目次
- 1 高温蓄熱のサービス化(Heat-as-a-Service)による産業の脱炭素化構想とは?
- 2 序章:捨てられる太陽 – 日本が抱える数千億円規模の再生可能エネルギー問題
- 3 第1章 日本のエネルギー・トリレンマ:新たな蓄熱パラダイムが不可欠な理由
- 4 第2章 熱の力を解き放つ:熱バッテリー技術の比較分析
- 5 第3章 CAPEXからOPEXへ:Heat-as-a-Service(HaaS)がもたらす変革
- 6 第4章 市場深掘り:日本のHaaS高ポテンシャル市場を特定する
- 7 第5章 戦略的ブループリント:日本におけるHaaS事業化への実践的プレイブック
- 8 第6章 2030年の地平線:将来展望とステークホルダーへの提言
- 9 結論:捨てられる電子から、緑の熱へ – 新たな産業革命の幕開け
- 10 よくある質問(FAQ)
- 11 ファクトチェック・サマリー
高温蓄熱のサービス化(Heat-as-a-Service)による産業の脱炭素化構想とは?
序章:捨てられる太陽 – 日本が抱える数千億円規模の再生可能エネルギー問題
九州地方のある晴れた春の日を想像してみてほしい。
空は澄み渡り、広大な土地に設置された何百万枚ものソーラーパネルが、数ギガワットものクリーンな電力を生み出している。しかし、その電力の一部は、送電網の安定性を守るという名目の下、意図的に抑制(カーテイルメント)され、空中に消えていく。この「捨てられるエネルギー」は、経済的な損失であるだけでなく、日本の脱炭素化への道のりを阻む深刻な障壁となっている [1, 2, 3]
。
これが、日本が直面する「再生可能エネルギーのパラドックス」である。日本は固定価格買取制度(FIT制度)などを通じて再生可能エネルギーの導入量では世界有数の国となった。しかし、その成功の裏側で、電力の需要と供給のバランスを保つという新たな、そしてより困難な課題に直面している [4, 5]
。
特に、太陽光発電のように天候に左右される変動型再エネ(VRE)の発電量が需要を上回る時間帯に、大規模停電を防ぐための出力抑制が常態化しつつあるのだ。この問題は、エネルギー自給率がわずか13.3%(2021年度)で、一次エネルギーの83.5%を輸入化石燃料に依存する日本にとって、エネルギー安全保障の観点からも看過できない [6]
。
この根源的な課題に対し、ゲームチェンジャーとなりうる技術が登場した。それが「高温蓄熱技術」、通称「熱のバッテリー」である。リチウムイオン電池のような従来の蓄電技術とは異なり、このシステムは数日から数週間にわたる超長期のエネルギー貯蔵を可能にし、しかも産業界で最も脱炭素化が困難とされる領域、すなわち「プロセス熱」の需要に直接応えることができる [7, 8]
。
余剰電力でレンガやセラミック、溶融塩といった安価な素材を1000度以上の高温に加熱し、必要な時にその熱を取り出して工場の動力源とする。これは、エネルギーを「電気から熱へ」と変換して貯蔵する、シンプルかつ画期的なアプローチだ。
しかし、優れた技術だけでは市場は動かない。真の普及の起爆剤となるのは、Heat-as-a-Service(HaaS)という革新的なビジネスモデルである。これは、高額な初期投資(CAPEX)を伴う設備購入から、月額料金で「熱」そのものをサービスとして利用する、管理可能な運営費(OPEX)へとビジネスの常識を転換させる [9, 10, 11]
。工場は熱供給というノンコア業務を専門企業にアウトソースし、自らは製品開発や生産性向上といった本業に集中できる。
本レポートでは、この「熱のバッテリー」技術と「HaaS」モデルが、日本のエネルギー問題といかに深く結びついているかを解き明かす。まず、
日本が抱えるエネルギーの三重苦(トリレンマ)を診断し、次に、ドイツのスタートアップ企業Kraftblock社を筆頭とする主要プレイヤーの技術を徹底解剖する。そして、HaaSモデルが日本の産業界にもたらす変革的な価値を分析し、九州をはじめとする国内の有望市場を特定。最後に、政府のGX戦略や金融スキームを活用した、日本市場での事業展開に向けた戦略的な青写真を提示する。
これは、単なる技術解説ではない。日本の産業競争力を再定義し、真のエネルギー自立と脱炭素社会を実現するための、具体的かつ実行可能なロードマップである。
第1章 日本のエネルギー・トリレンマ:新たな蓄熱パラダイムが不可欠な理由
日本のエネルギー政策は、安定供給(Energy Security)、経済効率性(Economic Efficiency)、そして環境適合(Environment)という3つの要素、いわゆる「エネルギーのトリレンマ」の狭間で常に揺れ動いてきた。再生可能エネルギーの大量導入はこのトリレンマの解決策として期待されたが、皮肉にも新たな次元の課題、すなわち「再エネ余剰」という名のボトルネックを生み出してしまった。
この章では、出力抑制の深刻化、送電網の限界、そして産業界の脱炭素化という3つの側面から、なぜ日本が今、従来の発想を覆す新しいエネルギー貯蔵の形を必要としているのかを明らかにする。
1.1. 出力抑制クライシスの深刻化:データが示す「もったいない電力」の実態
再生可能エネルギーの出力抑制は、もはや一部地域の特殊な問題ではない。全国規模で深刻化する構造的な課題へと変貌している。経済産業省や電力広域的運営推進機関(OCCTO)のデータは、その危機的な状況を雄弁に物語っている。
2023年度には、全国の再エネ出力抑制量が過去最大の17億6000万kWhに達する見通しとなり、これは前年度の3倍以上という驚異的な増加率である [1]
。かつては九州電力管内だけの問題と認識されていたが、現在では東京エリアを除くほぼ全ての電力会社で出力抑制が実施される事態となっている [1, 12]
。
特に深刻なのが、太陽光発電の導入が先行する九州エリアだ。2023年度の出力抑制率は6.7%に達すると予測されており、これは再エネ先進国であるオーストラリアやカリフォルニアの2倍以上という突出した高さである [1]
。
この背景には、需要が少ない春や秋の軽負荷期に太陽光の発電量がピークを迎えるという季節的なミスマッチが存在する [3, 5, 12, 13]
。需要が落ち込む一方で、快晴の日には大量の電力が生み出され、需給バランスを保つために発電を停止せざるを得ない状況が頻発しているのだ。この「捨てられる電力」は、日本のエネルギー自給率向上と脱炭素化の取り組みを根底から揺るがす、極めて非効率な状態と言える。
1.2. 送電網の物理的・経済的限界
なぜ、余った電力を他の地域に送って有効活用できないのか。その答えは、日本の送電網が抱える物理的な制約にある。電力は常に需要と供給を一致させる必要があり、このバランスが崩れると周波数が乱れ、最悪の場合は大規模停電につながる [4]
。
日本の送電網は、各電力会社のエリア内で需給を完結させることを基本に設計されており、エリア間を結ぶ連系線の容量は限定的だ。例えば、九州と本州を結ぶ関門連系線は存在するものの、九州で発生する膨大な余剰電力を全て送り出すには全く足りていない [1, 14]
