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グリッドフレキシビリティとは?再エネ比率上昇で求められる送配電網の柔軟性確保
グリッドフレキシビリティ(Grid Flexibility)とは、再生可能エネルギーの大量導入時代において電力ネットワークに求められる「柔軟性」のことです。
太陽光や風力など変動型の再エネ電源が増えると、発電量は天候や時間帯で大きく変動し、不確実性も増します。一方で電力の安定供給には需要と供給を常に一致させること(同時同量の原則)が不可欠です。このギャップを埋め、電力の質と信頼性を保つために必要なのがグリッドフレキシビリティ(系統柔軟性)なのです。
では具体的に何を指すのでしょうか?
グリッドフレキシビリティとは、「ミリ秒から季節単位まで様々な時間スケールで生じる需給の変動・不確実性を、信頼性と経済性を維持しながら管理するために電力系統が備えるべき機能」の総称です。
従来、この柔軟性は主に火力発電や揚水発電が担い、需給バランス調整や周波数維持に寄与してきました。しかし再エネの比率が高まる現代では、新たな技術や制度を総動員してフレキシビリティを確保することが大きな課題となっています。
本記事では、再エネ大量導入によって電力送配電網に何が起きているのか、その課題と解決策を高解像度の知見から紐解きます。
政策立案者や電力会社関係者、再エネ事業者、エンジニアの方々に向けて、グリッドフレキシビリティの全体像、技術的ソリューション、制度設計、経済的視点、そして国内外の最新動向を包括的に解説します。最後には事実ベースのファクトチェックも交え、信頼性の高い情報を提供します。それでは、グリッドフレキシビリティの世界へ一緒に踏み込んでいきましょう。
再エネ大量導入がもたらす電力系統の課題
日本を含む世界各国で再生可能エネルギー電源の導入が急速に進んでいます。
日本では2030年に再エネ比率36~38%、2040年には4~5割に達する見通しが政府計画で示されています。欧州では既に再エネ(主に風力・太陽光)が電源構成の50%以上を占める国も出てきており、電力供給の在り方が大きく変わりつつあります。一方で、再エネ比率が上昇するほど電力系統には次のような課題が顕在化します。
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需給バランス維持の難化:太陽光や風力の出力は天候任せで、需要に合わせて自在に発電できません。晴天の昼間に発電が需要を上回れば余剰電力が生じ、夜間や無風時には供給力不足に陥ります。これまでは火力発電所が出力調整して需要変動に追従してきましたが、再エネ増加に伴い火力稼働が減ると調整力も減少します。電気を貯めることができない(大量には)という制約の中、刻々と変わる需給をどう安定させるかが課題です。
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周波数・電圧の安定性低下:再エネの多くはパワーエレクトロニクス(PCS)を介して系統に接続する非同期電源です。従来の大型回転機(同期発電機)が減ると、系統の持つ慣性力(急な周波数変動を抑える力)や同期化力(周波数を元に戻す力)が低下し、大きな周波数変動が起こりやすくなります。風光頼みの電源ばかりでは「電気の質」を保つのが難しくなるという指摘があります。
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出力抑制(カーテイルメント)の増加:発電量が需要を上回るとき、余剰の再エネ電力は捨てざるを得ません。日本でも太陽光発電の出力抑制が各地で増えており、2023年度は全国合計で17.6億kWh(前年比3倍以上)の再エネが泣く泣く捨てられる見通しです。特に九州では、再エネ発電量の約6.7%が抑制対象となる試算で、欧米の同等事例(豪州やカリフォルニアでは再エネ比率が九州の2倍でも抑制率は半分以下)と比べても大きなロスとなっています。
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系統容量ひっ迫・接続待ち問題:新たな再エネ発電所を建てようとしても、「送電線に空きがない」ために系統接続できないケースが増えています。日本では長らく先着順で送電容量を占有するルールでしたが、この方式では後から来た再エネ事業者は空き待ち状態になります。送電網を増強すれば解決しますが、多額の費用と時間がかかり、結局そのコストは需要家負担となります。接続待ちの発電所を抱えつつ十分に送電網を使い切れていないジレンマもあり、いかに既存設備を有効活用して早く多くの再エネをつなぐかが問われています。
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従来の電力供給ルールとの齟齬:日本の電力システムには、原子力や一定の火力を優先給電し、余った再エネを止める運用慣行が残る部分があります。また卸電力市場では取引価格に下限(ゼロ円)が設定されており、需給逼迫時以外は電気を捨てても価格がマイナスになることはありません。結果として安価な再エネが余っても市場メカニズムで調整しきれず、出力抑制に直結しています。九州では太陽光余剰時にも原発が優先運転され、融通が十分効かないため抑制が増えているという指摘もあります(実際、九州では優先給電される原子力が柔軟性を下げ、再エネの非合理な抑制を招いているとの分析があります)。既存ルールを見直し、市場原理で柔軟に制御できるよう改革する必要性も浮上しています。
以上のように、再エネを大量導入するには「電力系統の柔軟性不足」という根源的な壁にぶつかります。欧州など再エネ先進地域では、市場メカニズムを軸にフレキシビリティを高めることで再エネ比率50%前後でも安定供給を維持可能であることが実証されています。日本でも脱炭素化の目標を達成するには、この柔軟性確保が避けて通れない最重要課題なのです。
では具体的に、どのような手段でグリッドフレキシビリティを向上できるのでしょうか?
