AIはできる人ほど得をするのか、できない人を底上げするのか – 海外論文の分析レポート

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国際航業株式会社カーボンニュートラル推進部デジタルエネルギーG

樋口 悟(著者情報はこちら

国際航業 カーボンニュートラル推進部デジタルエネルギーG。環境省、トヨタ自働車、東京ガス、パナソニック、オムロン、シャープ、伊藤忠商事、東急不動産、ソフトバンク、村田製作所など大手企業や全国中小工務店、販売施工店など国内700社以上・シェアNo.1のエネルギー診断B2B SaaS・APIサービス「エネがえる」(太陽光・蓄電池・オール電化・EV・V2Hの経済効果シミュレータ)のBizDev管掌。再エネ設備導入効果シミュレーション及び再エネ関連事業の事業戦略・マーケティング・セールス・生成AIに関するエキスパート。AI蓄電池充放電最適制御システムなどデジタル×エネルギー領域の事業開発が主要領域。東京都(日経新聞社)の太陽光普及関連イベント登壇などセミナー・イベント登壇も多数。太陽光・蓄電池・EV/V2H経済効果シミュレーションのエキスパート。Xアカウント:@satoruhiguchi。お仕事・新規事業・提携・取材・登壇のご相談はお気軽に(070-3669-8761 / satoru_higuchi@kk-grp.jp)

エネがえるキャラクター
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目次

ナレッジワーカーの生産性と技能格差における生成AIの影響 不均衡な技術的境界線(Jagged Technological Frontier)の探索と日本市場への示唆

1. 序論:2025年におけるAIと労働の現在地

2025年11月、生成AI(Generative AI)の社会実装は、当初の熱狂的な導入フェーズを経て、より冷静かつ実証的な検証フェーズへと移行している。大規模言語モデル(LLM)の能力は飛躍的に向上し続けているが、同時にその限界と、人間社会との摩擦もまた明らかになりつつある。労働経済学および組織行動学の領域において、現在最も激しく議論されている命題は、AIが労働者のスキル分布にどのような構造的変化をもたらすかという点にある。すなわち、「AIは高スキル人材の能力をさらに拡張し、富と成果の集中を加速させるのか(Skill-Biased Technological Change)」、それとも「低スキル人材の能力を底上げし、格差を是正する平準化装置として機能するのか(Leveling Effect)」という問いである。

本レポートは、この二項対立的な問いに対し、Fabrizio Dell’Acquaらが2023年に発表した記念碑的研究『Navigating the Jagged Technological Frontier』を出発点とし、2025年時点での最新の研究成果、反証データ、そして日本固有の労働市場環境を加味した上で、包括的な解を提示することを目的とする。

かつて蒸気機関が肉体労働の価値を再定義し、コンピュータが計算業務を自動化したように、生成AIは「認知労働」そのものの価値を再定義しつつある。しかし、その影響は一様ではない。AIの能力は均質な平野のように広がっているのではなく、ある領域では人間を遥かに凌駕し、隣接する領域では幼児のような誤謬を犯すという「不均衡な技術的境界線(Jagged Technological Frontier)」を形成している 1この境界線の存在こそが、現代のナレッジワーカーが直面する最大の機会であり、同時にリスクでもある。

本稿では、まずDell’Acquaらの研究を詳細に解剖し、AIがもたらす生産性向上のメカニズムと、その恩恵がスキルレベルによってどう異なるかを分析する。次に、2025年に発表された「GenAIの壁(The GenAI Wall)」効果や「思考の均質化(Homogenization of Thought)」といった新たな概念を用い、AI活用の限界と副作用について批判的検討を行う。さらに、欧米型の「ジョブ型雇用」を前提としたこれらの議論を、日本の「メンバーシップ型雇用」という文脈に移植した際に生じる歪みと、日本企業が取るべき適応戦略について深掘りする。

結論として、AIは単なるツールではなく、人間の専門性の定義そのものを書き換える触媒であることを論じ、新たな時代における「能力」のあり方を再定義する。


2. 理論的背景:自動化の歴史と「パラドックス」の変遷

AIの影響を正しく評価するためには、技術と労働の関係性に関する歴史的・理論的な枠組みを理解する必要がある。これまでの技術革新は、主に「ルーチンワーク」の代替を進めてきたが、生成AIはその境界を侵食している。