。また、周囲を海に囲まれた島国であるため、欧州のように陸続きの国々と送電網を接続し、国際的に電力を融通し合うことも不可能である [6]
。
政府や電力会社は、火力発電の最低出力を引き下げたり、揚水発電所を活用したりといった対策を講じているが、これらも限界に近づいている [14, 15]
。揚水発電は貴重な調整力だが、立地が限定され、増設は容易ではない。火力発電の出力抑制にも限界があり、これ以上の再エネ導入拡大に対応するには、抜本的な対策が不可欠となっている。つまり、問題の解決策は、電力を「遠くへ送る」ことではなく、発生した場所で「時間を超えて貯蔵する」ことにシフトせざるを得ないのだ。
1.3. 待ったなしの産業脱炭素化という至上命題
エネルギー問題の焦点は、供給側だけでなく需要側にもある。日本のCO2排出量の約3分の1を占める産業部門、その中でも特にエネルギー消費の大きいプロセス熱の脱炭素化は、日本が2050年カーボンニュートラルを達成するための最大の課題の一つである [7, 16]
。
鉄鋼業では高炉や転炉で800~1200℃、セメント産業では焼成キルンで1450℃、化学産業でも反応・分離プロセスで200℃を超える高温の熱が不可欠であり、これらの熱源は現在、そのほとんどを石炭や天然ガスといった化石燃料に依存している [17, 18, 19]
。
これらの高温プロセスを単純に電気で代替する「直接電化」は、技術的なハードルとコストの壁が非常に高い。
また、期待されるグリーン水素も、製造・輸送・貯蔵・燃焼の各段階でエネルギー損失が大きく、最終的に利用できるエネルギーは元の再エネ電力の40~45%程度にまで減少してしまうという課題を抱えている [8, 20]
。産業界は、安定供給とコスト競争力を維持しながら脱炭素化を進めるという、極めて困難な方程式を解くことを迫られている。
1.4. 従来型蓄電池の限界
では、余剰電力をリチウムイオン電池のような従来型の蓄電池に貯めて使えばよいのではないか、という疑問が浮かぶ。しかし、これもまた解決策にはならない。
リチウムイオン電池は、数分から数時間単位での充放電を得意とし、電力系統の周波数調整など、短周期の変動に対応するには非常に優れた技術である。しかし、春や秋に数週間単位で発生する季節的な電力余剰を吸収するには、容量とコストの両面で全く不向きだ [21]
。ギガワット時(GWh)級の電力を数週間にわたって貯蔵するためにリチウムイオン電池を導入しようとすれば、天文学的なコストがかかり、経済的に成り立たない。
このように、日本のエネルギーシステムは、成功した再エネ導入政策が期せずして生み出した「出力抑制」という副作用に苦しんでいる。この根本原因は、変動する供給と、柔軟性に欠ける需要および貯蔵能力との間の時間的なミスマッチにある。この構造的な問題を解決するためには、単なる付け焼き刃の対策ではなく、①大量の余剰電力を、②安価に、③数日から数週間という「長時間」にわたって貯蔵し、④産業界が求める「熱」という形で供給できる、全く新しいエネルギー貯蔵のパラダイムが不可欠なのである。
そして、その答えこそが「熱のバッテリー」なのだ。
第2章 熱の力を解き放つ:熱バッテリー技術の比較分析
日本のエネルギー・トリレンマを解決する鍵として浮上した「熱のバッテリー」。この技術は、余剰電力を熱エネルギーに変換して貯蔵するという、物理学の基本原理に基づいている。
しかし、その実現方法は一つではない。蓄熱材の種類やシステムの設計によって、それぞれ異なる特性と得意分野を持つ。
本章では、まず蓄熱技術の基本原理を戦略家向けに解説し、その後、ドイツの先駆者Kraftblock社を筆頭に、世界の主要プレイヤーを徹底的に比較分析する。これにより、どの技術が日本のどの産業ニーズに最適なのかを明らかにする。
2.1. 蓄熱物理学:戦略家のための基礎知識
熱エネルギー貯蔵(Thermal Energy Storage: TES)は、大きく3つの方式に分類される。それぞれの原理を理解することは、各社の技術的優位性と市場適合性を見極める上で不可欠である。
-
顕熱蓄熱(Sensible Heat Storage): 最もシンプルで直感的な方法だ。セラミック、岩、コンクリート、炭素ブロックといった固体材料の温度を上昇させることで熱を蓄える。蓄熱量は、物質の質量(m)、比熱(c)、そして温度変化(ΔT)の積、すなわち で決まる。この方式の最大の利点は、材料が安価で耐久性が高く、構造が単純であることだ。Kraftblock、Antora Energy、Rondo Energyといった主要プレイヤーがこの原理を採用しているのは、その堅牢性とコスト競争力ゆえである
[20, 22, 23, 24, 25]
。 -
潜熱蓄熱(Latent Heat Storage): 物質が固体から液体へ、あるいは液体から気体へと「相変化」する際に吸収・放出する莫大なエネルギー(潜熱)を利用する。相変化材料(Phase Change Material: PCM)として、特定の温度で融解する溶融塩や金属合金が用いられる
[26, 27]
。この方式の強みは、顕熱蓄熱に比べて遥かに高いエネルギー密度を持ち、比較的一定の温度で熱の出し入れができる点にある。一方で、材料の腐食性や体積変化への対策など、容器の設計が複雑になりがちである。ノルウェーのKyoto Groupがこの技術の代表格だ[22, 28]
。 -
化学蓄熱(Thermochemical Storage): 可逆的な化学反応を利用してエネルギーを貯蔵する。例えば、特定の化学物質を熱で分解して2つの物質に分け、それらを再結合させる際に発生する反応熱を利用する。エネルギー密度は3つの方式の中で最も高いが、反応制御の難しさやシステムの複雑さから、まだ研究開発段階の技術が多く、商用化には課題が残る
[23, 29, 30]
。
2.2. スポットライト:ドイツのパイオニア、Kraftblock社
ドイツのスタートアップ、Kraftblock社は、顕熱蓄熱技術をベースに、極めて実践的かつスケーラブルなソリューションを開発した。
-
技術の核心: 彼らのシステムの心臓部は、85%がリサイクル素材から作られた独自のセラミック顆粒を充填した、輸送コンテナ型のモジュールである
[20]
。このモジュール構造により、顧客が必要とする蓄熱容量に応じて、レゴブロックのように柔軟にシステムを拡張できる。 -
卓越した性能: Kraftblockの技術は、最高1,300℃という高温に対応し、熱損失を抑えながら最長2週間という驚異的な長期間の貯蔵を可能にする。特に、余剰電力を熱として貯蔵し、再び熱として利用する「Heat-to-Heat」の応用では、エネルギーの95%を保持できる高効率を誇る
[20]
。これは、多くのエネルギー損失を伴うグリーン水素のサプライチェーンと比較して、圧倒的な優位性を持つ。 -
