目次
15分都市とは何か – 時間と気候を救う都市戦略
15分都市(15-Minute City)とは、自宅から徒歩や自転車で15分以内に生活必需品やサービスにアクセスできる都市づくりの概念です。
居住地の半径15分圏内に仕事、学校、医療、買い物、憩いなどの主要施設を集約し、遠距離通勤や長時間移動を減らすことで、人々の時間を節約し生活の質を向上させようという試みです。
このコンセプトはパリ市のアンヌ・イダルゴ市長が2020年の市長選で掲げて注目され、いまや世界中の都市計画で持続可能な都市戦略として人気が高まっています。本記事では、パリ、ミラノ、ポートランド、メルボルン、ブエノスアイレス、釜山(プサン)、スース、クリーブランド、スコットランド、イル=ド=フランスなど世界各地の事例から15分都市の最先端を学び、日本独自のまちづくり政策への提言を行います。
環境課題の解決策であり市民生活の質を劇的に高めるこのアプローチを、日本の脱炭素社会の実現や時間の有効活用にどう活かせるか考えてみましょう。
都市が直面する課題と15分都市の必要性
21世紀の都市は、気候変動から社会的孤立まで多面的な課題に直面しています。
従来の自動車中心の都市計画は便利さをもたらした反面、郊外へのスプロール(無秩序な拡大)や長距離通勤を招きました。その結果、交通渋滞による時間ロスや大気汚染、CO₂排出の増大、地域コミュニティの希薄化など深刻な弊害が生じています。実際、世界では大気汚染が原因で毎年約700万人が命を落としているとされ(WHO推計)、車依存を減らすことは喫緊の課題です。また、日本を含め先進国では高齢化が進み、歩いて生活できない郊外環境は移動弱者の孤立や健康悪化にもつながります。
こうした中、「近接性(プロクシミティ)」に着目した15分都市は、都市問題への包括的ソリューションとして脚光を浴びています。
生活圏をコンパクトに再編成し、移動時間そのものを減らすことで、人々に「有用な時間」を取り戻す狙いがあります。通勤・通学や買い物に費やしてきた無駄な時間を削減できれば、その分を家族や趣味、自分磨きに充てることができ、人生の充実度が増すでしょう。さらに移動距離の短縮と交通手段の転換(車から徒歩・自転車・公共交通へ)は、大幅なCO₂削減と空気質改善にも直結します。つまり15分都市は「時間の節約」と「脱炭素」の二兎を同時に追える都市戦略なのです。
パンデミック後の世界も15分都市の必要性を後押ししました。COVID-19のロックダウン下で、多くの人々が自宅近くで生活せざるを得なくなり、身近に店や医療がない不便さを痛感しました。同時に、車が減った街では空気が澄みわたり騒音が消えるという恩恵も経験しました。
この「気づき」から各都市は分散型の都市構造へ関心を強め、密集した都心に人々を集中させるのではなく、「人々の居住地の側へ機能を移す」発想に舵を切り始めたのです。テレワークの普及も追い風です。仕事場が必ずしも都心のオフィスである必要がなくなり、住宅地近くのコワーキングスペースやサテライトオフィスで働けるなら、都心に毎日通勤しなくても済みます。
実際パリでは、在宅勤務の増加に伴い週末だけ校庭を開放して近隣住民の憩いの場に活用するなど、新しい暮らしのリズムが生まれています。15分都市はこうした「新しい日常」を前提に、持続可能でレジリエントな都市へのリデザインを提案しているのです。
世界に広がる15分都市ムーブメント
世界各地の都市がそれぞれの創意工夫で「15分都市」の実現に乗り出しています。その背景には共通して、「人間中心の都市づくり」へのパラダイムシフトがあります。以下では欧米からアジアまで、先進事例を概観しましょう。
パリ(Paris): 人々がパリ市中心部の歩行者天国を自転車で行き交う様子。アンヌ・イダルゴ市長の政策により、自家用車から人へと道路空間の優先順位が塗り替えられた。(出典: Wikimedia Commons)
パリ:15分都市の青写真
– パリは15分都市の象徴的な先駆者です。2016年に概念を提唱したフランス・ソルボンヌ大学のカルロス・モレノ教授がイダルゴ市長のブレーンとなり、2020年の市長選で「15分都市」が公約として掲げられました。再選後、パリ市は大胆な改革に着手します。その一つが駐車スペースの大幅削減です。パリでは道路占有面積の約半分が駐車場に費やされていたにもかかわらず、市内の移動の13%しか自動車に依存していないという指摘があり、市当局は路上駐車14万台分のうち約7万台分を撤去する計画を打ち出しました。空いたスペースは植樹や遊び場、自転車レーンへ転用され、市民に開放されています。
実際パリでは「全ての橋と通りに自転車道を敷設する」という野心的目標のもと、かつて車で溢れていた大通りが次々と自転車と歩行者の空間に変貌しています。また学校の校庭を週末に近隣住民の公園として開放したり、使われていないオフィスビルを住居や複合施設に改造する試みも進行中です。パリは古い都市構造を活かしつつ、「徒歩と自転車が主役」の都市へと生まれ変わろうとしています。その成果は周辺地域にも波及し、イル=ド=フランス(パリ首都圏地域)も20分圏都市構想を掲げて公共交通ネットワークと地域拠点の強化に乗り出しました。
ミラノ:コロナ禍からの再生