2.1 スキル偏重型技術変化(SBTC)と二極化

1980年代以降のIT革命は、「スキル偏重型技術変化(SBTC: Skill-Biased Technological Change)」として特徴づけられてきた。コンピュータは、高度な教育を受けた労働者(抽象的な分析や複雑な意思決定を行う層)の生産性を高める補完財として機能する一方、定型的な事務作業を行う中スキル層の仕事を代替し、労働市場の二極化(Polarization)を招いたとされる。この理論に従えば、AIという更に高度な技術の登場は、高スキル層(トップコンサルタント、熟練エンジニア、著名なクリエイター)にさらなるレバレッジを与え、格差を拡大させると予測される。

2.2 モラベックのパラドックスからポランニーのパラドックスへ

しかし、生成AIの登場は、従来の「自動化しやすいタスク」の定義を覆した。ここで重要となるのが2つのパラドックスである。

モラベックのパラドックス(Moravec’s Paradoxは、「高度な推論や計算はコンピュータにとって容易だが、1歳児レベルの知覚や運動能力(歩行や物体の把持)を再現するのは極めて困難である」という洞察である。これに加え、ポランニーのパラドックス(Polanyi’s Paradox「我々は語れる以上のことを知っている(We know more than we can tell)」という概念が、AIの限界を説明するために引用されてきた 2

従来、暗黙知(Tacit Knowledge)——言語化できない職人の勘や文脈理解——は自動化不可能とされてきた。しかし、LLMは膨大なテキストデータを学習することで、言語化された知識(形式知)の組み合わせによって、あたかも暗黙知を持っているかのように振る舞うことが可能になった。これにより、従来は「高度な創造性や推論」を要するとされ、自動化の聖域であった領域(文章作成、コーディング、アイデア出し)が一気に侵食されたのである。

2.3 生成AIによる「認知のコモディティ化」

2023年以降の実証研究が示唆しているのは、SBTCの逆転現象である。生成AIは、トップパフォーマーのみが持っていた「流暢な言語化能力」や「論理構築能力」を、プロンプト一つで誰にでも提供する。これにより、経験の浅い労働者や低スキル層が、熟練者と同等のアウトプットを出せるようになる「平準化効果(Leveling Effect)」が観測され始めた。これが、「できない人を底上げする」という仮説の根拠である。


3. 『Navigating the Jagged Technological Frontier』の高解像度解析

この「平準化効果」を実証的に、かつ詳細に検証したのが、ハーバード・ビジネス・スクールのFabrizio Dell’Acquaらによる研究『Navigating the Jagged Technological Frontier: Field Experimental Evidence of the Effects of AI on Knowledge Worker Productivity and Quality』(2023)である。本章では、この研究の実験設計と結果を微細に分析し、その含意を紐解く。

3.1 実験デザイン:リアリティの追求

本研究の卓越性は、実験室的な単純タスクではなく、ボストン・コンサルティング・グループ(BCG)の現役コンサルタント758名を対象に、極めて実践的かつ複雑な業務タスクを用いて行われた点にある 1。被験者は、世界中のBCGオフィスから集められ、同社の個人貢献者(Individual Contributor)レベルの約7%に相当する規模であった。

実験はプレレジストレーション(事前登録)され、以下の3つの条件にランダムに割り当てられた 1

  1. コントロール群(No AI Access): AIを使用せず、従来通りの方法でタスクを行う。

  2. AI利用群(GPT-4 AI Access): GPT-4を使用してタスクを行う。

  3. AI利用+教育群(GPT-4 + Prompt Engineering): GPT-4の使用に加え、プロンプトエンジニアリングの概要(Chain of Thoughtなど)の教育を受ける。

3.2 「不均衡な技術的境界線」の概念的定義

研究チームは、AIの能力を一律なものとして捉えず、「不均衡な技術的境界線(Jagged Technological Frontier)」というメタファーを提唱した 1