戦略的な温度設定: 競合他社が1,500℃や2,000℃といった超高温をアピールする中、Kraftblockはあえて上限を1,300℃に設定した。これは、徹底した市場調査の結果、産業界の熱需要の98%以上が1,300℃以下でカバーできるという結論に基づいている
[20, 31]
。この現実的なアプローチは、過剰スペックを排し、設計・製造・運用のシンプル化を通じてコストを最適化するという、ドイツ企業らしい合理的な思想の表れである。 -
日本市場への布石: 2022年から三菱重工グループとの協業を開始している点は、極めて重要だ
[20]
。これは、Kraftblockの技術が日本のトップティアのエンジニアリング企業に認められた証であり、将来的な日本市場への本格参入に向けた強力な足がかりとなる。
2.3. グローバル競争環境:群雄割拠の熱バッテリー市場
Kraftblock社が市場を切り拓く一方で、世界では特色ある技術を持つスタートアップが次々と登場している。ここでは主要な競合プレイヤーを比較し、その戦略の違いを浮き彫りにする。
-
Antora Energy(米国): 固体カーボンブロックを蓄熱材として使用。彼らの最大の特徴は、蓄えた熱を「熱光発電(TPV)」という独自技術で再び電力に変換できる点にある
[24, 32, 33]
。これにより、顧客はプロセス熱と電力の両方をオンデマンドで供給されるという、他にない付加価値を享受できる。BlackRockやTemasekといった世界的な投資機関から巨額の資金調達に成功しており、その技術とビジネスモデルへの期待の高さがうかがえる[34]
。 -
Rondo Energy(米国): 製鉄業などで長年の実績がある、ごく一般的な耐火レンガを蓄熱材に採用。枯れた技術を革新的なシステム設計に応用することで、信頼性と低コストを両立させている
[25, 35]
。特筆すべきは、電力から熱への変換効率が98%以上という驚異的な数値と、HaaSモデルを前面に押し出した強力な営業展開である。MicrosoftやRio Tintoといった名だたる企業が投資家として名を連ね、すでに200MWhを超える商用プロジェクトを発表するなど、商業化のスピードで市場をリードしている[25]
。 -
Kyoto Group(ノルウェー): 潜熱蓄熱方式の代表格。溶融塩をPCMとして用い、最高415℃までの熱を供給する
[28, 36, 37]
。これは鉄鋼やセメントのような超高温は不要だが、化学、食品、製紙といった産業で必要とされる蒸気供給に最適な温度帯である。欧州の大手電力会社Iberdrolaとの戦略的パートナーシップを軸に、成熟したHaaSモデルを欧州市場で展開しており、すでに70MWh以上の稼働実績を持つ[37, 38]
。 -
Sunamp(英国): 特殊なPCM(Plentigrade)を用い、給湯や暖房といった、より低温帯の用途に特化している
[39, 40, 41]
。高温産業用とは市場が異なるが、熱バッテリー技術の多様性を示す好例として比較対象となる。 -
国内プレイヤーの動向: 現状、1000℃を超える高温熱バッテリーの分野では、海外スタートアップが先行している。しかし、日本には三菱重工(Kraftblockのパートナー)やJFEエンジニアリングといった世界トップクラスのEPC企業、日本ガイシ(NAS電池)のようなエネルギー貯蔵技術を持つ企業、そして高温工業炉やボイラーの製造で長年の実績を持つメーカーが多数存在する
[42, 43, 44, 45]
。これらの国内企業が海外の革新技術と連携、あるいは独自の技術開発を進めることで、市場の勢力図が大きく変わる可能性も秘めている。
以下の比較表は、これら主要プレイヤーの技術と戦略を一覧にしたものである。
企業名 | コア技術(蓄熱材) | 最高温度(℃) | 貯蔵期間 | 公称効率(電力→熱) | 主な出力形態 | ビジネスモデル | 主要パートナー/投資家 |
Kraftblock | 独自セラミック顆粒(顕熱) | 1,300 | 最長2週間 | 95% | 熱風、蒸気、熱媒油 | システム販売、HaaS | 三菱重工グループ、SBIインベストメント |
Antora Energy | 固体カーボンブロック(顕熱) | >1,500 | 数日間 | N/A | 熱、電力(TPV経由) | システム販売、HaaS | BlackRock、Temasek、Breakthrough Energy Ventures |
Rondo Energy | 耐火レンガ(顕熱) | 1,500 | 数時間~数日間 | >98% | 熱風、蒸気 | システム販売、HaaS | Microsoft、Rio Tinto、Breakthrough Energy Ventures |
Kyoto Group | 溶融塩(潜熱/PCM) | 415 | 数時間~数日間 | 93% | 蒸気、熱水 | HaaS、システム販売 | Iberdrola、Spirax-Sarco、Glentra Capital |
この分析から明らかなように、「熱のバッテリー」と一括りにはできない、各社の明確な戦略的ポジショニングが存在する。超高温域を狙うKraftblockやRondo、熱と電力の同時供給で差別化するAntora、そして中温域の蒸気市場に特化するKyoto。日本の産業界が自らのニーズ(必要な温度、熱量、運転パターン)を正確に把握し、最適な技術パートナーを見極めることが、脱炭素化成功の鍵となるだろう。
第3章 CAPEXからOPEXへ:Heat-as-a-Service(HaaS)がもたらす変革
革新的な技術も、顧客が導入できなければ意味がない。特に、巨額の設備投資を伴う産業インフラの世界では、技術的な優位性と同じくらい、あるいはそれ以上に、ビジネスモデルとファイナンスが重要となる。ここで登場するのが「Heat-as-a-Service(HaaS)」、すなわち「熱のサービス化」という概念だ。これは単なる販売手法の変更ではない。企業の財務戦略、リスク管理、そして経営資源の配分方法そのものを根底から変革する、強力なパラダイムシフトなのである。
3.1. 「as-a-Service」というメガトレンド
ソフトウェア業界で始まったSaaS(Software as a Service)に代表されるように、製品を「所有」するのではなく、サービスとして「利用」する「XaaS(Everything as a Service)」というビジネスモデルは、今やあらゆる産業に浸透している [46]
。この流れはエネルギー分野も例外ではない。
Energy-as-a-Service(EaaS)は、このモデルをエネルギー分野に応用したもので、太陽光発電や蓄電池、省エネ設備などを、サービス提供者が顧客の敷地内に設置・所有・運用し、顧客は初期投資ゼロでエネルギーコスト削減や再エネ利用といった便益を享受する。
世界のEaaS市場は急成長を続けており、日本の市場規模も2033年には112億ドル(年平均成長率9.79%)に達すると予測されている [47, 48]
