燃料の未来 化石燃料の黄昏と次世代エネルギー覇権の夜明け – 日本のGX戦略は世界を変えるか?

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国際航業株式会社カーボンニュートラル推進部デジタルエネルギーG

樋口 悟(著者情報はこちら

国際航業 カーボンニュートラル推進部デジタルエネルギーG。環境省、トヨタ自働車、東京ガス、パナソニック、オムロン、シャープ、伊藤忠商事、東急不動産、ソフトバンク、村田製作所など大手企業や全国中小工務店、販売施工店など国内700社以上・シェアNo.1のエネルギー診断B2B SaaS・APIサービス「エネがえる」(太陽光・蓄電池・オール電化・EV・V2Hの経済効果シミュレータ)のBizDev管掌。再エネ設備導入効果シミュレーション及び再エネ関連事業の事業戦略・マーケティング・セールス・生成AIに関するエキスパート。AI蓄電池充放電最適制御システムなどデジタル×エネルギー領域の事業開発が主要領域。東京都(日経新聞社)の太陽光普及関連イベント登壇などセミナー・イベント登壇も多数。太陽光・蓄電池・EV/V2H経済効果シミュレーションのエキスパート。Xアカウント:@satoruhiguchi。お仕事・新規事業・提携・取材・登壇のご相談はお気軽に(070-3669-8761 / satoru_higuchi@kk-grp.jp)

むずかしいエネルギーをカンタンに「エネがえる」
むずかしいエネルギーをカンタンに「エネがえる」

燃料の未来 化石燃料の黄昏と次世代エネルギー覇権の夜明け – 日本のGX戦略は世界を変えるか?

序論:2025年 エネルギーの岐路 – 「燃料」の再定義

2025年という年は、世界のエネルギー史において極めて重要な転換点として記憶されるだろう。

我々が長らく自明のものとしてきた「燃料」という概念そのものが、根底から覆されようとしている。それはもはや、単に燃焼させて熱や動力を得る物質を指す言葉ではない。再生可能エネルギー由来の電子(エレクトロン)と、そのエネルギーを貯蔵・輸送するために設計された分子(モレキュール)が織りなす、複雑なエネルギー変換・供給システム全体を指す言葉へと進化しつつある。

この歴史的な地殻変動を駆動しているのは、三つの強力な潮流である。第一に、もはや議論の余地のない気候変動という存亡に関わる要請。第二に、地政学的緊張の高まりによって最優先課題となったエネルギー安全保障の新たな地政学。そして第三に、脱炭素化された世界経済における産業リーダーシップを巡る熾烈な競争である

世界は今、エネルギー転換の「なぜ(Why)」を問う段階を終え、「いかにして(How)」を実践するフェーズに完全に移行した。21世紀の経済覇権を握るのは、石油や天然ガスを支配する者ではなく、グリーン水素や合成燃料といった新たなエネルギー分子と、それを生み出すためのクリーンな電子を制する者となるだろう。

本稿では、この新たな現実を徹底的に解剖する。世界のエネルギー投資の潮流、化石燃料の緩やかな黄昏、そして次世代燃料が直面する技術的・経済的課題を多角的に分析する。特に、資源に乏しい島国でありながら、世界有数の産業大国である日本が、この難局をいかに乗り越えようとしているのか、その壮大かつリスクを伴う国家戦略――グリーントランスフォーメーション(GX)戦略――に焦点を当てる。これは単なる一国のエネルギー政策ではない。世界の脱炭素化の行方を左右しうる、壮大な社会実験なのである。


第1部:グローバル・エネルギーの戦場 – 投資、権力、そして化石燃料の薄れゆく支配

1.1. 偉大なる資本の回転:新世界エネルギー秩序の形成

世界のエネルギー情勢を最も雄弁に物語るのは、資金の流れである。2025年、世界のエネルギー投資総額は3.3兆米ドルに達する見込みであり、その内訳は歴史的な構造転換を示しているクリーンエネルギーへの投資額が2.2兆米ドルに達する一方、化石燃料への投資は約1.1兆米ドルに留まり、その差は2倍にまで開いている 。特筆すべきは、太陽光発電への投資額が単独で石油生産への投資額を上回るという象徴的な事態である

これは周期的なトレンドではなく、不可逆的な構造変化、すなわち「偉大なる資本の回転(The Great Capital Rotation)」と呼ぶべき現象だ。この変化の原動力を深く分析すると、2015年のパリ協定以降の動機が大きく変容していることがわかる。2015年から2020年にかけての主な動機が気候変動の緩和であったのに対し、2022年以降の情勢は、エネルギー安全保障、サプライチェーンの強靭化、そして産業競争力という新たな三位一体の動機によって定義される 。この動機の変化は、エネルギー転換を支持する層を、従来の環境保護主義者から、国家安全保障の専門家や経済戦略家へと大きく広げる効果をもたらした。