概念 定義 具体例
境界線の内側 AIが人間と同等、あるいはそれ以上のパフォーマンスを発揮できるタスク領域。 文章の要約、アイデア出し、基本的な市場分析、メールの下書き作成。
境界線の外側 一見AIにできそうに見えるが、AIが致命的な誤りを犯す、あるいは人間の微妙な判断が必要なタスク領域。 矛盾するデータに基づいた意思決定、最新かつ非公開の文脈理解、ニュアンスの読み取り。

この境界線は「ギザギザ(Jagged)」しており、タスクの難易度とは必ずしも相関しない。人間にとって難しい計算がAIには容易である一方、人間にとって容易な文脈理解がAIには困難である場合がある。この不可視の境界線を認識できるかどうかが、パフォーマンスを分ける決定的な要因となる。

3.3 結果解析①:境界線の内側における「底上げ効果」

境界線の内側に設定された18のタスク(創造的な製品開発、分析的作文など)において、AIの効果は劇的であった。

  • 生産性の向上: AI利用群は、コントロール群と比較して、タスク完了数が平均12.2%増加し、タスク完了速度が25.1%向上した 1

  • 品質の向上: 成果物の品質(外部の評価者による採点)は、40%以上向上した 1

さらに重要なのは、スキルレベル別の分布の変化である。実験前のベースライン評価で下位半分(低パフォーマンス層)に位置していたコンサルタントは、AIを使用することでスコアを43%向上させた。一方、上位半分(高パフォーマンス層)の向上幅は17%にとどまった 1

このデータは、AIがナレッジワークにおける「最低ライン」を劇的に引き上げることを示している。経験の浅いコンサルタントが従来苦労していた「ゼロからイチを生み出す」プロセスや「論理の構造化」をAIが代替することで、彼らは即座に中堅以上のレベルのアウトプットを出せるようになった。結果として、組織内のパフォーマンス格差は縮小した。すなわち、この条件下では「AIはできない人を底上げする」という命題が真であることが証明された。

3.4 結果解析②:境界線の外側における「没落」

しかし、物語はここで終わらない。研究チームは意図的に「境界線の外側」にあるタスクも用意した。具体的には、企業のCEOに対して流通チャネルの戦略を提言するタスクにおいて、提供された財務データとインタビュー記録に微妙な矛盾を含ませ、AIが表面的な分析だけでは誤った結論(幻覚を含む推論)を導き出すように設計した 5

この条件下では、AI利用群のパフォーマンスは崩壊した。

  • 正答率の低下: AIを使用したコンサルタントは、使用しなかったグループと比較して、正解にたどり着く確率が19ポイント低下した 1

AIを使わなかったコンサルタントは、自分の頭でデータを精査し、矛盾に気づくことができた。しかし、AIを使ったコンサルタント(たとえ高スキル者であっても)は、AIが出力した「もっともらしく、流暢で、説得力のある」誤った回答をそのまま受け入れてしまったのである。

3.5 新たな人間とAIの協働モデル:ケンタウロスとサイボーグ

Dell’Acquaらは、この実験を通じて、高パフォーマンスを維持した被験者に見られる2つの主要な行動パターンを特定した。これらは、AI時代のナレッジワーカーが目指すべき理想像を示唆している 1

1. ケンタウロス型(Centaurs)

ギリシャ神話の半人半馬の怪物に由来するこのタイプは、「分業」を戦略の核とする。彼らはタスク全体を俯瞰し、「ここはAIの領分(文章生成、データ加工)」「ここは人間の領分(意思決定、倫理判断、文脈読解)」と明確に切り分ける

  • 行動特性: 彼らはAIと人間を交互に使い分けるが、その切り替え(スイッチング)はタスクの節目で行われる。例えば、「AIに要約を作らせ、それを読んで人間が戦略を考え、最後にAIに清書させる」といった具合である。

  • 成功要因: 境界線の内側と外側を戦略的に行き来することで、AIの強みを活かしつつ、リスクを回避する。

2. サイボーグ型(Cyborgs)

機械と生体が融合した存在に由来するこのタイプは、「統合」を特徴とする。彼らはタスクの実行プロセスそのものにAIを深く組み込み、マイクロレベルでの対話を繰り返す

  • 行動特性: 文章の途中まで人間が書き、続きをAIに書かせ、その出力を人間が修正し、さらにAIに批判させるといった、断続的かつ双方向のループを形成する。彼らはプロンプトエンジニアリングを駆使し、AIに「特定のペルソナ(例:懐疑的な批評家)」を与えたりして、自分の思考を拡張する 1

