直接動かすことは極めて困難である。

  • 攻略法:「Tier 1のエンゲージメント能力」を育成する

    この構造を攻略する鍵は、大手企業が全てのサプライヤーを直接管理しようとするのではなく、Tier 1サプライヤーを「パートナー」として巻き込み、彼らが自らのサプライヤー(つまりTier 2)に対してエンゲージメントを実践できるよう支援することにある。これは「Train the Trainer(指導者を育成する)」アプローチとも言える。

    1. Tier 1への権限移譲とインセンティブ付与: Tier 1サプライヤーに対し、自社のサプライチェーンにおけるGHG排出量管理を要請し、その取り組みを評価指標に組み込む。例えば、「Tier 2サプライヤーの排出量把握率」や「Tier 2への削減支援プログラムの実施状況」などを評価項目に加え、優れたTier 1を優先的に選定する。

    2. エンゲージメント・ツールの提供: 大手企業がTier 1向けに開発した算定ガイドラインや研修プログラム、ITツールなどを、Tier 1がTier 2に対して展開できるよう、再利用可能な形で提供する。

    3. 三者間連携の促進: 必要に応じて、大手企業、Tier 1、そして重要なTier 2の三者で会合を持ち、課題を共有し、共同で解決策を探る場を設ける

このアプローチにより、エンゲージメントの波をサプライチェーンの深層へと効果的に伝播させることが可能になる。

5.2 価格転嫁と両立する脱炭素要請の進め方

日本では長年、優越的な地位にある発注者が受注者に対してコスト上昇分の価格転嫁を認めないという商慣行が問題視されてきた 48。エネルギー価格や人件費が高騰する中、サプライヤーに脱炭素のための追加投資を要請することは、この「価格転嫁問題」と正面から衝突する可能性がある。

  • 課題:脱炭素コストが新たな「買いたたき」の口実に

    サプライヤーが脱炭素のためにコストをかけても、発注者側が「それは貴社が負担すべきCSRコストだ」として価格に反映させなければ、サプライヤーの経営を圧迫するだけである。逆に、発注者側も、サプライヤーからの価格転嫁要求を全て受け入れれば、自社のコスト競争力が低下するジレンマに陥る。

  • 攻略法:コスト削減と価値創造の視点を持ち込む

    このジレンマを解消するには、脱炭素を単なる「コスト」としてではなく、「コスト削減」と「付加価値創造」の機会として捉え直す視点が不可欠である。

    1. 「守りの脱炭素」としての省エネ推進: まずは、サプライヤー自身の光熱費削減に直結する省エネルギー活動を共同で推進する。省エネ診断の実施や高効率設備への更新は、GHG排出量とコストを同時に削減する「一石二鳥」の施策であり、サプライヤーにとっても導入のメリットが分かりやすい 30。これにより、サプライヤーは価格転嫁への依存度を下げることができる。

    2. 「攻めの脱炭素」としての付加価値共創: 次に、低炭素な製品・部材を開発することで、最終製品の環境性能を高め、市場で差別化を図る戦略を共有する。環境配慮型製品にプレミアム価格を支払う顧客層が存在する場合、その付加価値をサプライヤーと発注者で公正に配分する仕組みを構築する。

    3. 価格交渉の透明化: 労務費や原材料費と同様に、脱炭素対応コストも価格を構成する正当な要素であることを認め、その内訳を明確にした上で価格協議に臨む。政府も「下請振興法」などを通じて適正な価格転嫁を後押ししており、こうした法的な枠組みも活用する 48

5.3 リソースに乏しい中小サプライヤーを巻き込むためのエコシステム構築

日本のサプライチェーンを支えているのは、数多くの中小企業である。しかし、彼らの多くは、脱炭素に取り組むためのマンパワー、ノウハウ、資金といった経営資源が著しく不足している 29。大手企業が個々の中小サプライヤーに対して手厚い支援を提供し続けるのは、現実的に不可能である。