この動機のシフトがもたらす地政学的な帰結は計り知れない。これまでの国際紛争の火種が石油輸送路(シーレーン)の支配であったとすれば、新たな地政学的摩擦の震源地は、重要鉱物(クリティカルミネラル)のサプライチェーン支配(バッテリーや電解槽に不可欠)、先端製造技術における優位性(バッテリーのギガファクトリーや高性能太陽光パネル製造など)、そしてAI駆動の電力網管理とデータセンターへの安定電力供給能力へと移行している

つまり、エネルギー転換は新たな世界権力地図を描き出しているのである。国家の力は、もはや石油埋蔵量ではなく、その国の技術力、製造能力、そして電化と水素製造に不可欠な原材料へのアクセス能力によって測られるようになる。これは「エネルギー超大国」の定義を21世紀版に書き換えるものであり、各国はこの新たな競争のルールに適応することを迫られている。

1.2. 化石燃料の管理された衰退:変動の激しい黄昏を航行する

化石燃料セクターは、単純な衰退の一途を辿っているわけではない。その未来はより複雑で、燃料の種類や需要分野によって大きく異なる様相を呈している。国際エネルギー機関(IEA)の短期エネルギー見通し(STEO)によれば、ブレント原油価格は2025年半ばの1バレルあたり約70米ドルから、OPEC+の増産決定と在庫積み増しを背景に、2026年には平均51米ドルまで下落すると予測されている 。一方で、石炭輸出は世界的な供給過剰により減少が見込まれる

しかし、この全体的な下降トレンドの中にも、特異な需要のポケットが存在する。特に注目すべきは天然ガスである。ヘンリーハブの天然ガススポット価格は、データセンターからの旺盛な需要に牽引され、上昇傾向にあると予測されている 。この事実は、化石燃料の需要構造が二極化していることを示唆している。

この現象を理解する上で、IEAに対する「現実への回帰」という批判は示唆に富む。IEAは、環境活動家からの圧力のもと、意欲的な政策シナリオを重視してきたが、2025年の世界エネルギー見通し(WEO)では、実際の市場シグナルに基づく「現行政策シナリオ(Current Policies Scenario)」を復活させることを決定した 。これは、野心的なネットゼロへの道筋と、既存のエネルギーシステムが持つ巨大な慣性の間に存在する緊張関係を浮き彫りにしている。

この需要の二極化は、エネルギー転換のパラドックスを象徴している。輸送部門(石油)や旧来の発電部門(石炭)における化石燃料需要は、電気自動車(EV)や再生可能エネルギーの普及という構造的な逆風に晒されている。しかし、21世紀の新たなエネルギー集約型産業、特にAIとそれを支えるデータセンター群は、24時間365日途切れることのない安定した電力(ファーム電源)を大量に必要としており、現在の技術水準では、この需要を最も確実かつ経済的に満たせるのは天然ガスである。

結果として、天然ガスは「再生可能エネルギーに代替されるべき『移行燃料(ブリッジ燃料)』」であると同時に、デジタル経済の爆発的成長を支える「『到達点燃料(デスティネーション燃料)』」という、矛盾した役割を担うことになった。この状況は、ガスインフラを維持・拡充しようとする強力な経済的・政治的インセンティブを生み出し、エネルギー転換の道のりをより複雑なものにしている。

1.3. 再生可能エネルギーという原動力:記録的成長とシステム的障壁の狭間で

クリーンエネルギーへの資本シフトの最大の受け皿となっているのが、再生可能エネルギーである。その成長速度は驚異的だ。2024年には、世界で過去最高となる585ギガワット(GW)の再生可能エネルギー設備が新たに追加され、前年比15.1%の拡大を記録した 。これは、同年に世界で追加された全発電設備容量の実に92.5%を占める数字であり、世界の総設備容量に占める再エネの割合は46%に達した 。この急成長を牽引しているのは太陽光発電であり、新規再エネ設備容量の4分の3以上を占めている

この記録的な成長は、電力セクターを根本から作り変える力を持っている。しかし、その輝かしい数字の裏には、エネルギー転換の成否を左右する深刻な課題が潜んでいる。

第一に、「ペースの問題」である。COP28で合意された「2030年までに世界の再エネ設備容量を3倍にする」という目標を達成するには、今後毎年1,120GW以上の新規導入が必要となる 。これは、2024年の記録的な導入量のほぼ2倍に相当するペースであり、現状のままでは目標達成は困難である。