  • 成功要因: 人間の思考とAIの演算能力をリアルタイムで同期させることで、単独では到達できない高度なアウトプットを生み出す。


4. 批判的検討と2025年の最新知見:平準化の限界

Dell’Acqua研究は「底上げ効果」「境界線リスク」を示したが、2024年から2025年にかけての追試や関連研究は、より複雑で、ある意味で悲観的な側面を浮き彫りにしている。

4.1 「GenAIの壁(The GenAI Wall)」効果

2025年、ハーバード・ビジネス・スクールとスタンフォード大学の研究者チーム(Vendraminelli et al.)が発表したワーキングペーパー『The GenAI Wall Effect: Examining the Limits to Horizontal Expertise Transfer』は、「底上げ」の限界を明確に定義した 7

この研究は、異なる職種間(例:マーケティング担当者、技術者、Webアナリスト)での知識移転に焦点を当てた。AIを使えば、マーケティング担当者が専門外であるWeb分析の記事を書くことができるようになるか? 結果は「イエス」であり「ノー」であった。

  • 隣接する部外者(Adjacent Outsider): マーケティング担当者がWeb分析について書く場合など、知識領域が近い場合、AIは専門知識のギャップを埋め、インサイダー(専門家)に近いパフォーマンスを発揮させた。

  • 遠い部外者(Distant Outsider): しかし、全く背景知識のない技術的なトピックについて書く場合、AIの支援があってもパフォーマンスは専門家のレベルには遠く及ばなかった。これを研究チームは「GenAIの壁」と名付けた。

なぜ「壁」が出現するのか?

この現象の背後には、吸収能力(Absorptive Capacity)の欠如がある 9。AIが生成した高度な内容が正しいかどうか、あるいは適切かどうかを判断するためには、ユーザー自身にある程度の基礎知識(ドメイン知識)がなければならない基礎知識がゼロの人間にとって、AIは「魔法の箱」であり、その出力を批判的に評価することも、適切に修正することもできない。したがって、Dell’Acquaが示した「底上げ効果」は、「ある程度の基礎能力がある」という前提条件付きの現象であると言える。

4.2 思考の均質化(Homogenization of Thought)

AIへの依存が進むにつれ、懸念されているのが「思考の均質化」である。複数の研究が、生成AIに依存した集団のアウトプットが、多様性を失い、平均的な解に収束する傾向を指摘している 10

  • メカニズム: LLMは、学習データの中で最も確率的に高い(=ありふれた)回答を出力するよう調整されている(RLHFなどの手法により、当たり障りのない回答が好まれる傾向もある)。全員が同じモデル(例:GPT-4やその後継)を使って課題解決を行えば、全員が似通った「正解っぽい」アイデアに到達する

  • 長期的リスク: 短期的には、低スキル層が平均レベルに引き上げられることで全体の質は上がる。しかし長期的には、組織から「外れ値」としての独創性や、異質な視点が排除されることになる。イノベーションはしばしば「平均からの逸脱」から生まれるため、これは企業の競争力を削ぐ要因となり得る。

4.3 「居眠り運転」と認知的退化

Dell’Acqua研究で「境界線の外側」においてパフォーマンスが低下した現象は、「居眠り運転(Falling Asleep at the Wheel)」と呼ばれる 13。自動運転車においてドライバーが注意を散漫にするのと同様に、AIの出力があまりにも流暢で高品質であるため、人間は思考停止に陥り、検証プロセスをスキップしてしまう

さらに深刻なのは、長期的な「認知的退化(Cognitive Atrophy)」のリスクである。文章作成や要約といったプロセスは、単なる作業ではなく、思考を整理し、理解を深めるための認知的なトレーニングでもある。これらを日常的にAIに委譲することで、ナレッジワーカーの基礎的な思考体力(Critical Thinking Muscles)が衰え、いざAIが使えない状況、あるいはAIが間違った状況で、適切な対応ができなくなる恐れがある。


5. 日本市場への洞察:構造的な「ねじれ」と適応課題

欧米の研究成果を日本市場に適用する際には、雇用システムと組織文化の違いを考慮しなければならない。日本の「メンバーシップ型雇用」は、生成AIの「ケンタウロス型」活用の障壁となる可能性が高い