。この大きな市場トレンドが、HaaSの普及を後押しする強力な追い風となる。
3.2. Heat-as-a-Service(HaaS)の定義
HaaSを明確に定義すると、以下のようになる。
産業用熱の供給を、専門の第三者プロバイダーにアウトソースするビジネスモデル。プロバイダーは、熱源となる設備(この場合は熱バッテリー)の資金調達、設置、所有、運転、保守の全てを担う。顧客は設備を購入するのではなく、供給された熱の量(例:$/MWh-thermal)や、あるいは快適な温度環境の維持といった成果に対して、予測可能なサービス料金を定期的に支払う
[10, 11]
。
Kraftblock社が2024年から本格的に展開を開始したHaaSモデルは、まさにこの定義に合致する [20]
。顧客であるペプシコ社は、ポテトチップスを揚げるための熱油を、自社でボイラーを所有・運転する代わりに、Kraftblockからサービスとして購入する。これにより、ペプシコ社は脱炭素化とコスト削減を、初期投資の負担なく実現できるのだ。
3.3. 日本の産業界にとっての価値提案
HaaSが日本の産業界にとって特に魅力的なのは、その価値提案が、日本企業が抱える特有の課題や経営文化と深く共鳴するからだ。
-
財務的便益:CAPEXからOPEXへの転換
最大のメリットは、巨額の初期投資(CAPEX)を、予測可能で管理しやすい月々の運営費(OPEX)に転換できる点にある。これは、新規技術への大規模な設備投資に慎重な傾向がある日本企業にとって、導入の意思決定を劇的に容易にする [49, 50]。HaaSプロバイダーが資金調達と資産所有のリスクを全て引き受けるため、顧客企業は貴重な自己資本を、製品開発や生産性向上といった本来のコア事業に集中投下できる [11]。
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リスクの移転
HaaSモデルでは、技術的なリスク、運用のリスク、そして性能に関するリスクが、すべてプロバイダーに移転される [10]。もし熱バッテリーが故障しても、あるいは期待された性能を発揮しなくても、その責任を負うのはプロバイダーである。顧客企業は、契約で保証された温度と熱量を安定的に供給されることが保証されており、生産活動への影響を心配する必要がない。これは、生産ラインの停止が許されない製造業にとって、計り知れない価値を持つ。
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コアコンピタンスへの集中
鉄鋼メーカーは鉄を、化学メーカーは化学製品を、自動車メーカーは自動車を造るプロフェッショナルである。彼らの本業はエネルギー供給ではない。HaaSは、この熱供給というノンコア業務を、その道のプロフェッショナルに完全にアウトソースすることを可能にする [11]。これにより、企業は自社の強みであるコアコンピタンスに経営資源を集中させ、競争力をさらに高めることができる。
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コストの安定化と予測可能性
化石燃料の価格や電力のスポット市場価格は、地政学リスクや天候によって激しく変動する。HaaS契約は、5年から20年といった長期にわたり、固定価格または明確な算定式に基づく価格で熱を供給することができる [10, 51, 52]。これにより、企業はエネルギーコストの変動リスクから解放され、長期的な事業計画を立てやすくなる。
3.4. HaaSプロバイダーのビジネスモデル
一方で、HaaSプロバイダー側はどのようにして収益を上げるのか。そのビジネスモデルは、エネルギー市場の価格差を利用した巧妙な仕組みに基づいている。
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収益源: プロバイダーの主な収益源は、電力価格が安い時間帯(深夜や再エネ余剰が発生する昼間)に熱バッテリーを充電し、その熱を顧客に販売する際の価格差、いわゆる「スパークスプレッド」である。
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長期契約: 初期投資である熱バッテリーのコストを回収するため、10年から20年といった長期契約が基本となる
[11]
。この長期にわたる安定したキャッシュフローが、事業の根幹を支える。 -
追加収益: さらに、HaaSプロバイダーは、電力系統の需給バランス調整(デマンドレスポンス)に協力することで、電力会社から追加の収益を得ることも可能だ
[53]
。熱バッテリーは巨大な電力需要家であるため、系統が不安定な時に充電を停止したり、逆に電力が余っている時に積極的に充電したりすることで、グリッドの安定化に貢献し、その対価を得ることができる。
このように、HaaSは単なる支払い方法の変更ではない。それは、産業顧客の財務・リスク・経営戦略上の課題を解決し、プロバイダーにはエネルギー市場の変動性を収益機会に変えることを可能にする、Win-Winのビジネスモデルなのである。特に、長期的なパートナーシップとリスク回避を重視する日本の経営文化において、この「所有から利用へ」の転換は、産業脱炭素化を一気に加速させるポテンシャルを秘めている。
第4章 市場深掘り:日本のHaaS高ポテンシャル市場を特定する
HaaSという強力なビジネスモデルと、熱バッテリーという革新的な技術。この二つを組み合わせたソリューションを、日本のどこに、どの産業に投入すれば、最も大きなインパクトを生み出せるのか。本章では、日本の産業構造とエネルギー需給の地域特性を詳細に分析し、HaaSが最初に狙うべき高ポテンシャル市場を具体的に特定する。特に、再エネ余剰という「供給」と、巨大な熱需要という「需要」が交差する九州地方を戦略的なケーススタディとして深掘りする。
4.1. 日本の産業熱需要マッピング:温度帯が市場を決める
産業界のエネルギー消費を理解する鍵は、「温度」である。必要な熱の温度帯によって、適用可能な技術と、その経済性が大きく異なるからだ。日本の産業エネルギー消費統計(2022年度)によれば、産業部門のエネルギー消費4,032PJのうち、「蒸気・熱」が8.9%、「電力」が55.0%を占めるが、この電力の多くもモーター駆動と並んで加熱・冷却に利用されている [54]
。この巨大な熱需要を温度帯別に分類すると、明確な市場セグメントが見えてくる。
-
高温域(1000℃以上): この温度帯は、素材産業の心臓部である。鉄鋼業では、高炉や転炉、鋼材を再加熱する炉で800~1200℃の熱が必要とされる
[17]
。セメント産業では、原料を焼成するロータリーキルンが1450℃という極めて高い温度で稼働している[18, 55]