第二に、「集中の問題」である。再エネの導入は、一部の国・地域に危険なほど集中している。2024年の新規導入容量の83.6%は、中国、米国、欧州連合(EU)の3極に偏っている 。一方で、世界人口の20%を占めるアフリカ大陸が誘致したクリーンエネルギー投資は全体のわずか2%に過ぎず、同地域のエネルギー投資総額は10年前と比較して3分の1も減少している 。この地理的な不均衡は、グローバルなエネルギー転換の公正性と実効性を脅かす大きなリスク要因である。

そして最も根源的な課題は、エネルギーシステムの根幹に関わる問題である。太陽光や風力といった変動性再生可能エネルギー(VRE)の大量導入は、従来のディスパッチャブルな(出力調整可能な)化石燃料発電を前提に設計されてきた電力網に、前例のない挑戦を突きつけている 。電力網は、もともと大規模発電所から消費者へという一方向の流れを想定しており、天候によって出力が大きく変動し、需要地と供給地が分散するVREには最適化されていない。

この事実は、エネルギー転換の真のボトルネックが、もはや再生可能エネルギーの発電コスト(均等化発電原価、LCOE)ではなく、**「生成されたクリーンな電力を、必要な時に、必要な場所へ、いかに安定的に届けるか」**というシステム統合の課題へと移行したことを意味する。

これにより、二つの関連技術の戦略的重要性が飛躍的に高まった。一つは電力網の近代化と増強であり、もう一つは長時間エネルギー貯蔵(LDES: Long-Duration Energy Storage)である 。特に、数時間から数日、あるいは季節をまたいでエネルギーを貯蔵できるLDESは、VREの断続性を補い、電力網の安定性を確保するために不可欠な要素となりつつある

結論として、エネルギー転換は「発電中心」の問題から「システム統合」の問題へとその核心を移した。電力網と貯蔵というパズルを解き明かした国家こそが、自国の再生可能エネルギー資源のポテンシャルを最大限に引き出し、次世代のエネルギー覇権争いにおいて決定的な優位性を確立することになるだろう。これらの基盤技術への投資を怠れば、いくら太陽光パネルを設置しても、発電抑制や電力網の不安定化を招き、エネルギー転換そのものが停滞するリスクに直面することになる。


第2部:次世代燃料の胎動 – カーボンニュートラルな未来を担う分子たちへの深堀り

化石燃料後の世界を支えるエネルギーは、単一の万能薬ではなく、多様な選択肢からなるポートフォリオとなるだろう。ここでは、その主役候補となる次世代燃料の技術的・経済的な実像に迫る。

2.1. 水素:すべてを繋ぐ根源的要素

水素は、その多様な利用可能性から、脱炭素社会の「根源的要素」と目されている。しかし、「水素」と一括りにすることは、その本質を見誤らせる。その価値は、製造過程の二酸化炭素排出量によって決定的に左右されるからだ。

  • 「色」が示す水素の真価

    • グレー水素: 天然ガスなどの化石燃料を水蒸気改質して製造される。製造過程でCO2を大気中に排出するため、脱炭素には貢献しない。現在、生産される水素の大半を占める。

    • ブルー水素: グレー水素と同様に化石燃料から製造されるが、排出されるCO2を回収・貯留(CCS)する。低炭素ではあるが、CO2の完全な回収は難しく、メタン漏洩のリスクも指摘される。

    • グリーン水素: 太陽光や風力などの再生可能エネルギー由来の電力を用いて、水を電気分解して製造される。製造過程でCO2を一切排出しない、唯一の真に持続可能な水素である

  • グリーン水素経済のコストと課題 グリーン水素の普及における最大の障壁は、その製造コストである。最新の2025年第2四半期のデータによると、グリーン水素の価格は、米国で1トンあたり3,865米ドル、日本で4,915米ドル、オランダで5,352米ドル、UAEで6,260米ドルとなっている 。このコストは、主に二つの変数、すなわち

    再生可能エネルギーの電力価格と、水電解装置(Electrolyzer)の設備コストおよび効率によって決定される。再エネ価格の低下と電解装置の技術革新・量産化が、コスト低減の鍵を握る。

    さらに、水素は常温常圧では気体であり、体積あたりのエネルギー密度が極めて低い。この物理的特性が、貯蔵と輸送を技術的にも経済的にも困難なものにしている。大規模な普及には、パイプライン、液化プラント、地下貯蔵施設といった新たなインフラの構築、あるいは後述する「水素キャリア」の利用が不可欠となる