次章から、技術・制度・経済の各側面から解決策を掘り下げます。
グリッドフレキシビリティを高める技術ソリューション
グリッドフレキシビリティ向上のためには、多様な技術オプションを組み合わせて活用する必要があります。ここでは代表的な技術的ソリューションを解説します。
1. 大規模蓄電システム(バッテリーなど)の活用
蓄電池(バッテリーストレージ)はグリッドフレキシビリティの切り札です。発電と消費のタイミングをずらす「時間の壁」を越える手段として、電気を貯めて必要なときに放出できる蓄電技術は極めて有効です。特にリチウムイオン電池は価格低下と技術進歩により世界中で導入が加速しています。日本でも再エネ出力抑制の増加を背景に、系統用蓄電池の接続申請が急増しており、2024年末時点で約9,500万kW(95GW)もの接続検討が行われています。これは日本の総発電設備容量に迫る規模であり、蓄電ビジネスへの期待と関心が非常に高まっていることを示しています。
蓄電池には用途や時間軸によって様々な種類があります。短時間の調整にはリチウムイオン電池が主力で、特に近年は安価で安全性にも優れるリン酸鉄リチウムイオン電池(LFP)が注目されています。一方、6時間以上の長時間にわたるエネルギーシフトには従来のポンプ式揚水発電に加え、レドックスフロー電池やNAS電池(ナトリウム硫黄電池)、蓄熱技術、鉄空気電池などの長期エネルギー貯蔵技術(LDES)が期待されています。これらは季節間のエネルギー貯蔵や非常時バックアップにも有用で、世界中で研究開発・実証が進んでいます。
蓄電池導入の効果は既に実例が示しています。例えば米カリフォルニア州では太陽光発電の急増による「ダックカーブ」問題(昼過ぎに余剰となり夕方に逼迫する課題)に対し、大容量バッテリーの設置を推進しました。その結果、2024年4月30日にはカリフォルニア州全体で蓄電池が最大7GWもの出力で放電し、夕方ピーク需要の約33%を賄うまでになりました(出典: 国際エネルギー機関※レポート)。日中の余剰太陽光をバッテリーが吸収し、夕方に放出することで、かつて深刻だった需給ギャップが大幅に緩和されたのです。
このように蓄電池は再エネの有効活用とピーク緩和に直結するソリューションです。日本でも経済産業省や自治体が蓄電池導入支援策を拡充しており(例:国の補助事業や東京都の大型蓄電プロジェクト支援等)、また電力市場でも調整力や容量市場で蓄電サービスに収益機会を与える仕組みが整いつつあります。さらに、新ビジネスとして蓄電池ファンドや独立系蓄電事業(IPS:Independent Power Storage)も登場し、民間資金を活用した大型プロジェクトが動き始めています(例:伊藤忠商事による日本初の系統用蓄電池ファンド設立や、再エネアセット事業者による容量300MWの大型蓄電所落札など)。
※国際エネルギー機関(IEA)”Electricity Grids and Secure Energy Transitions 2023″報告より。CleanTechnicaの解説記事(2024年9月24日付)で引用。
2. デマンドレスポンス(DR)と需要側の柔軟性向上
デマンドレスポンス(DR)は需要側(消費者側)が電力使用を一時的に調整することで系統運用に協力する仕組みです。具体的には、電力不足が予想される時間帯に工場やビルが消費を抑制したり(ネガワット創出)、逆に余剰電力が出るタイミングで電気自動車の充電や蓄熱などを行うことで、需要パターンを電源側に合わせて柔軟に変化させます。
DRは「使う側が電力バランス調整に参加する」新しい潮流であり、再エネが主力電源となる時代には不可欠な仕組みです。
日本でもDRの活用が進み始めています。例えば電力会社が調整力として需要抑制を公募する「需給調整市場」は2021年4月にスタートし、アグリゲーター(需要家の集合体を制御する事業者)が入札に参加できるようになりました。また、猛暑・厳寒に備えた予備力である「電源I’(イチダッシュ)」の調達では、2022年度に約364万kWの落札容量のうち実に6割(229.7万kW)をDRが占めました。年々DRの貢献度は高まっており、調整力市場でも一部の商品でDR参加要件の緩和が進められています。これは、中小需要家が多数参加できるようにするなど、DRのさらなる普及策が取られていることを意味します。