。ガラスや一部のセラミックス製造もこの領域に含まれる。この市場は、化石燃料からの転換が最も困難な領域であり、Kraftblock、Rondo Energy、Antora Energyといった1300℃以上に対応可能な顕熱蓄熱技術の独壇場となる。 -
中温域(200℃~500℃): 化学産業、製紙・パルプ産業、食品加工業などがこの温度帯の主要な需要家だ。化学プラントでは、蒸留塔や反応器で高品質な蒸気が大量に必要とされる
[19, 56, 57]
。製紙工場では、パルプの乾燥工程で大量の蒸気が消費される。この市場は、KraftblockやRondoが供給する高温の熱風から高圧蒸気を生成する応用や、Antoraの電力併給モデルが適合する。 -
低温域(200℃未満): 食品加工(乾燥、殺菌、低温殺菌)、繊維(染色)、自動車(塗装乾燥炉)、電子部品製造など、幅広い産業で需要が存在する。この温度帯は、Kyoto Groupの溶融塩技術(最高415℃)が得意とする領域であり、高効率な産業用ヒートポンプとの競合・協調も視野に入る
[28, 56, 58]
。NEDOの調査によれば、日本の産業界から排出される未利用熱の76%が200℃未満であり、この領域のエネルギー効率改善ポテンシャルは極めて大きい[56]
。
4.2. 戦略的ケーススタディ:九州 – 好機が熟す理想郷
日本のHaaS市場を攻略する上で、九州、特にその北部は、まさに「パーフェクトストーム」とも言えるほど、成功の条件が揃った理想的な場所である。
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供給サイド:出力抑制の震源地
第1章で詳述した通り、九州は日本の再エネ出力抑制の震源地であり、その抑制率は6.7%に達する [1, 2]。これは、見方を変えれば、日本で最も豊富かつ安価なクリーン電力の「鉱脈」がそこにあることを意味する。HaaSビジネスモデルの燃料となるこの「アンダープライスな電力」が、他のどの地域よりも潤沢に存在しているのだ。
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需要サイド(1):北九州工業地帯の巨大な熱需要
九州の北部には、日本の近代化を支えた北九州工業地帯が広がる。かつては官営八幡製鐵所を中心に鉄鋼業で栄え、現在も日本製鉄の巨大な製鉄所が稼働し、高温の熱を大量に消費している [59, 60]。さらに、周辺には三菱ケミカルなどの化学コンビナート、TOTOなどの窯業、そして近年ではトヨタ自動車九州や日産自動車九州といった自動車産業の一大集積地が形成されている [61, 62]。これらの工場は24時間365日稼働し、安定的で安価な熱エネルギーを常に必要としている。まさに、熱バッテリーが提供するベースロード熱の理想的な需要家群である。
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需要サイド(2):勃興する「シリコンアイランド」
近年の地政学的変化を背景に、九州は日本の半導体産業復活の拠点、「シリコンアイランド」として再び脚光を浴びている。TSMCの熊本進出を筆頭に、ソニーグループやロームなど、国内外の半導体関連企業の大型投資が相次いでいる [61]。半導体製造プロセスは、クリーンルームの空調(冷却)だけでなく、成膜、アニーリング(熱処理)、洗浄といった多くの工程で、極めて高品質で安定した熱エネルギーを必要とする。わずかな電力の瞬断や温度の変動が、巨額の損失につながるこの産業にとって、熱バッテリーがもたらすエネルギー供給の信頼性と安定性は、何にも代えがたい価値を持つ。実際に、九州の電子部品工場では、すでに100℃の排熱を蓄熱してクリーンルームの暖房に利用する事例も報告されており、熱マネジメントへの関心の高さがうかがえる [63]。
これらの供給と需要の要因が地理的に近接している九州北部は、HaaS事業を立ち上げるための「ビーチヘッド(橋頭堡)」として、日本で最も有望な市場であると結論付けられる。
以下の「HaaS機会マトリクス」は、日本の主要産業におけるHaaSのポテンシャルを整理したものである。
産業セクター | 主要な熱利用プロセス | 要求温度帯(℃) | 地理的集積地(特に九州) | HaaS適合性 | 最適な技術 |
鉄鋼 | 高炉、転炉、再加熱炉 | 800 – 1,200+ | 高(北九州、大分など) | 高 | Kraftblock, Rondo, Antora |
セメント・ガラス | 焼成キルン、溶解炉 | 1,000 – 1,500 | 中(福岡、山口など) | 高 | Kraftblock, Rondo |
化学 | 分解炉、蒸留塔、反応器 | 200 – 800 | 高(大分、北九州、大牟田) | 高 | Kraftblock, Rondo, Antora, Kyoto |
自動車 | 鋳造、鍛造、塗装乾燥 | 150 – 900 | 超高(福岡北部、大分) | 中~高 | 全プレイヤー(プロセスによる) |
食品・飲料 | 乾燥、焙煎、殺菌、蒸留 | 80 – 250 | 中(九州全域) | 中 | Kyoto, Sunamp, Rondo |
製紙・パルプ | 乾燥、蒸解 | 150 – 250 | 中 | 高 | Kyoto, Rondo |
半導体 | 成膜、アニール、洗浄 | 100 – 1,000 | 超高(熊本、福岡、大分) | 高 | 全プレイヤー(プロセスによる) |
このマトリクスが示すように、HaaSの機会は特定の産業に限定されない。しかし、事業の初期段階においては、再エネ余剰という「追い風」が最も強く吹き、かつ高温・連続稼働という「ニーズ」が最も明確な、九州の素材産業および半導体産業に焦点を当てることが、成功への最短距離となるだろう。
第5章 戦略的ブループリント:日本におけるHaaS事業化への実践的プレイブック
これまでの分析で、技術の優位性、ビジネスモデルの革新性、そして市場の有望性が明らかになった。しかし、これらのポテンシャルを現実のビジネスとして結実させるには、日本の複雑な政策、規制、金融のランドスケープを巧みに航海するための、緻密な戦略が不可欠である。本章では、政府のGX(グリーン・トランスフォーメーション)政策を最大限に活用し、金融スキームを組み合わせ、最適なパートナーシップを構築するための、具体的かつ実行可能なアクションプランを提示する。
5.1. GX政策フレームワークの活用:最大の追い風に乗る
日本政府が掲げる「GX実現に向けた基本方針」は、今後10年間で150兆円規模の官民GX投資を創出するという壮大な国家戦略であり、HaaS事業にとってこれ以上ない追い風となる [64, 65]
。このフレームワークを構成する2つの柱を戦略的に活用することが成功の鍵となる。
-
GX経済移行債による初期投資支援: 政府は、脱炭素に不可欠な技術への先行投資を支援するため、20兆円規模の「GX経済移行債」を発行する
[66, 67, 68, 69]