5.1 ジョブ型 vs メンバーシップ型:タスク境界の曖昧性

Dell’Acqua研究の前提となっているのは、欧米的な「ジョブ型雇用」である。そこでは個人の職務内容(Job Description)が明確に定義されており、タスクは個人の責任において遂行される。したがって、「このタスクはAIに任せ、このタスクは自分がやる」というケンタウロス的な切り分けが個人の裁量で行いやすい

一方、日本のメンバーシップ型雇用では、職務は「人」ではなく「課」や「チーム」に割り当てられる傾向が強い 14

  • タスクの境界不明瞭: 誰がどのタスクをどこまで責任を持って行うかが曖昧であるため、「AIに任せる」という判断が個人の責任を超えてしまう、あるいは誰の成果かわからなくなるという問題が生じる。

  • OJTの空洞化: 日本企業は、新卒一括採用とOJT(On-the-Job Training)による長期的な人材育成を強みとしてきた。しかし、生成AIによる「底上げ効果」は、新人が下積みとして経験すべき「議事録作成」や「資料整理」といったタスクを瞬殺してしまう。これにより、業務の全体像を把握したり、基礎的なスキルを習得したりする機会が失われ、将来的な「現場力」の低下を招くリスクがある。

5.2 AI導入率の低迷と「幻滅期」の回避

総務省の『情報通信白書(令和6年版)』やその他の調査によると、日本企業の生成AI導入率は欧米に比べて低い水準に留まっている(米国企業の導入率が数割に達する中、日本はまだ10〜20%台とする調査もあるが、急速に変化している) 17

この背景には、上述の雇用慣行に加え、法的・倫理的な不確実性への過剰な反応がある。しかし、2024年に文化庁が発表した『AIと著作権に関する考え方について』は、開発・学習段階と生成・利用段階を法的に明確に区別し、企業が安全にAIを利用するためのガイドラインを提示した 18。これにより、コンプライアンス上の懸念は払拭されつつある。

日本企業における課題は、技術の導入そのものではなく、「AI前提の業務プロセス再設計(BPR)」である。単に今の仕事にAIを足すのではなく、「AIがあるなら、そもそもこの会議は必要なのか?」「この承認プロセスは自動化できるのではないか?」といった根本的な問い直しが求められている。

5.3 日本市場における「勝ち筋」:ハイコンテクスト文化とAI

一方で、日本のハイコンテクストな文化(言わなくても察する文化)は、AIにとっては「境界線の外側」にある難所である。ポランニーのパラドックスにあるように、日本企業の現場には言語化されていない暗黙知が大量に存在する。

ここに日本企業における「ケンタウロス」の勝機がある。

  • 暗黙知の形式知化: ベテラン社員の持つノウハウ(暗黙知)を、インタビューなどを通じてAIに学習させ、形式知化する。

  • すり合わせのAI化: 部門間の調整業務(すり合わせ)において、AIを共通言語として活用する。

また、Vendraminelliらが指摘した「GenAIの壁」は、スペシャリスト志向の欧米よりも、ゼネラリスト志向(ジョブローテーションにより多角的な経験を持つ)の日本の正社員にとって、有利に働く可能性がある。幅広い業務経験(Absorptive Capacityの広さ)があれば、AIを使って未知の領域に取り組む際も、「壁」を乗り越えやすいかもしれない。


6. 今後の展望と戦略的提言:2025年以降のナレッジワーカーへ

「AIはできる人ほど得をするのか、できない人を底上げするのか」という問いに対する、本レポートの最終的な分析結果をまとめる。

6.1 結論:短期的「底上げ」と長期的「二極化」の同時進行

分析は、この二つの現象が排他的ではなく、時間軸と視座によって共存することを示している。

  1. レベル1:タスク遂行能力(底上げ)

    定型的なナレッジワークにおいては、AIは間違いなく「平準化装置」として機能する。低スキル層の生産性は飛躍的に向上し、高スキル層とのアウトプットの差(量・質ともに)は縮小する。これは企業全体のベースラインを引き上げる。

  2. レベル2:メタ認知・統合能力(二極化)