  • 水素キャリア:新たなエネルギーベクトルのロジスティクス 水素の輸送問題を解決する鍵として注目されているのが、水素を別の化学物質に変換して運ぶ「水素キャリア」である。主要な選択肢には、液体水素(LH2)、アンモニア(NH3)、そして液体有機水素キャリア(LOHC)がある。それぞれに一長一短があり、用途や輸送距離に応じて最適なキャリアが選択されることになる。

2.2. E-fuel(合成燃料):炭素循環を閉じる究極の液体燃料

E-fuelは、再生可能エネルギーを用いて液体燃料を「合成」する革新的な技術であり、カーボンサイクルを閉じる可能性を秘めている。

  • E-fuelの製造プロセス(Power-to-Liquid) E-fuelの製造プロセスは、まるで現代の錬金術のようだ。まず、再生可能エネルギー由来の電力を用いて水を電気分解し、グリーン水素を製造する。次に、大気中や工場の排ガスから二酸化炭素(CO2)を回収する。そして、この二つの原料を触媒反応によって結合させ、メタン、メタノール、さらにはガソリンやジェット燃料といった液体炭化水素を合成する 。燃焼時にCO2を排出する点は従来の化石燃料と同じだが、そのCO2はもともと大気中や産業プロセスから回収したものであるため、ライフサイクル全体で見ればカーボンニュートラルと見なされる。ただし、その気候変動への貢献度は、原料となる水素がグリーンであること、そしてCO2が持続可能な方法で回収されていることに完全に依存する

  • ユースケースの焦点:「電化不可能」領域の脱炭素化 E-fuelは、その製造コストの高さから、EVで代替可能な乗用車市場でガソリンと競争することを目的とはしていない。その真の戦略的価値は、バッテリー技術では代替が困難な、いわゆる**「ハード・トゥ・アベート(削減困難)」セクター**の脱炭素化にある。

    • 航空(e-SAF): 長距離国際線のような航空輸送には、バッテリーでは到底実現不可能な高いエネルギー密度を持つ液体燃料が不可欠である。E-fuelから製造される持続可能な航空燃料(e-SAF、特にe-ケロシン)は、既存の航空機や給油インフラにそのまま使用できる「ドロップイン燃料」であり、この分野の脱炭素化における最有力候補とされている 。EUの「ReFuelEU Aviation」規則は、2030年までに1.2%、2050年までに35%のe-SAF使用を義務付けるなど、強力な市場牽引力となっている

    • 海運(e-メタノール/e-アンモニア): 国際海運もまた、脱炭素化が極めて困難なセクターである。ここでは、e-メタノールが有力な候補として浮上している。これは、アンモニアに比べて取り扱いが容易で、製造技術の成熟度が高いためである

  • 効率のパラドックスと「グリーンプレミアム」 E-fuelは理想的な解決策に見えるが、その普及には二つの大きな壁が立ちはだかる。それは「効率」と「コスト」である。Power-to-Liquidのプロセスは、エネルギー変換の各段階で大きな損失を伴う。再生可能エネルギーの電力から、最終的に内燃機関で動力として利用されるまでの総合的なエネルギー効率(electricity-to-useful energy efficiency)は、16%から20%程度と極めて低い 。これに対し、バッテリー式電気自動車(BEV)の効率は約70%から80%に達する。

    この絶望的なまでの効率の差は、同じサービス(例えば1km走行)を得るために、E-fuelは直接電化に比べて5倍から10倍もの再生可能エネルギー電力を必要とすることを意味する 。この膨大なエネルギー投入量が、そのまま製造コストに跳ね返る。e-ケロシンの価格は、技術革新が進むと期待される2050年時点においても、従来のジェット燃料に対して依然として大幅な価格プレミアムが残ると予測されている 。これが、乗り越えなければならない「グリーンプレミアム」である。

    この事実は、E-fuelが「最後の切り札」としての役割を担うべきであることを示唆している。その適用は、航空、海運、特定の化学原料といった、他に実行可能な電化の選択肢が存在しないセクターに外科手術的に限定されるべきである 。乗用車のような電化可能な分野でE-fuelを広く使用することは、貴重な再生可能エネルギーを極めて非効率かつ高コストで浪費することに他ならない。したがって、政策はE-fuelをこれらの「後悔なき(no regret)」用途へと的確に誘導するよう、慎重に設計されなければならない。