DRを実現する鍵となるのがアグリゲーターの存在です。多数の需要家(家庭の蓄電池や工場の負荷など)を束ねてバーチャルな発電所のように制御するバーチャルパワープラント(VPP)の取り組みが各地で始まっています。政府も「DER(分散型エネルギーリソース)の柔軟性技術の開発・実証」を支援し、家庭用蓄電池を数千台規模で統合して需給調整市場に応動できるかといった実証を進めています。その成果を踏まえ市場ルールを整備する計画もあり、需要側リソースを本格的に戦力化しようとしています。
需要側の柔軟性向上は、デジタル技術と組み合わせてさらなる拡大が期待されます。スマートメーターの普及によりきめ細かな需要制御が可能となり、AIを使った需要予測・最適制御も実用化が進んでいます。今後は電気自動車(EV)の充放電を電力調整に活かすV2G(Vehicle-to-Grid)や、家庭のエアコン・給湯器を遠隔制御して需要をシフトさせるスマート需要家電なども普及するでしょう。欧州では一部の国で既に、電気自動車のスマート充電が系統調整に寄与し始めているとの報告もあります。
3. スマートインバータと次世代グリッド制御技術
従来、太陽光や風力などパワーエレクトロニクス接続の再エネ電源は「出力を変えるだけで系統安定には貢献できない」と見なされがちでした。しかし技術の進歩により、再エネ側も周波数・電圧制御に参加できる時代が来ています。
スマートインバータとは、高度な制御機能を持ったパワーコンディショナー(PCS)で、電圧や無効電力の制御、周波数応答機能などを備えます。例えばグリッドフォーミング(GFM)型インバータは、自ら基準信号を作り出して系統の電圧・周波数を安定させることができます。これにより、従来は同期発電機が提供していた「仮想慣性」や「同期化力」を再エネ+インバータで代替可能です。実際、世界では太陽光・風力・蓄電池・HVDC(高圧直流送電)の組み合わせで非同期電源だけでも周波数安定化が図れるケースが増えています。
スペインでは既に風力発電設備の60%以上、太陽光の25%程度が周波数調整サービスに参加し、調整市場の35%以上をこれら再エネで賄っているとのデータがあります。つまり再エネ自体が出力を上下させて周波数維持に寄与しているのです。また日本国内でも、疑似慣性機能付きPCSの開発が進んでいます。例えば日立産機や東芝、明電舎など国内メーカーが相次いで仮想同期発電機(VSG)機能を備えた次世代インバータを開発・実証中です。これらはソフトウェア改良で既存PCSに実装できるものもあり、今後広く導入されれば低コストで系統の瞬時調整力を強化できる可能性があります。
日本のグリッドコード(電力系統技術要件)も、再エネのこうした能力を引き出す方向で強化されています。2024年までに議論されたフェーズ2要件では、インバータ電源に対し「電圧・無効電力制御機能」や「周波数変動時の出力維持」などが盛り込まれ、2025年以降に適用される予定です。さらに将来のフェーズ3要件として、周波数上昇時の出力抑制(過周波時に太陽光発電が自動で出力を絞る)や負荷による周波数制御(需要側の周波数感応型制御)の検討も進められています。これらの規制整備により、全ての発電リソース・需要リソースが協調して系統安定に寄与する次世代グリッドが目指されています。
4. 送電インフラの有効活用と増強(ネットワーク対策)
どんなに発電側・需要側で工夫しても、電気を送り届けるネットワーク自体にボトルネックがあっては再エネは活かせません。そこで送配電網そのものの柔軟性を高める施策も重要です。大きく分けて「既存送電インフラの最大活用(運用改革)」と「将来的な送電網増強計画(設備投資)」の2本柱があります。
(A) 既存送電網の最大活用:日本はこれまで送電線の空き容量を厳格に算定し、容量不足の場合は新設増強するのが原則でした。しかしそれでは時間と費用がかかり過ぎるため、欧米で採用されている「コネクト&マネージ」方式を日本版として導入しています。具体的な施策が3つあります。