。HaaSプロバイダーは、熱バッテリーという大規模なエネルギー貯蔵インフラを構築する主体として、この資金の直接的な支援対象となる可能性が極めて高い。この公的資金を活用することで、HaaSプロバイダーは自己資本の負担を軽減し、より競争力のある価格で顧客に熱を供給することが可能になる。 -
カーボンプライシング(GX-ETS)による市場創出: 2028年度から本格導入される排出量取引制度(GX-ETS)は、化石燃料由来の熱に事実上の「炭素税」を課すことになる
[70, 71, 72]
。これにより、これまで安価であった化石燃料のコストは段階的に上昇し、CO2を排出しないHaaSの価格競争力が相対的に高まっていく。これは、産業界がHaaSへの切り替えを検討する強力なインセンティブとなる。つまり、GX移行債がHaaSの「供給」を後押しする一方で、カーボンプライシングが「需要」を喚起するという、強力なプッシュ・プル効果が期待できるのだ。
5.2. 補助金と金融インセンティブの徹底活用
GXという大きな枠組みに加え、既存の補助金制度を組み合わせることで、事業の経済性をさらに高めることができる。例えば、経済産業省が所管する「省エネルギー投資促進支援事業費補助金」では、産業用ヒートポンプや高性能ボイラといった高効率設備の導入が支援対象となっている [73, 74]
。熱バッテリーと高効率ヒートポンプを組み合わせたハイブリッド型のHaaSソリューションを提案することで、これらの補助金を活用し、システム全体の初期投資を圧縮することが可能だ。また、地方自治体が独自に設けているエネルギー貯蔵システムへの補助金も、プロジェクトの立地に応じて活用すべきである [75, 76]
。
5.3. 「HaaS+」モデル:PPAと金融ヘッジの統合
最も洗練されたHaaSプロバイダーは、単に熱を供給するだけでなく、エネルギー調達とリスク管理を統合した高度な金融ソリューションを提供する。これを「HaaS+」モデルと呼ぶ。
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コーポレートPPAとの連携: HaaSプロバイダーは、熱バッテリーの「燃料」となる安価な電力を安定的に確保するため、太陽光や風力発電事業者と長期の電力購入契約(Corporate Power Purchase Agreement: PPA)を締結する
[77, 78]
。これにより、例えば1kWhあたり12~16円といった低価格で20年間にわたり再生可能エネルギーを調達でき、発電事業者には安定収益を、HaaSプロバイダーにはコストの安定性をもたらす。 -
電力デリバティブ市場によるリスクヘッジ: 再生可能エネルギーは天候に左右されるため、PPAだけでは供給量のリスクが残る。例えば、曇天が続いてPPA電源からの電力が不足した場合、プロバイダーは卸電力取引所(JEPX)から高値で電力を調達せざるを得ず、採算が悪化する可能性がある。このリスクを回避するために活用するのが、東京商品取引所(TOCOM)などで取引される電力先物市場である
[79, 80, 81]
。HaaSプロバイダーは、電力先物を購入しておくことで、将来の電力調達価格をあらかじめ固定できる。これにより、スポット市場の価格がどれだけ高騰しても、安定したコストで電力を確保し、顧客に約束した固定価格で熱を供給し続けることができるのだ。
この「PPAによる長期安定調達」と「デリバティブによる短期リスクヘッジ」の組み合わせこそが、顧客に対して真の「価格安定性」という価値を提供する「HaaS+」モデルの核心である。
5.4. パートナーシップ・エコシステムの構築
Kraftblock社の経営陣が指摘するように、海外の革新的な企業が単独で日本の巨大な産業市場を攻略することは、極めて困難である [20]
。成功のためには、日本のビジネス環境を熟知した強力な国内パートナーとのエコシステム構築が不可欠だ。
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EPC(設計・調達・建設)企業: 三菱重工やJFEエンジニアリングのようなトップティアのEPC企業は、プラントの設計、機器の調達、建設、そして長期的な保守・メンテナンスに至るまで、プロジェクト全体を遂行する能力を持つ
[20, 42]
。彼らの技術力と信頼性は、顧客である製造業からの信用を勝ち取る上で決定的な役割を果たす。 -
電力会社: 九州電力のような地域の電力会社は、送電網の運用者として、また、デマンドレスポンスサービスの購入者として重要なパートナーとなる。将来的には、HaaS事業への共同投資や、電力会社の顧客網を活用した共同営業なども考えられる。
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総合商社: 三井物産、三菱商事、伊藤忠商事といった総合商社は、プロジェクトファイナンスの組成能力、世界中のサプライチェーン網、そして国内の幅広い産業界への強力なネットワークを持つ。HaaS事業の資金調達から顧客開拓、燃料(この場合は余剰電力)調達まで、事業のあらゆる側面で価値を提供できる。
結論として、日本におけるHaaS事業の成功は、技術や単独のビジネスモデルだけでは達成できない。GX政策という追い風を帆に受け、補助金やPPA、デリバティブといった金融ツールを駆使し、そして何よりも信頼できる国内パートナーとの強固なアライアンスを構築すること。この三位一体の戦略こそが、日本の産業脱炭素化という巨大な市場を切り拓くための、唯一の道筋なのである。
第6章 2030年の地平線:将来展望とステークホルダーへの提言
これまでの分析を通じて、高温蓄熱技術とHaaSモデルが、日本のエネルギーと産業が抱える構造的課題に対する強力なソリューションであることが明らかになった。本章では、これまでの議論を総括し、2030年に向けた市場の展望を描くとともに、この変革を現実のものとするために各ステークホルダーが取るべき具体的な行動を提言する。
6.1. 市場規模の予測と未来のビジョン
第4章で特定した高ポテンシャル市場、すなわち九州地方の鉄鋼、化学、セメント、そして半導体産業を初期ターゲットと仮定した場合、その熱需要だけでも膨大な市場が立ち上がる。これらの産業の脱炭素化目標とエネルギー消費量を考慮すると、2030年までに日本国内のHaaS市場は、控えめに見積もっても数千億円規模に達するポテンシャルを持つ。
2030年のビジョン: 九州や瀬戸内、東海地方の主要な工業地帯では、コンテナ型の熱バッテリー群が工場の隣に設置され、さながら地域の「エネルギー心臓部」として機能している。これらの熱バッテリーは、日中の太陽光発電による余剰電力を完全に吸収し、電力系統を安定化させる巨大なバッファー(仮想発電所)として振る舞う。これにより、再生可能エネルギーの出力抑制は過去のものとなった。工場は、かつて輸入していた高価で価格変動の激しい化石燃料の代わりに、地域で生み出されたクリーンな電力を熱源とする、安定的かつ低コストなゼロカーボン熱を利用している。これにより、日本の製造業は「メイド・イン・ジャパン」の品質に加え、「グリーン・メイド・イン・ジャパン」という新たな競争優位性を手に入れ、世界市場での地位を確固たるものにしている。