2.3. 進化するバイオ燃料:論争から先進的解決策へ

かつて「食料との競合」問題で批判を浴びたバイオ燃料は、技術革新と持続可能性への配慮を経て、次世代燃料の重要な一角を占めるまでに進化した。

  • 持続可能な航空燃料(SAF):商業化の最前線 現在、次世代燃料の中で最も商業化が進んでいるのが、バイオマスを原料とする持続可能な航空燃料(SAF)である。

    • HEFA(ヘファ)経路: 最も成熟し、商業的に展開されている技術が、Hydroprocessed Esters and Fatty Acids(水素化処理エステル・脂肪酸)、通称HEFAである。これは、廃食油や動物性油脂、微細藻類などを原料とし、水素化処理によってジェット燃料を製造する手法だ 。HEFAは、2030年のSAF生産目標達成において最大の貢献を果たすと期待されている。

    • 新興経路: HEFA以外にも、エタノールなどのアルコールを原料とするAlcohol-to-Jet(ATJ)や、木質バイオマスなどをガス化し、フィッシャー・トロプシュ(FT)合成を経て燃料を製造するGasification + FTといった多様な経路が開発されており、それぞれの技術成熟度レベル(TRL)も向上している

    • ライフサイクルGHG削減効果: 原料の調達から製造、燃焼までのライフサイクル全体で評価した場合、適切に製造されたSAFは、従来のジェット燃料と比較して温室効果ガス(GHG)排出量を60%から90%削減することが可能である

  • 究極の制約:持続可能な原料の確保 HEFA技術は成熟し、効果的である。ではなぜ、この技術だけで世界の航空燃料需要を賄うことができないのか。その答えは、技術ではなく「原料」にある。HEFAの主な原料である廃食油や動物性油脂は、その名の通り「廃棄物」であり、その供給量には限りがある 。さらに、道路輸送向けの再生可能ディーゼルなど、他のセクターとの間でこの限られた資源の争奪戦が激化している。

    バイオ燃料の生産を真にスケールアップさせるためには、トウモロコシの茎や稲わらといった農業残渣、間伐材などの林業廃棄物、あるいは非可食性のエネルギー作物といった「先進的バイオマス」へと原料の主軸を移していく必要がある 。しかし、これはかつての「食料か、燃料か」という論争を再燃させ、土地利用の変化、生物多様性への影響、水資源の消費といった、より複雑な持続可能性の問題を突きつける

    ここから導き出されるのは、バイオ燃料の未来がもはや単なる化学工学の問題ではなく、ロジスティクスと農業科学の複合的な問題であるという事実である。バイオ燃料セクターの長期的な存続は、非食料由来で、環境への影響が少なく、かつ経済的に成立するバイオマス原料を、いかにして大規模かつ安定的に確保するサプライチェーンを構築できるかにかかっている。これは、バイオリアクターを建設することよりもはるかに困難で、根源的な挑戦なのである。


第3部:日本のグランドストラテジー – エネルギーのトリレンマとGXによる挑戦

世界のエネルギー地政学が激変する中、日本は独自の深刻な課題に直面し、それに対する壮大な国家戦略「グリーントランスフォーメーション(GX)」を打ち出した。

3.1. 日本の置かれた文脈:エネルギー安全保障と脱炭素化の狭間で

日本のエネルギー政策は、他国にはない固有の制約条件、すなわち「エネルギーのトリレンマ」によって規定されている。

  1. 低いエネルギー自給率: 石油や天然ガスといった化石燃料のほぼ全てを輸入に依存しており、その割合は極めて高い。この構造は、国際的な燃料価格の変動や地政学的リスクに対して日本経済を脆弱なものにしている

  2. 福島後の原子力を巡るジレンマ: 2011年の福島第一原子力発電所事故以降、原子力発電所の再稼働は社会的なコンセンサス形成が難しく、政治的にも極めて慎重な判断が求められる。一方で、原子力は安定供給可能な大規模非化石電源であり、脱炭素化において重要な選択肢の一つでもある

  3. 再生可能エネルギーの地理的制約: 日本の国土は山がちで平野が少なく、人口密度も高いため、大規模な太陽光発電所や陸上風力発電所を設置するための適地が限られている

この厳しい制約の中で、日本政府が2021年に策定したのが「第6次エネルギー基本計画」である。この計画は、「S+3E」という原則、すなわち安全性(Safety)を大前提とし、エネルギーの安定供給(Energy Security)、経済効率性の向上(Economic Efficiency)、そして環境への適合(Environment)という4つの要素を同時に実現することを目指している

この計画が示す2030年のエネルギーミックス(電源構成)目標は、日本の野心と現実主義の双方を反映している。

【表2:日本の2030年エネルギーミックス目標と現状の比較】

出典: および資源エネルギー庁「総合エネルギー統計」等に基づき作成

この表が示すのは、2030年までの残り数年間で達成すべき変革の規模の大きさである。特に、風力発電の抜本的な拡大と、原子力発電の再稼働が目標達成の鍵を握る一方で、化石燃料への依存度を劇的に引き下げるという、極めて困難な課題に直面していることが一目瞭然である。