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想定潮流の合理化: 発電所が全てフル出力で稼働する状況は稀であり、需要もある程度相殺します。そこで発電と需要の実態に即した保守的すぎない潮流想定で空き容量を算出し直し、より多く接続余地を見出す手法です。日本では2018年から全国一律ルールで適用され、算定精度向上により見かけ上ゼロだった空き容量が増えるケースが生まれました。
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N-1電制: 通常、送電線は1回線故障時でももう1回線で賄えるようN-1基準で余裕を持たせています。しかし平時はフルに使われていません。そこで平常時は2回線分フルに使い、万一の故障時には一部電源を遮断して対応する運用を導入しました。これにより平時の送電容量を約2倍近く活用でき、送電網容量を実質拡大する効果があります。発電機故障と同程度の制御であれば影響は限定的との判断で、現在このN-1電制運用が各地で展開されています。
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ノンファーム型接続: 空いているときだけ使ってよいという条件付きで新規発電を接続する方式です。従来のファーム(堅確保)接続では常時容量を占有していましたが、ノンファームでは混雑時には出力を抑制する代わりに早期接続を許可します。日本でも2021年から本格導入され、既に北海道や東北、九州などで多くの再エネがノンファーム接続されています。将来的に蓄電池など併設すれば抑制の頻度も下げられるため、新規再エネ導入拡大の鍵となっています。
これら3つはいずれも既存設備を賢く使うソフト面の改革で、総称して「日本版コネクト&マネージ」と呼ばれます。これにより送電インフラ増強を待たずに再エネを接続しやすくし、さらに発電側にも一部リスク(抑制リスク)を負担してもらうことで公平性と効率性を両立しています。実際、この仕組みによって「空き容量ゼロ」が嘆かれていた地域でも続々と新規案件が繋がり始めています。
(B) 送電網の計画的な増強:とはいえ長期的には需要地と供給地を結ぶ大容量送電網の増強も不可欠です。特に北海道・東北の風力や中部・九州の太陽光などポテンシャルの高い地域から都市部への送電強化、さらには将来の海底直流送電による広域融通(例えば北海道~本州間、あるいは九州~関西間の増強)などが検討されています。経済産業省の「電力ネットワーク強化マスタープラン」では、カーボンニュートラル実現に向け2030年・2040年・2050年の各段階で必要な系統増強が示されています。これには数兆円規模の投資が必要ですが、長距離HVDC幹線や地域間連系線の新増設により、再エネの地理的ミスマッチを解消し全国レベルで柔軟性を向上させることが期待されます。
なお送配電設備には電力フローを制御・最適化するパワーエレクトロニクス機器の導入も進んでいます。代表例がFACTS(Flexible AC Transmission Systems)やD-FACTSと呼ばれるデバイスで、需要変動に応じて無効電力を補償し電圧を安定化させたり、あるいは潮流を制御して特定の送電線の過負荷を緩和することができます。また近年は各送電線のリアルタイム温度を監視して動的に送電容量を引き上げる動的レーティング技術も実用化されつつあります。地味ながらこうした技術も送電網の柔軟性と効率性を高める重要なツールです。
5. その他の柔軟性リソース:発電側の調整力・水素等
再エネ主体の電源構成に移行するとはいえ、過渡期には一定の化石燃料火力やダム式水力発電が調整弾力を提供し続ける必要があります。特にガスタービンは起動停止や出力追随が比較的容易なため、アンシラリーサービス(周波数制御予備力など)提供源として活用できます。ただし長期的な脱炭素を考えれば、こうした化石燃料発電もCO2排出を低減する方向にシフトせねばなりません。