  • 課題:一対一のエンゲージメントモデルの限界

    数千、数万社に及ぶサプライヤー一社一社に対して、個別のコンサルティングや研修を提供するのは、大手企業にとっても過大な負担となる。結果として、支援は一部の主要サプライヤーに限定され、大多数の中小サプライヤーが取り残されてしまう。

  • 攻略法:協調領域での「エコシステム」アプローチ

    このスケーラビリティの課題を解決する唯一の方法は、一社単独での取り組み(競争領域)から、業界や地域全体で中小企業を支援する「エコシステム」の構築(協調領域)へと発想を転換することである。大手企業は、自らがその「エコシステム・コンダクター(指揮者)」としての役割を担う。

    1. 業界団体との連携: 業界団体と協力し、その業界に特化した標準的なGHG算定ガイドラインや、共通で利用できる研修プログラムを開発・提供する。

    2. 地域金融機関との連携: 地元の地方銀行や信用金庫と連携し、サプライヤー向けのグリーンローンやサステナビリティ・リンク・ローンなどの金融商品を共同で開発・推進する。

    3. 自治体・公的支援機関との連携: 自治体が提供する省エネ診断や補助金制度の情報をサプライヤーに積極的に紹介し、申請をサポートする。

    4. ITプラットフォーマーとの連携: 中小企業でも導入しやすい安価なGHG排出量可視化ツールを提供するIT企業と提携し、サプライヤーへの導入を推奨する。

このエコシステム・アプローチにより、大手企業は自社のリソースを最も戦略的な領域に集中させつつ、サプライチェーン全体の底上げを図ることができる。これは、個社の競争力を超えて、日本の産業全体の持続可能性と競争力を高めるための重要な戦略となる。

第6章:成功へのロードマップと未来展望

これまで、サプライヤーエンゲージメントの戦略的フレームワーク、先進事例、そして日本市場特有の課題について詳述してきた。本章では、これらの分析を統合し、エンゲージメントを成功に導くための普遍的な重要要素を提示する。さらに、テクノロジーの進化やサーキュラーエコノミーとの融合といった、サプライチェーンの脱炭素化を加速させる未来の展望についても考察する。

6.1 サプライヤーエンゲージメントを成功に導く5つの重要要素

多様な業界や企業規模を超えて、サプライヤーエンゲージメントを成功させている企業には、共通する5つの要素が見られる。これらは、これから取り組みを開始する企業、あるいは既存の活動を見直す企業にとって、羅針盤となるべき重要な原則である。

  1. トップダウンの強力なコミットメント (Top-Down Commitment)

    サプライヤーエンゲージメントは、サステナビリティ部門だけの活動では決して成功しない。経営トップが気候変動を最重要の経営課題と位置づけ、その解決に向けた強い意志を社内外に明確に表明することが全ての出発点となる 4。このコミットメントは、部門間の壁を越えた協力を促し、サプライヤーに対するメッセージの信憑性を高め、長期的な取り組みに必要な経営資源の確保を可能にする。

  2. 部門横断的な連携体制 (Cross-Functional Integration)

    Scope3排出量は、調達、製造、研究開発、営業、財務など、企業のあらゆる機能に関わる。そのため、サステナビリティ部門、調達部門、そして事業部門が緊密に連携する部門横断的な推進体制の構築が不可欠である 49。調達部門はサプライヤーとの日常的な接点を持ち、研究開発部門は低炭素な製品設計を担い、営業部門は顧客のニーズをフィードバックする。これらの機能が一体となって初めて、実効性のある戦略が生まれる。

  3. データに基づく優先順位付け (Data-Driven Prioritization)