3.2. GX – 150兆円を投じる経済再生の賭け

この困難なトリレンマを克服し、むしろ経済成長の好機へと転換しようとする国家戦略、それが「グリーントランスフォーメーション(GX)」である。GXは単なる環境政策ではない。それは、脱炭素化という世界的な潮流をテコに、日本の産業競争力を再強化し、新たな成長エンジンを創出するための、21世紀の新たな国家産業戦略である。その中核には、今後10年間で官民合わせて150兆円規模の投資を誘発するという壮大な目標が据えられている

GX戦略の心臓部と言えるのが、**「成長志向型カーボンプライシング構想」**という独創的なメカニズムである。これは、罰則的な炭素税を先行させるのではなく、まず大規模な先行投資支援を行い、企業の脱炭素化への移行を促した上で、段階的に市場メカニズムを導入するという二段階アプローチを採用している。

  1. 第1段階(先行投資支援): 政府は、今後10年間で**20兆円規模の「GX経済移行債」**を発行する。これを財源として、企業が脱炭素技術や設備へ投資する際の初期リスクを国が負担し、長期的な支援を行う 。これにより、民間による残りの130兆円規模の投資を呼び込むことを目指す。

  2. 第2段階(市場メカニズムの導入): 投資が軌道に乗った後、段階的にカーボンプライシングを導入する。まず、自主的な枠組みである**「GXリーグ」(既に747社が参画し、日本の排出量の5割以上をカバー)での排出量取引を試行的に開始。これを2026年度から本格的な排出量取引制度(ETS)へと移行させる。さらに、2028年度からは化石燃料の輸入事業者等を対象とした「化石燃料賦課金」**(事実上の炭素税)を導入する計画である

この戦略を技術面で支えるのが、2兆円規模の**「グリーンイノベーション(GI)基金」である。GI基金は、既に具体的な成果を生み出し始めている。例えば、次世代太陽電池として期待されるペロブスカイト太陽電池では、2030年を待たずにGW級の量産体制構築を目指すプロジェクトが進行中である。また、鉄鋼業の脱炭素化の切り札である水素還元製鉄では、2030年までにCO2排出量30%削減を目指す実証事業が開始される。さらに、火力発電所におけるアンモニア混焼・専焼技術**の開発も進められており、日本の技術をアジア各国の脱炭素化に貢献させることも視野に入れている

3.3. 根源的課題への処方箋:日本の新たなエネルギー供給網の構築

GX戦略が描く未来を実現するためには、国内のエネルギー需要構造を変革するだけでなく、国外からクリーンなエネルギーを安定的に調達する新たなサプライチェーンの構築が不可欠である。

  • 水素・アンモニア輸入戦略 国内の再生可能エネルギーポテンシャルに限りがある日本にとって、海外で安価に製造されたグリーン水素やアンモニアを輸入することは、エネルギー安全保障と脱炭素化を両立させるための核心的戦略である。政府は、オーストラリア、中東、北米といった資源豊富な国々との連携を強化し、大規模な国際サプライチェーンを構築する方針を明確にしている 。この野心的な計画を後押しするため、政府は

    差額契約(CfD: Contracts for Difference)や拠点整備支援といった具体的な政策ツールを用意している 。目標も具体的であり、2030年までに年間300万トン、2040年までに1200万トンの水素供給量を目指すとしている

  • 都市ガスの未来:合成メタンによるインフラの脱炭素化 日本には、全国に張り巡らされた近代的で高品質な都市ガスインフラという巨大な資産がある。GX戦略の巧みさは、この既存インフラを放棄するのではなく、流れるガスそのものを脱炭素化するという発想にある。その鍵を握るのが**「メタネーション」**である。これは、グリーン水素と回収したCO2を反応させて合成メタンを製造する技術であり、生成された合成メタンは天然ガスとほぼ同じ成分であるため、既存のガス導管や家庭・工場のガス機器をそのまま利用できる

    この「e-methane」構想は、既に実証段階に入っており、2025年までにはパイプラインへの注入実証を行い、2030年までに都市ガス供給量の1%を合成メタンで賄うことを目指している 。将来的には、オーストラリアのような再エネ資源が豊富な国で製造した合成メタンを大規模に輸入することも視野に入れており、これはインフラ転換の社会的コストを最小限に抑えつつ脱炭素化を進める、極めて現実的かつ日本的なアプローチと言える。