そこで期待されるのがクリーンな燃料による調整力です。たとえば既存のガスタービン発電をグリーン水素やアンモニアを燃料に転換すれば、カーボンフリーの調整電源となり得ます。現在日本でも一部の石炭火力で20%アンモニア混焼試験が行われており、将来的には純アンモニア燃焼発電や水素ガスタービンの実用化が計画されています。これらは依然として実証段階ですが、将来のバックアップ電源として再エネの不安定さを補完する可能性があります。
また地熱発電やバイオマス発電、小水力発電といった再生可能エネルギー由来の調整可能電源もフレキシビリティ向上に貢献します。これらは天候に左右されず比較的安定出力が可能なため、系統のベース支えや補完電源として期待できます。特に地熱は出力調整もある程度可能で、将来的な拡大余地があります。
市場メカニズムと制度設計による柔軟性の確保
技術だけでなく、経済的インセンティブと制度設計もグリッドフレキシビリティ確保には欠かせません。ここでは市場メカニズムや規制改革の側面から見ていきます。
1. 電力市場の改革と価格シグナル
再エネ時代に対応した電力市場の設計として重要なのが、柔軟性リソースに正当な価値を与える価格シグナルです。具体的には、需給が緩む時間帯には電力価格をゼロやマイナスにまで下げてでも余剰電力消化を促すこと、逆に逼迫時には高騰する価格で需要抑制や供給追加を誘発することが求められます。
欧州の多くの国では既に卸電力市場でマイナス価格が発生しており、余剰時には発電側が支払いをしてでも出力を続ける状況が生まれます。これにより蓄電池は安い電気を買って充電し、需要家も電気加熱やポンプ稼働などできるだけ電気を使おうという行動を取ります。一方、採算の悪化する石炭火力や原子力は出力を下げるインセンティブとなります。まさに価格メカニズムを通じて柔軟性を引き出す形です。
日本でもこのネガティブプライス導入が提言されています。自然エネルギー財団の分析によれば、経済原則に基づく経済的ディスパッチ(発電コスト順に給電し需給バランスを取る)への転換と、価格下限をマイナスに開放することで、多くの出力抑制が回避できると指摘されています。現在、日本のスポット市場価格は0円/MWh未満にならない仕様ですが、これを見直すことで市場を通じた需給調整力が飛躍的に高まるでしょう。
また、調整力市場・容量市場といった新設された市場も柔軟性に価値を与える設計になっています。需給調整市場では周波数制御予備力などを広域調達し、蓄電池やDRも入札できるようになりました。容量市場では将来の供給能力(kW)に対価を払いますが、ここでも蓄電池や需要削減能力をきちんと評価する仕組みが重要です。実際、日本の容量市場では2020年代後半の供給力として蓄電池が一定量採用され始めています。さらには「脱炭素電源オークション」と称して、CO2排出の少ない電源(蓄電池含む)を優先的に調達する試みも行われています。こうした市場枠組みを通じ、柔軟性を提供できる事業者が収益を得られる環境を整えることが普及のカギとなります。
2. 規制・基準の見直し(グリッドコードの更新など)
前述のように、日本はフェーズ2~4に分けて系統技術要件(グリッドコード)の高度化を図っています。これは制度面からフレキシビリティ資源の最低要件を底上げするアプローチです。例えば、再エネ発電設備への出力制御装置の義務化や遠隔制御インターフェース標準化はすでに実施済みです。さらにPCSへの高度機能要求(FRT機能、出力抑制時の最低出力保証、周波数検知応答など)も段階的に強化されます。
また発送電分離後の送配電網運用ルールも見直しが行われています。先着優先だった接続ルールをノンファーム型に転換したのもその一環ですが、他にも発電計画の精度向上義務や需要家データの有効活用など、細かな規制変更が進行中です。需要予測の誤差縮小や、再エネ発電側の計画値偏差ペナルティ導入(インバランス料金見直し)も将来的に検討されています。これらは市場外のインセンティブ設計として、発電・需要それぞれが計画的かつ柔軟に行動するよう促す狙いがあります。
3. ビジネスモデルとファイナンスの革新
グリッドフレキシビリティ向上には巨額の投資が必要ですが、その裏側には新たなビジネスチャンスも広がります。例えば蓄電サービス事業はその代表で、ピーク時に放電して収益を得たり調整力を提供したりといったビジネスモデルが成立し始めています。特に欧米では「バッテリー・エネルギーストレージ・システム(BESS)」への投資が活発で、独立系電力事業者(IPP)ならぬ独立系蓄電事業者が増加しています。