    限られたリソースを最大限に活用するためには、全てのサプライヤーに同じ労力をかけるのではなく、最も影響の大きい領域に焦点を当てることが賢明である。排出量データや取引額データを分析し、排出量が特に大きい「ホットスポット」となるサプライヤーやカテゴリを特定する 24。これらの優先度の高いサプライヤーに対して、集中的に対話と支援を行うことで、効率的かつ効果的にサプライチェーン全体の排出量を削減することができる。

  4. 「要請」と「支援」のバランスの取れたアプローチ (Balanced Approach)

    第2章で詳述した通り、明確な目標や基準を示す「要請」と、サプライヤーがそれを達成できるよう手助けする「支援」は、車の両輪である 28。厳しい要求だけではサプライヤーは疲弊し、手厚い支援だけでは緊張感が失われる。サプライヤーの成熟度や関係性に応じて、この二つのバランスを柔軟に調整し、時には厳しく、時には寄り添いながら、共に前進する姿勢が求められる。

  5. 長期的なパートナーシップという視点 (Long-Term Partnership Mindset)

    サプライチェーンの脱炭素化は、一朝一夕に成し遂げられるものではない。数年から十数年を要する長期的な変革の旅である。したがって、エンゲージメントを単発のプロジェクトとしてではなく、サプライヤーとの信頼関係を基盤とした長期的なパートナーシップとして捉えることが極めて重要である 23。短期的な成果を性急に求めるのではなく、継続的な対話を通じて課題を共有し、共に学び、成長していくという息の長い視点が、最終的な成功を左右する。

6.2 テクノロジーが拓く次世代エンゲージメント:AI、ブロックチェーン、専門プラットフォーム

従来、多大な人手を要し、データの正確性にも課題を抱えていたサプライヤーエンゲージメントは、テクノロジーの進化によって大きな変革期を迎えようとしている。AI、ブロックチェーン、そして専門プラットフォームは、エンゲージメントをより効率的、高精度、かつスケーラブルなものへと進化させる可能性を秘めている。

  • 専門プラットフォームの台頭:

    これまでExcelなどで属人的に管理されがちだったGHG排出量算定・管理は、専門のクラウドプラットフォームの登場により、大きく変わりつつある。NTTデータの「C-Turtle」34、米国の「Persefoni」52、フランスの「Sweep」44 といったプラットフォームは、GHGプロトコルに準拠した算定ロジックを内蔵し、監査にも耐えうる信頼性の高いデータ管理を実現する。これにより、企業は算定業務の負荷を軽減し、データ分析や削減戦略の立案といった、より付加価値の高い活動にリソースを集中させることが可能になる。

  • AI(人工知能)の活用:

    AIは、サプライチェーンの脱炭素化における様々な課題を解決する強力なツールとなり得る。

    • 排出量予測とホットスポット特定: AIは、膨大な購買データや生産データ、市場トレンドを分析し、排出量の多いサプライヤーや製品を高い精度で予測する。これにより、エンゲージメントの優先順位付けをより動的かつ正確に行うことができる 55

    • 最適化と効率化: 物流ルートの最適化、生産設備のエネルギー消費量のリアルタイム監視と制御、需要予測の精度向上による過剰生産の抑制など、AIはサプライチェーンの様々な場面で非効率をなくし、排出量を削減する 55

    • 業務の自動化: サプライヤーから提出されたESGレポートの要約、脱炭素化に関する推奨事項のドラフト作成など、生成AIを活用することで、エンゲージメントに関わるコミュニケーション業務を効率化できる 55

  • ブロックチェーンによる信頼性の担保:

    サプライチェーンを流れるデータの信頼性は、Scope3算定の根幹をなす。ブロックチェーン技術は、その改ざん不可能な分散型台帳という特性を活かし、データのトレーサビリティと信頼性を飛躍的に向上させる可能性を秘めている。

    • 不変の記録: 原材料の採掘から製品の廃棄まで、各段階でのエネルギー消費量や排出量データをブロックチェーン上に記録することで、誰にも改ざんできない、透明性の高い取引記録を構築できる 56