  • 日本の根源的課題:技術力から社会実装力への転換 日本のGX戦略を深く分析すると、一つの本質的な課題が浮かび上がる。日本は、燃料電池、水電解装置、アンモニアタービンなど、GXに関連する多くの分野で世界トップクラスの技術力を有している 。GX戦略やGI基金は、この技術的優位性をさらに伸ばすことを目的としている。

    しかし、優れた技術を保有していることと、それを国家規模のエネルギー転換に必要なスピードとスケールで社会に実装できることは、全く別の問題である。

    日本のエネルギー転換を阻む根源的な障壁は、技術そのものではなく、むしろ非技術的な要因にある。具体的には、再生可能エネルギーの大量導入を妨げる硬直的で容量の限られた電力網 、新規エネルギープロジェクトの立ち上げを遅らせる

    複雑で時間のかかる規制・許認可プロセス、そして特に原子力の再稼働において顕著な、社会的な合意形成の難しさである。

    ここから導かれる結論は、日本のGX戦略の成否を最終的に決定するのは、次世代の革新的技術を発明する能力ではなく、国内の社会システム――電力網の運用、規制の枠組み、そして国民的合意形成のあり方――を改革する能力である、ということだ。GX戦略は、資本と産業政策という強力なエンジンを提供する。しかし、そのエンジンが真に機能するか否かは、こうした根深く、構造的な社会実装の障壁を取り除くことができるかにかかっている。これこそが、日本の脱炭素化の道のりにおける、中心的かつ本質的な挑戦なのである。


結論:「未来の燃料」とは物質ではなく、システムである

2025年を迎え、我々が直面しているエネルギー転換の本質は、もはや単なる燃料の置き換えではない。それは、エネルギーの生成、貯蔵、輸送、消費に至るまでのシステム全体の再構築である。

本稿で明らかにしてきたように、世界のエネルギー転換は、安全保障と産業戦略という新たな強力なコンセンサスを得て加速している。安価で単純な化石燃料の時代は終わりを告げ、より複雑で、技術集約的で、そして高コストな、クリーンな電子と分子のポートフォリオに基づくエネルギーシステムへと移行しつつある。

その道のりは平坦ではない。主要な障壁は、もはや個別の技術開発だけではない。コスト、規模、インフラ、そして政策という、よりシステム的な課題へと移行している。グリーン水素やE-fuelといった次世代燃料は技術的には実現可能だが、化石燃料に対する圧倒的な「グリーンプレミアム」という経済的障壁に直面しており、これを乗り越えるには持続的かつ戦略的な政策支援が不可欠である。

日本のGX戦略は、主要経済国によるこの歴史的転換への挑戦の中で、最も野心的かつ包括的な試みの一つである。それは、気候変動問題を産業と経済の変革の好機と捉える、正しい問題設定に基づいている。その成功と失敗は、気候変動目標と経済成長、そしてエネルギー安全保障をいかにして両立させるかという、世界共通の問いに対する重要な示唆を与えるだろう。

最終的な審判は、日本がその壮大な戦略的ビジョンと潤沢な資金力を、現場レベルでの前例のないスピードとスケールでの社会実装へと転換できるかどうかにかかっている。「未来の燃料」は、特定の物質を指すのではなく、それを支える強靭で柔軟な社会システムそのものなのである。


FAQ(よくある質問)

Q1: 2025年現在、最もコスト効率の良いクリーン燃料は何ですか? A1: 用途によって異なりますが、最もコスト効率が良いのは、可能な限り「直接電化」することです。太陽光や風力発電の均等化発電原価(LCOE)は多くの地域で化石燃料よりも安価になっており、生成した電力を直接利用するのが最も効率的です。液体燃料が必要な場合、現状では廃食油などを原料とするHEFA-SAFのような成熟したバイオ燃料が比較的コスト競争力があります。グリーン水素やE-fuelは、特定の産業(鉄鋼、化学)や輸送分野(航空、海運)で不可欠ですが、製造コストが依然として高く、現時点では最も高価な選択肢です。

Q2: 日本のGX戦略とは、具体的にどのようなものですか? A2: 日本のGX戦略は、脱炭素化と経済成長を同時に達成するための国家産業戦略です。その核心は、今後10年間で官民合わせて150兆円の投資を目指す計画にあります。具体的には、政府が20兆円規模の「GX経済移行債」を先行発行して企業の脱炭素投資を支援し、その後、2026年度からの排出量取引制度(ETS)と2028年度からの化石燃料賦課金(炭素税)という段階的なカーボンプライシングを導入する二段構えの政策です。