日本でも商社や電力会社が蓄電プラント事業に参入し、ファンドを組成して複数の蓄電所プロジェクトを展開する動きがあります。資金調達面ではグリーンボンド発行やクラウドファンディングによる蓄電池ファイナンスも模索されています。さらに、需要家側ではアグリゲーター事業が有望視され、多くの需要設備を束ねて市場取引する新興企業が登場しています。これらのビジネスが成功するには、前述の市場制度が整い十分な収益機会があることが前提ですが、制度とビジネスの協調進化が起これば柔軟性リソースの普及は一気に加速するでしょう。
一方、送電網増強など公共インフラ的投資については、規制料金で回収するモデルが基本ですが、ここにも創意工夫があります。たとえば「再エネ立地促進輸送サービス」といった、新規再エネ電源からの接続料金を長期分割で回収する仕組みや、需要地側からの先行投資ファンド組成など、官民連携でリスクを分担する資金調達スキームが検討されています。GX実行会議でも「送電インフラ投資の前倒し」が提言されており、政府による資金支援や規制改革をテコに迅速な系統整備が求められています。
世界の先進事例と日本への示唆
欧州:欧州連合(EU)は電力市場の統合と柔軟性向上で世界をリードしています。国境を越えた電力融通が盛んで、天候に恵まれた地域の余剰再エネが相互送電網を通じて他地域を支える仕組みが整っています。また各国で調整力市場が開放され、蓄電池やDRが活発に参加しています。スペインは前述の通り再エネが調整サービスを担うまでになり、デンマークは風力発電を隣国の水力と組み合わせることで瞬間的な100%再エネ供給も実現しています。イギリスでは国営系統運用者ESOが2025年までに化石燃料なしでも安定運用できる系統を目指し、シンクロナス・コンデンサ(同期調相機)設置や高速周波数応答の調達強化を進めています。欧州の事例は、日本に市場設計や国際連系の重要性を示唆しています。
アメリカ・オーストラリア:広域で見ると、多様な取り組みが行われています。カリフォルニア州は紹介したように蓄電池大増設で太陽光大量導入を乗り切ろうとしています。テキサス州は卸市場における高価格キャップ(上限制御)を緩めることで需給ひっ迫時に猛烈な価格シグナルを出し、蓄電や需要応答を促しています。オーストラリア(AEMO)は「2025年までに瞬間的な再エネ比率100%を達成できる系統運用」を公式目標に掲げ、周波数制御や分散型リソース統合の改革工程を進めています。具体的には、5分ごとのスポット市場化や需要家太陽光の遠隔出力制御、先述のグリッドフォーミングインバータ実証など、系統セキュリティと再エネ最大化の両立に取り組んでいます。このような大胆な目標設定とロードマップは日本にとって刺激的な先例です。
日本:日本は島国ゆえ国際連系線はありませんが、地域間連系設備と周波数変換設備により東西の電力融通を図っています。今後は北海道~本州間や九州~本州間など、新たな連系強化も計画されています。政策面ではGX(グリーントランスフォーメーション)基本方針に再エネ主力化と系統柔軟化が掲げられ、需給調整市場の拡充、蓄電池導入目標、次世代電力ネットワーク研究開発などが推進されています。特に系統用大容量蓄電池は2030年頃までに数GW規模を実現するとの見込みも示されています。また送配電会社に対しても出力制御の最小化努力義務が課され、抑制ロジックの改善(例えば太陽光と風力を地域間で融通して抑制回避)など運用面の工夫がなされています。
総じて、日本は欧米に比べ出遅れた面もありますが、ここ数年で制度設計や技術導入が飛躍的に進みつつあります。重要なのは、個別施策を有機的・総合的に組み合わせるシステム思考です。蓄電池だけ入れても、ルールが硬直していては活かせません。市場を整備しても、技術が追いつかなければ機能しません。したがって政策立案者から現場エンジニアまでが全体像を理解し、連携して「柔軟性ある電力システム」への転換を図ることが肝要です。
よくある質問とその回答(FAQ)
Q1: グリッドフレキシビリティとは何ですか?