    しかし、より高次のレベルでは、新たな格差が生まれる。「不均衡な境界線」を見極める能力、AIに適切なペルソナを与えるサイボーグ的能力、そしてAIの出力を批判的に検証する基礎知識を持つ「真のエキスパート」は、AIをレバレッジとして指数関数的な成果を出す。一方、AIに思考を依存し、検証能力を持たない層は、「壁」にぶつかり、重大なミスを犯すリスクを抱え続ける。

    つまり、「従来のスキル(文章力、計算力)」による格差は縮小するが、「AIオーケストレーション能力」による格差は拡大する

6.2 個人への提言:AI時代の「能力」の再定義

ナレッジワーカーは、自身の価値を「答えを出すこと(Answering)」から「問いを立て、検証すること(Asking and Curating)」へとシフトさせなければならない。

  • 「境界線」の探検家になる: 常に新しいタスクでAIを試し、どこまでが安全で、どこからが危険かという感覚(技術的直感)を磨く。この境界線は日々更新されるため、継続的な実験が必要である。

  • ポランニーの壁を越える: 自分の持つ暗黙知を言語化し、プロンプトに落とし込むスキルを磨く。AIは「指示されたこと」しかできないため、指示の解像度こそがアウトプットの天井を決める

  • 「基礎」への回帰: AIが高度な応用問題を解いてくれるからこそ、人間は原理原則や基礎理論の理解に立ち返るべきである。基礎がなければ、AIの嘘を見抜けない(Absorptive Capacityの強化)

6.3 組織への提言:実験文化と多様性の設計

  • サンドボックスの提供: 従業員がリスクなしにAIを試し、失敗できる環境(サンドボックス)を提供する。Dell’Acquaの研究でも、教育(プロンプトエンジニアリングの概要)を受けたグループのパフォーマンスが高かったように、組織的なリテラシー教育は必須である。

  • 「人間」の価値の再評価: AIによる均質化を防ぐため、AIを使わない思考の時間や、人間同士の対話を意図的に設計する。また、評価制度を「アウトプットの量」から「独自の洞察」や「他者への貢献」といった、AIが代替しにくい指標へとシフトさせる。

  • 日本企業の転換点: メンバーシップ型雇用の強み(チームワーク、広範な経験)を活かしつつ、タスクの責任所在を明確化する「ジョブ型的な運用」を部分的に取り入れるハイブリッドな組織運営が求められる。

6.4 結語

2025年、我々は「AIに使われるか、使いこなすか」という陳腐な二元論を超え、「AIと共にどのように進化するか」という段階にいる。Dell’Acquaらが示した「不均衡な境界線」は、固定された壁ではなく、我々の知識と技術の相互作用によって形を変えるフロンティアである。

このフロンティアにおいて最も「得をする」のは、AIに仕事を丸投げする者でも、AIを頑なに拒絶する者でもない。AIを自己の拡張として受容しつつ、最後の砦としての「批判的思考」と「人間性」を手放さない、新たな時代の知的専門職(ケンタウロスであり、サイボーグである者たち)である。生成AIは、できない人を底上げするが、その先にある高みへと登れるのは、自らの足で歩む意志を持つ者だけである。


主要参考文献・データソース

  • 1Dell’Acqua, F., et al. (2023). “Navigating the Jagged Technological Frontier: Field Experimental Evidence of the Effects of AI on Knowledge Worker Productivity and Quality.” Harvard Business School Working Paper.

  • 7Vendraminelli, L., et al. (2025). “The GenAI Wall Effect: Examining the Limits to Horizontal Expertise Transfer Between Occupational Insiders and Outsiders.” HBS/Stanford Working Paper.

  • 10Studies on Homogenization of Thought and Cognitive Bias in AI (MDPI, arXiv, Frontiers in Education 2024-2025).

  • 5MIT Sloan & BCG Reports on Generative AI Productivity.

  • 2Autor, D., et al. (2025). “Polanyi’s Paradox and the Shape of Employment Growth.”

  • 14JILPT & Academic sources on Japanese Employment Systems (Job-based vs Membership-based).

  • 18文化庁 (2024). 「AIと著作権に関する考え方について」.

  • 17総務省 (2024). 『令和6年版 情報通信白書』.

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