Q3: e-fuel(合成燃料)は将来、ガソリンより安くなりますか? A3: 一般消費者向けの乗用車用途において、E-fuelがガソリンより安くなる可能性は極めて低いと考えられます。その理由は、製造過程におけるエネルギー効率の低さ(電力から動力への総合効率がBEVの1/5程度)にあります 。製造には大量の再生可能エネルギー電力が必要なため、コストは高く留まる見込みです。E-fuelの価値は価格競争力ではなく、航空機や船舶など、他に代替手段のない「ハード・トゥ・アベート」セクターを脱炭素化できる点にあります。

Q4: なぜ日本は水素とアンモニアの輸入に力を入れているのですか? A4: 日本はエネルギー自給率が極めて低く、また国土の地理的制約から国内で生産できる再生可能エネルギーの量には限界があるためです。海外の再生可能エネルギーが豊富な地域で安価に製造されたグリーン水素やアンモニアを輸入することは、化石燃料への依存から脱却し、脱炭素化された未来においてもエネルギー安全保障を確保するための核心的な戦略と位置づけられています。

Q5: 再生可能エネルギーの導入における日本の根本的な課題は何ですか? A5: 日本における再エネ導入の根本的な課題は、技術そのものよりも社会システム側にあります。具体的には、①変動する再エネ電源を大量に接続するには容量が不足し、運用も硬直的な「電力網の制約」、②大規模な風力発電所などの建設に適した平地が少ない「地理的制約」、③事業開始までの手続きが複雑で時間を要する「規制上の障壁」、そして④電力網の安定性を保つために不可欠な「長時間エネルギー貯蔵技術の不足」が挙げられます。

ファクトチェック・サマリー

本稿で提示された主要な定量的ファクトの要約と出典は以下の通りです。

  • 2025年の世界のクリーンエネルギー投資額は2.2兆米ドルに達し、化石燃料投資の2倍になる見込みである

  • 2024年、世界の再生可能エネルギー新規導入量は過去最高の585GWに達し、全新規発電設備容量の92.5%を占めた

  • COP28の目標(2030年までに再エネ3倍)達成には、年間1,120GW以上の新規導入が必要であり、現状のペースでは不足している

  • 2024年の再エネ新規導入の83.6%は中国・米国・EUに集中しており、地理的な偏りが著しい

  • 日本の第6次エネルギー基本計画は、2030年の電源構成における再生可能エネルギー比率を36~38%とすることを目標としている

  • 日本のGX戦略は、今後10年間で官民合わせて150兆円の投資を目標としており、そのうち20兆円は政府が「GX経済移行債」で支援する

  • 日本の「成長志向型カーボンプライシング」は、2026年度からの排出量取引制度(ETS)本格導入を計画している

  • 2025年第2四半期時点のグリーン水素価格は、日本で約4,915米ドル/トン、米国で約3,865米ドル/トンであった

  • E-fuelを内燃機関で利用する場合の総合エネルギー効率は約16-20%であり、BEV(約70-80%)の5分の1程度である

  • 適切に製造された持続可能な航空燃料(SAF)は、ライフサイクルでのGHG排出量を従来のジェット燃料比で60-90%削減可能である

  • 日本は2030年までに年間300万トンの水素供給量を目標とし、その多くを海外からの輸入に依存する計画である

  • 日本の都市ガス脱炭素化戦略では、2030年までに供給量の1%を合成メタン(e-methane)とすることを目指している

 

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著者情報

国際航業株式会社カーボンニュートラル推進部デジタルエネルギーG

樋口 悟(著者情報はこちら

国際航業 カーボンニュートラル推進部デジタルエネルギーG。環境省、トヨタ自働車、東京ガス、パナソニック、オムロン、シャープ、伊藤忠商事、東急不動産、ソフトバンク、村田製作所など大手企業や全国中小工務店、販売施工店など国内700社以上・シェアNo.1のエネルギー診断B2B SaaS・APIサービス「エネがえる」(太陽光・蓄電池・オール電化・EV・V2Hの経済効果シミュレータ)のBizDev管掌。再エネ設備導入効果シミュレーション及び再エネ関連事業の事業戦略・マーケティング・セールス・生成AIに関するエキスパート。AI蓄電池充放電最適制御システムなどデジタル×エネルギー領域の事業開発が主要領域。東京都(日経新聞社)の太陽光普及関連イベント登壇などセミナー・イベント登壇も多数。太陽光・蓄電池・EV/V2H経済効果シミュレーションのエキスパート。Xアカウント:@satoruhiguchi。お仕事・新規事業・提携・取材・登壇のご相談はお気軽に(070-3669-8761 / satoru_higuchi@kk-grp.jp)

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