A1: 電力ネットワーク(グリッド)の柔軟性のことです。特に再エネのように出力が変動する電源が増えたとき、需給バランスや周波数・電圧を安定維持するために系統が持つべき調整力を指します。ミリ秒単位の周波数制御から季節単位の電力貯蔵まで幅広い時間領域での柔軟性を含みます。
Q2: なぜ再エネが増えると柔軟性が必要になるのですか?
A2: 再エネは天候や時間帯で発電が大きく変わり、電力の供給量がコントロールしにくくなります。一方で電気は貯めにくく、需要に合わせて供給を調整し続ける必要があります。再エネが少ないうちは火力発電などで調整できますが、再エネ比率が高くなるとそれだけでは足りません。余剰が出れば蓄えるか捨てるしかなく、急な不足が出れば他で埋める必要があります。つまり再エネ大量導入は電力システムにこれまで以上の調整力(フレキシビリティ)を要求するのです。
Q3: 日本ではもう柔軟性不足の問題が起きているのですか?
A3: 部分的に起きています。象徴的なのが再エネの出力抑制です。需要より供給が上回る際に再エネ発電を止める措置で、2022年度までは主に九州で実施されていましたが、2023年度は北海道・東北・中部など全国各地で発生し、合計エネルギー量は前年度の3倍以上に増える見通しです。これは柔軟性不足で再エネを活かしきれない典型例です。また2022年3月や2023年1月のように電力需給ひっ迫警報が出たケースでは、電力融通やDRがフル活用されましたが、それでも危機的状況でした。幸い大規模停電には至っていませんが、現状のまま再エネ比率が上がればリスクは高まると専門家は指摘しています。
Q4: どうすればグリッドフレキシビリティを高められますか?
A4: 技術面と制度面の両輪で対策します。技術面では大容量蓄電池を入れて余剰電力を蓄え不足時に放出する、デマンドレスポンスで需要側が消費を柔軟に変える、高度なインバータで再エネも周波数電圧制御に貢献する、送電線運用を工夫して隠れた空き容量を使う、といった手段があります。それらを支える制度面の対策として、市場を整備して価格で調整力に報いる(例:調整力市場やネガティブプライスの導入)、接続ルールを緩和して再エネを繋ぎやすくする(ノンファーム型接続など)、グリッドコードを改定して各設備に必要機能を持たせる、といったことが行われています。本記事で詳述した通り、それぞれが有機的に組み合わさることで全体の柔軟性が高まります。
Q5: 蓄電池は本当に役立つの?高コストでは?
A5: 蓄電池は確かに初期投資コストが必要ですが、得られる価値も大きいです。特にリチウムイオン電池のコストは過去10年で大幅に下がり、ピークシフトや調整力提供での収益と見合うケースも出てきました。世界では蓄電池がすでに大活躍しており、例えばカリフォルニアでは蓄電池が7GWも出力して夕方ピークを支えるほどです。日本でも蓄電池の普及策が進んでおり、補助金や市場参加機会の拡大によって経済性は改善しています。また長寿命・安全性に優れる新型電池も開発中です。蓄電池単体で採算が難しくても、非常用電源やEVとの複合用途で価値を高める工夫もあります。
Q6: 原子力や火力を減らして本当に安定供給できるの?
A6: 十分な柔軟性資源を用意すれば可能だと欧州の事例は示しています。例えばデンマークは大部分の電力を風力で賄いながら近隣諸国と融通して安定供給しています。スペインやドイツでも再エネ5割近くですが、大規模停電なく運用できています。日本の場合、原子力は出力調整が苦手で常時一定出力を維持する性格があり、かえって柔軟性を損なう場面もあります(再エネが余っても原発は止めづらく、その分再エネを止めている)。火力については当面バックアップに残すにせよ、将来的には蓄電や水素等に置き換えていくことが目標です。要は**「安定供給=ベースロード頼み」ではなく「安定供給=柔軟性頼み」へ発想転換**することが重要です。
Q7: 一般消費者や企業にはどんな影響がありますか?