6.2. 注視すべきマイルストーンと先行指標
このビジョンが現実のものとなるかを見極める上で、今後数年間にわたり注視すべき重要なマイルストーンと先行指標がいくつか存在する。
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最初の大規模HaaSプロジェクト: 国内の主要な製造業(鉄鋼、化学、自動車など)が、メガワット級のHaaS契約を締結する最初の事例。これが発表されれば、市場の信頼性が一気に高まり、追随する企業が続出するだろう。
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GX-ETSにおける炭素価格の動向: 2028年から本格化する排出量取引市場で、炭素価格が政府の想定通り、あるいはそれ以上に上昇するかどうか。明確な価格上昇シグナルは、HaaSへの投資判断を強力に後押しする。
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地域間連系線の増強計画: 北海道-本州間や、九州-本州間の連系線増強プロジェクトの進捗
[81]
。これが進めば、国内の電力融通が活発化し、HaaSの事業環境にも影響を与える。 -
次世代蓄熱材の開発: より高密度、高耐久、低コストな蓄熱材料に関する研究開発の動向。技術的なブレークスルーは、HaaSのコストをさらに押し下げる可能性がある。
6.3. 主要ステークホルダーへの戦略的提言
この変革を加速させるためには、各主体がそれぞれの立場で果たすべき役割がある。
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産業界(製造業)へ:
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「熱の脱炭素化ロードマップ」を策定せよ: まずは自社の工場で使用している熱の温度、量、連続性を棚卸し、現状を正確に把握することから始めるべきだ。
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パイロットプロジェクトに今すぐ着手せよ: HaaSプロバイダーと連携し、小規模なパイロット導入を検討すべきである。これにより、技術的な適合性を検証し、本格導入に向けた知見を蓄積できる。
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長期契約を有利な条件で確保せよ: カーボンプライシングが本格化する前に、有利な条件で長期のHaaS契約を締結することは、将来のエネルギーコストを固定化し、競合に対する優位性を築く上で極めて有効な戦略となる。
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技術プロバイダー(Kraftblock、Rondoなど)へ:
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日本市場を最優先せよ: 世界の産業脱炭素化市場の中でも、日本のポテンシャルは群を抜いている。強力な国内パートナーを1社見つけ、リソースを集中投下することが賢明だ。
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価値提案を最適化せよ: 技術スペックの優位性を訴求するだけでなく、OPEX削減、リスク移転、価格安定性といった、日本の経営層に響く財務・経営上のメリットを前面に打ち出すべきである。
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九州をビーチヘッドとせよ: 最も事業環境が整っている九州で成功事例を築き、それをモデルケースとして全国に横展開する戦略が最も確実性が高い。
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政策立案者(経済産業省、環境省)へ:
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GX経済移行債の対象を明確化せよ: 高温蓄熱技術とそれを活用したHaaSモデルを、GX移行債による重点支援分野として明確に位置づけるべきである。
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補助金制度を最適化せよ: 短時間放電を前提とした蓄電池だけでなく、数日から数週間にわたる「長時間・長期」のエネルギー貯蔵能力を評価し、インセンティブを与えるような補助金制度を設計することが求められる。
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カーボンプライシングの予見可能性を高めよ: GX-ETSにおける将来の炭素価格のパス(上昇経路)をできるだけ早期に、かつ明確に示すことで、民間企業が長期的な投資判断を下しやすい環境を整備することが不可欠である。
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結論:捨てられる電子から、緑の熱へ – 新たな産業革命の幕開け
日本は今、再生可能エネルギーの「余剰」という富の無駄遣いと、産業部門の「排出」という未来への負債という、二つの大きな課題に同時に直面している。一見、別々の問題に見えるこの二つの課題は、実は同じコインの裏表であり、その解決策もまた一つである。
本レポートで詳述してきたように、「高温蓄熱技術(熱のバッテリー)」と「Heat-as-a-Service(HaaS)」という強力な組み合わせは、この二つの課題を同時に解決する、エレガントかつ経済合理性の高い systemic solution(体系的解決策)を提供する。それは、捨てられる運命にあった電子(エレクトロン)を捕らえ、価値ある緑の熱(グリーンヒート)へと変換し、日本のものづくりを支える新たな血液として産業の動脈に送り込む、壮大なエネルギーの錬金術である。
これは単なるエネルギー転換ではない。それは、日本の産業構造、企業の財務戦略、そしてエネルギー安全保障のあり方を再定義する、新たな産業革命の序章に他ならない。負債(出力抑制)を資産(低コスト熱源)へと転換することで、日本はエネルギー転換を加速させるだけでなく、製造業の国際競争力を再び強化し、世界に向けたグリーンな産業化の新しいモデルを提示することができるだろう。その未来への扉は、今、開かれようとしている。
よくある質問(FAQ)
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HaaS契約による熱のコストは、天然ガスと比較してどうなりますか?