    • スマートコントラクトの活用: 「納品が完了したら、自動的にサプライヤーに排出量データの提出を要求する」といったルールをスマートコントラクトとしてプログラムすることで、データ収集プロセスを自動化し、人的ミスを排除できる 57

    • 信頼できるデータ共有: 業界内の企業がコンソーシアムを組み、共通のブロックチェーン基盤上でデータを共有することで、業界標準のデータ報告フォーマットを確立し、サプライチェーン全体の排出量をより正確に把握することが期待される 57

これらのテクノロジーは、サプライヤーエンゲージメントを「人海戦術」から「データ駆動型の科学的アプローチ」へと変革させ、その質と規模を新たな次元へと引き上げるだろう。

6.3 サーキュラーエコノミーとの融合:Scope3削減の新たなフロンティア

サプライヤーエンゲージメントの究極的な進化形は、サーキュラーエコノミー(循環型経済)の原則との融合にある。従来の脱炭素活動が、既存の「作る→使う→捨てる」という線形経済モデルの中で、いかにエネルギー効率を高め、排出量を減らすかという「改善」に主眼を置いていたのに対し、サーキュラーエコノミーは、そのモデル自体を根本から変革しようとするアプローチである。

  • Scope3削減の新たな視点:

    Scope3排出量、特にカテゴリ1「購入した製品・サービス」の大部分は、原材料の採掘や加工に起因する。サーキュラーエコノミーは、この根源的な排出源に直接アプローチする。

    • リサイクル材の利用: サプライヤーと協働し、バージン材の代わりにリサイクル材を積極的に活用することで、原材料採掘に伴うGHG排出を大幅に削減する 59

    • 製品の長寿命化: 耐久性の高い製品を設計し、修理やアップグレードを容易にすることで、製品の買い替えサイクルを長期化させ、製造に伴う排出総量を抑制する。

    • リマニュファクチャリング(再製造): 使用済み製品を回収し、分解・洗浄・部品交換を経て新品同様の製品として再市場投入する。これにより、新たな製品を製造する場合に比べて、エネルギーと資源の消費を劇的に削減できる。

    • シェアリング/サービス化: 製品を「所有」から「利用」へと転換するビジネスモデル(PaaS: Product as a Service)をサプライヤーと共創する。これにより、製品の稼働率が向上し、社会全体で必要な製品の総量を減らすことができる。

このアプローチは、サプライヤーエンゲージメントの対象を、サプライヤーの「工場(オペレーション)」から、サプライヤーが作る「製品(設計・素材)」へと拡張するものである。これは、単なる排出削減に留まらず、資源枯渇や廃棄物問題といった他の環境課題にも同時に対応する、より本質的でインパクトの大きい戦略と言える。

サプライヤーエンゲージメントとサーキュラーエコノミーの融合は、サステナビリティをコスト要因からビジネスモデル革新のドライバーへと転換させ、Scope3削減の新たなフロンティアを切り拓くことになるだろう 59

終章:未来のサプライチェーンを共創するために

本レポートは、企業経営における最重要課題の一つとして浮上したScope3排出量の削減について、その最も効果的な手法であるサプライヤーエンゲージメントを多角的に掘り下げてきた。Scope3が自社の直接排出量を遥かに上回る「見えざる巨人」であること、そしてその管理がもはやCSRの範疇を超え、企業の競争力と事業継続性を左右する戦略的必須事項であることを明らかにした。

我々は、エンゲージメントの成功が「要請」と「支援」のバランスの取れた二輪駆動モデルと、「知る・測る・減らす」という体系的な支援策にかかっていることを見た。NTTデータグループ、リコー、大和ハウス工業といった国内リーダー企業の実践は、テクノロジーの活用、経営戦略との統合、そしてサプライヤーに寄り添う伴走支援といった、日本市場で有効な多様な成功モデルを示している。同時に、「エンゲージメント疲れ」や「データ収集の目的化」といった陥りがちな罠を回避するための具体的な処方箋も提示した。