A7: グリッドフレキシビリティ向上策は、一見すると専門的ですが、需要家側にも変化が及びます。例えばデマンドレスポンスに参加する大口工場は、報酬と引き換えに一時的な操業調整を受け入れるかもしれません。家庭でも、電力の使用タイミングによって電気料金が変わる時間帯別料金や、太陽光余剰時にお得なプランなどが普及するでしょう。また停電リスクが減るなどプラスの便益もあります。送電網増強の費用負担など間接的なコスト増もありますが、長期的にはエネルギー自給が進み燃料費を海外に払わずに済むメリットも享受できます。総合的には、需給調整に協力する需要家は得をし、非協力でも大きな不利益はないが全員で安定供給の恩恵を受ける形が望ましい姿です。
まとめ:柔軟性確保こそ再エネ時代の鍵
グリッドフレキシビリティ(系統柔軟性)は、再エネ普及と脱炭素化を成功させるうえで最も重要なインフラ条件と言えます。日本が2030年代・2050年に掲げる野心的な再エネ目標を現実のものとするには、発電・送電・需要のあらゆる側面で柔軟性を高め、従来の常識にとらわれない発想で電力システムを再構築していく必要があります。
幸い、技術開発や世界の知見はこの課題を克服し得ることを示しています。「電気はためられない」「再エネだけでは不安定」といった固定観念は過去のものになりつつあります。大容量蓄電池や高度な制御技術によって、火力発電に頼らなくても周波数を安定させ、大量の再エネを消費者が使いこなす未来が見えてきました。欧州や米豪の先行事例は、政策と市場設計さえ適切になされば50%を超える再エネ比率でも停電せず経済的に成り立つことを教えてくれます。
日本もここ数年で制度改革のスピードを上げています。送配電網の運用改革(コネクト&マネージ)や需給調整市場の開始、系統用蓄電池の大量導入計画など、数年前には考えられなかったような施策が実現しつつあります。官民の関係者が一丸となり、技術開発・実証と制度設計を並行して進める「学習しながら走る」姿勢が極めて重要です。
最後に、グリッドフレキシビリティ向上への取り組みは、単に電力業界の問題に留まりません。産業競争力や地域活性化にも直結します。
蓄電池や電力制御システムは日本企業が強みを持ち得る分野であり、これを伸ばせば世界の脱炭素市場で勝負できます。また再エネを大量に受け入れる送配電網を整備することは、将来クリーンな電力を豊富に使える社会基盤を築くことでもあります。電気の安定供給を保ちつつ地球環境問題を解決するという難題に、日本発のイノベーションと知恵で挑み、克服していくことを期待したいと思います。
ファクトチェック・出典一覧
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柔軟性の定義:「フレキシビリティとは、ミリ秒~季節単位の需給変動を信頼性・経済性を維持しつつ管理する電力系統の機能」― 日本政策投資銀行レポートNo.429 (2025年1月)より
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再エネ大量導入目標:日本政府「第7次エネルギー基本計画」原案(2024年)では2040年に総発電量の40~50%を再エネと想定。2030年目標36-38%(第6次エネ基)
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再エネ出力抑制の増加:2023年度の再エネ抑制量は17.6億kWh(過去最大、前年度比3倍以上)と経産省試算。九州では抑制率6.7%見通し
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欧州における安定供給実証:再エネ50%でも市場型の柔軟性で安定供給維持が可能なことを欧州各国が実証。一方九州では原発優先で柔軟性低下し太陽光抑制増
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系統用蓄電池の導入拡大:日本で系統接続申請中の大型蓄電プロジェクトが95GW(2024年末時点、前年比3.5倍)に達する。政府も総額数百億円規模の蓄電導入支援策を展開
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カリフォルニアの蓄電池活用:2024年4月30日、カリフォルニアで蓄電池が最大7GWを放電しピーク需要の33%を供給(IEA報告による)。太陽光余剰の有効活用に成功
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需給調整市場とDR:日本では2021年に需給調整市場開始。2022年度の電源I’予備力公募では落札容量364万kWの約60%(229.7万kW)をDRが提供と年々拡大
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日本版コネクト&マネージ:非化石電源を早期接続するための「想定潮流合理化」「N-1電制」「ノンファーム型接続」を全国導入。送電網の既存容量を最大限活用する取り組み
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スペインの再エネ調整力参加:スペインでは風力の60%以上・PVの25%が周波数調整市場に参加し、全調整力の35%以上を供給。再エネが調整力を担う先進例
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AEMOの目標:オーストラリアAEMOは「2025年までに瞬間的再エネ100%でも運用可能な系統」を産業界・政府と構築することを目標と公式表明。具体策として周波数制御改革や分散型リソース統合を推進中
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