A. HaaSのコストは、電力調達価格(PPAや市場価格)と熱バッテリーの償却費で決まります。再エネの余剰電力や安価なオフピーク電力を活用することで、長期的には価格変動の激しい天然ガスよりも安定的かつ低コストになる可能性があります。特に、将来導入されるカーボンプライシングを考慮すると、HaaSの経済的優位性はさらに高まります。
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産業施設に熱バッテリーシステムを導入するには、どのくらいの期間がかかりますか?
A. KraftblockやRondo Energyなどが採用するモジュール式のシステムは、工場での事前製造により現場での建設期間を大幅に短縮できます。システムの規模や既存設備との接続の複雑さにもよりますが、契約から稼働開始まで12~24ヶ月程度が目安となります。
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熱バッテリーは熱と電力の両方を供給できますか?
A. はい、技術によります。Antora Energyは、蓄えた熱を熱光発電(TPV)技術で電力に再変換する機能を標準で備えており、熱と電力の両方を供給できます。KraftblockやRondoのシステムも、蒸気タービンと組み合わせることで熱電併給(コージェネレーション)が可能です。
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HaaSプロバイダーが倒産した場合はどうなりますか?
A. これはHaaS契約における重要なリスク要因です。そのため、プロバイダーの財務的安定性が極めて重要になります。多くのプロジェクトでは、契約の中に事業継続計画(BCP)が盛り込まれ、万が一の場合には設備の所有権が顧客に移転されたり、別の事業者が運営を引き継いだりする条項が含まれるのが一般的です。Iberdrolaのような大手電力会社や、BlackRockのような大手投資機関が支援するプロバイダーを選ぶこともリスク軽減につながります。
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工場の熱需要が変動した場合、HaaS契約はどのように対応しますか?
A. HaaS契約は柔軟に設計可能です。一般的には、ベースとなる固定料金(基本料金)と、実際に使用した熱量に応じた従量料金を組み合わせた料金体系が採用されます。これにより、需要の変動に対応しつつ、プロバイダー側も一定の収益を確保できます。
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熱バッテリーの技術は実証済みで信頼できますか?
A. はい。特に顕熱蓄熱で使われるセラミックや耐火レンガといった素材は、製鉄業などで100年以上にわたって使用されてきた、極めて堅牢で実績のある材料です。潜熱蓄熱で使われる溶融塩も、太陽熱発電所などで大規模な運用実績があります。技術の核心部分は成熟しており、信頼性は非常に高いと言えます。
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中規模工場向けのシステムの物理的な設置面積はどのくらいですか?
A. エネルギー密度が高いため、比較的コンパクトです。例えば、Rondo Energyは、1MWhのエネルギーを1平方メートルあたりに貯蔵できるとしています。数十MWhクラスのシステムであれば、テニスコート数面分程度の面積に収まることが多く、既存の工場の敷地内にも設置しやすいのが特徴です。
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HaaSは既存のボイラーや蒸気配管とどのように統合されますか?
A. HaaSプロバイダーは、熱バッテリーを顧客の既存の熱インフラ(ボイラー、蒸気ヘッダー、配管網など)にシームレスに接続するインテグレーションサービスを提供します。多くの場合、既存のガスボイラーはバックアップ用として残しつつ、熱バッテリーを主たる熱源として運用する形になります。
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熱バッテリーに使われる素材(炭素、セラミックなど)は安全で環境に優しいですか?
A. はい。主要な熱バッテリーで使われる炭素、セラミック、耐火レンガ、溶融塩といった素材は、いずれも化学的に安定しており、毒性や引火性のリスクがありません。リチウムイオン電池のような熱暴走のリスクもなく、本質的に安全です。また、Kraftblockのようにリサイクル材を積極的に活用する企業もあり、ライフサイクル全体での環境負荷も低いのが特徴です。
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日本の新しいカーボンプライシング制度は、HaaSの経済性にどう影響しますか?
A. 直接的かつ非常にポジティブな影響を与えます。カーボンプライシングは、化石燃料を使って熱を発生させることのコストを直接的に引き上げます。これにより、CO2を排出しないHaaSの相対的な価格競争力が高まります。炭素価格が高くなるほど、HaaSへの切り替えによる経済的メリットは大きくなります。
ファクトチェック・サマリー
本レポートの信頼性を担保するため、主要なデータポイントとその出典を以下に要約します。
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再エネ出力抑制量(2023年度見通し): 全国で過去最大の17億6000万kWhに達する見込み
[1]
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九州エリアの出力抑制率(2023年度見通し): 太陽光・風力発電量の6.7%に達する見込み
[1]
。 -
日本のエネルギー需給構造(2022年度): 一次エネルギー供給における化石燃料依存度は83.5%、エネルギー自給率は13.3%
[6]
。 -
Kraftblock社の技術性能: 最高蓄熱温度1,300℃、最長貯蔵期間2週間
[20]
。 -
Rondo Energy社の効率: 電力から熱への変換効率は98%以上
[25]
。 -
日本のEaaS市場予測(2033年): 112億米ドル規模に達すると予測
[47]
。 -
GX政策の投資目標: 今後10年間で150兆円超の官民GX投資を目指す
[64]
。 -
出典: 本レポートの分析は、主に経済産業省、資源エネルギー庁、電力広域的運営推進機関(OCCTO)の公表データ、TECHBLITZによる
、Kraftblock社へのインタビュー記事 、(https://www.rondo.com/)、Antora Energy社 、(Kyoto Group社 の公式情報)、および国内外の学術論文やhttps://sunamp.com/en-gb/)の公式情報 に基づいています。主要な出典先として、業界レポート や自然エネルギー財団 などが挙げられます。資源エネルギー庁の審議会資料
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