特に、多重下請け構造や価格転嫁問題といった日本特有の課題に対しては、個社の努力だけでは限界があり、Tier 1サプライヤーの能力育成や、業界・地域を巻き込んだエコシステムのアプローチが不可欠であるという結論に至った。これは、未来のサプライチェーンにおける企業の役割が、単なる「買い手」から、持続可能な価値を共創するネットワークを主導する「コンダクター」へと進化する必要があることを示唆している。

さらに、AIやブロックチェーンといった先進技術は、エンゲージメントの効率性と信頼性を飛躍的に高め、サーキュラーエコノミーとの融合は、排出削減を根本的なビジネスモデル変革へと昇華させる新たな地平を切り拓くだろう。

サプライヤーエンゲージメントは、決して平坦な道のりではない。それは、短期的なコストと長期的な価値の間で難しい判断を迫られ、部門間の利害を調整し、そして何よりも、サプライヤーとの間に人間的な信頼関係を築き上げるという、粘り強い努力を要するプロセスである。

しかし、この挑戦から目を背けることは、未来の市場での競争権を放棄することに等しい。サプライチェーン全体での脱炭素化は、リスクであると同時に、新たなイノベーションを生み出し、強靭で持続可能な事業基盤を構築し、そして真に社会から必要とされる企業へと生まれ変わるための、またとない機会なのである。

このレポートを読了した今、行動を起こす時が来た。未来のサプライチェーンは、誰かが与えてくれるものではなく、自らの手で、パートナーであるサプライヤーと共に築き上げていくものである。その第一歩として、以下の3つのアクションから始めることを強く推奨する。

  1. 部門横断タスクフォースの設立: サステナビリティ、調達、製造、研究開発、経営企画部門からメンバーを選出し、Scope3削減を全社的な課題として推進する体制を構築する。

  2. Scope3ホットスポット分析の実施: まずは利用可能なデータ(購買データ等)を用いて、自社のScope3排出量の全体像を把握し、最も排出量が多いカテゴリやサプライヤーを特定する。

  3. パイロット・エンゲージメントの開始: 特定したホットスポットの中から、戦略的に重要かつ協力的な5~10社のサプライヤーを選定し、対話を開始する。まずは彼らの課題を深く理解することから始め、共同で小さな成功体験を積み重ねていく。

この一歩が、貴社、そして日本の産業全体の、持続可能な未来に向けた大きな飛躍の始まりとなることを確信している。

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著者情報

国際航業株式会社カーボンニュートラル推進部デジタルエネルギーG

樋口 悟(著者情報はこちら

国際航業 カーボンニュートラル推進部デジタルエネルギーG。環境省、トヨタ自働車、東京ガス、パナソニック、オムロン、シャープ、伊藤忠商事、東急不動産、ソフトバンク、村田製作所など大手企業や全国中小工務店、販売施工店など国内700社以上・シェアNo.1のエネルギー診断B2B SaaS・APIサービス「エネがえる」(太陽光・蓄電池・オール電化・EV・V2Hの経済効果シミュレータ)のBizDev管掌。再エネ設備導入効果シミュレーション及び再エネ関連事業の事業戦略・マーケティング・セールス・生成AIに関するエキスパート。AI蓄電池充放電最適制御システムなどデジタル×エネルギー領域の事業開発が主要領域。東京都(日経新聞社)の太陽光普及関連イベント登壇などセミナー・イベント登壇も多数。太陽光・蓄電池・EV/V2H経済効果シミュレーションのエキスパート。Xアカウント:@satoruhiguchi。お仕事・新規事業・提携・取材・登壇のご相談はお気軽に(070-3669-8761 / satoru_higuchi@kk-grp.jp)

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たった15秒でシミュレーション完了!誰でもすぐに太陽光・蓄電池の提案が可能!
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