– イタリアのミラノもまた、15分都市的アプローチで注目される都市です。新型コロナで北イタリアが打撃を受けた直後の2020年4月、ミラノ市は「ストラーデ・アペルテ(Strade Aperte、オープンストリート)」計画を発表しました。これは35kmにわたる自転車レーン新設や市街地の制限速度30km/hゾーン拡大など、街全体を歩行者・自転車中心に造り替える内容です。ジュゼッペ・サーラ市長(当時)は、C40都市気候リーダーシップグループの議長も務め、「グリーンかつ公正な復興」を掲げて都市構造を見直す契機にすると宣言しました。郊外に大型モールを建てるのでなく、生活に必要な施設を身近な「多極分散型」で配置し直す戦略です。現在ミラノでは公共空間の再編や一極集中だった都心機能の分散が進み、居住者が近隣で暮らしを完結できるよう都市計画がアップデートされています。
メルボルン:20分近隣区プラン
– オーストラリア・メルボルンは15分都市に先んじて「20分ネイバーフッド」政策を推進してきました。ビクトリア州政府の都市戦略「プラン・メルボルン2017-2050」で打ち出されたもので、徒歩20分圏内で日常の用事が済むよう郊外のハブ拠点を整備するという内容です。具体的には各地域に小売店や医療、公共施設を計画的に誘致し、歩行者・自転車ネットワークで結ぶ取り組みが続けられています。メルボルン大学の研究によれば、同市は既に多くの地区で20分近隣区を達成しており、こうした取り組みが都市の持続可能性と居住快適性を高めていると評価されています。
ポートランド:米国のパイオニア
– アメリカ・オレゴン州ポートランドは早くも2000年代から「20分近隣」構想を掲げてきた先駆的都市です。2009年に策定されたポートランド気候行動計画では、2030年までに全住民の90%が20分圏内で日常の用事をこなせるようにするという目標が明示されました。これは全米でも野心的な目標であり、同市の包括プラン「ポートランド・プラン」に組み込まれています。実際ポートランドは、明確な都市成長境界線の設定によるコンパクトシティ政策や、地域ごとの拠点(センター)開発、公共交通の充実など、20分都市に通じる施策を積み重ねてきました。その甲斐あって、自転車通勤率や徒歩通勤率が全米平均を大きく上回り、市街地の多くでスーパーや公園へのアクセスが良好です。ポートランドの成功は、後述する日本の富山市と並び、OECDからも先進事例として評価されました。
クリーブランド:公平な再生への挑戦
– 米オハイオ州クリーブランドは、工業都市からの再生に15分都市ビジョンを掲げています。2022年に初当選したジャスティン・ビブ市長は若干35歳(当時)と若く、都市の分断や不平等を是正するため「15分シティ」を公約に据えました。具体策としては、歴史ある商業通りで空き店舗が目立つ地域に狙いを定め、交通ハブへの投資やゾーニング改革で民間の再開発を誘導する戦略です。例えばクリーブランド市は2023年、市内の駐車場設置規制を大胆に緩和しました。従来は店舗や住宅を新築する際に一定数の駐車場整備が義務付けられていましたが、これを廃止し、代わりに公共交通沿線では交通需要マネジメント(TDM)の実施を開発許可の条件としたのです。開発事業者は駐車場ではなく、歩行者や自転車利用者の利便を高める設備(自転車置き場や歩道整備、公共交通利用補助など)に投資することが求められます。この改正により、駐車場整備コストの負担が減って小規模ビジネスの出店や低価格住宅の開発がしやすくなる効果が期待されています。同時に「人間をクルマより優先する」街づくりへの方向転換を示す象徴的な一手となりました。ビブ市長は「慢性的に空洞化した通りに低炭素交通ネットワークを整備し、人々に移動の自由と選択肢を与える。それがクリーブランドを安全で健康で誰もがアクセスしやすい街に生まれ変わらせる鍵だ」と強調しています。クリーブランドはまたビジョンゼロ(交通死亡事故ゼロ)やグリーンストリート施策とも連携しながら、安全で持続可能な近隣環境の再生を進めています。これら一連の取組は、市内の空き地2,800エーカー超に新たな用途をもたらし、都市の脱炭素と経済活性を両立させる狙いです。
ブエノスアイレス:緑の道と街の再発見 – アルゼンチンの首都ブエノスアイレスでも、15分都市コンセプトを応用したまちづくりが進んでいます。同市では歴史的にル・コルビュジエの都市計画案(1930年代)など近代的高層都市への憧れがありましたが、近年は猛暑や気候変動への対応から「木陰のある緑の街路」づくりに注力しています。中心業務地区(マイクロセントロ)では自動車乗入れ規制と歩行者天国化が進み、路面を遮熱性舗装に変えるなどヒートアイランド対策も兼ねた施策が取られています。街路樹の大規模植栽やポケットパーク整備により、歩いて快適に移動できる範囲を広げ、結果的に近隣で用事が済む環境を整えつつあります。ブエノスアイレス市はまた、都心部の空洞化したオフィスビルを住宅へコンバージョンする計画も打ち出し、コロナで閑散とした都心を居住地として蘇らせる「15分都心」構想にも乗り出しました。歴史的建造物を複合用途に改装し、昼夜を問わず人の往来があるエリアに転換することで、安全性向上と経済活性も図っています。南米ならではの課題(経済格差やインフラ不足)にも直面していますが、都市の持つポテンシャルを引き出す戦略として15分都市の考え方を取り入れている点は注目に値します。
釜山(プサン):テクノロジー×幸せ追求の近接都市
– 韓国第二の都市・釜山は、アジアでいち早く15分都市を公式ビジョンに掲げた都市です。パク・ヒョンジュン釜山市長は選挙公約に「15分都市・釜山」を掲げ、当選後すぐにプロジェクトを始動しました。釜山市の15分都市ビジョンは「ハッピー・プロキシミティ(幸せな近接性)」と銘打たれ、市民が短い移動距離で豊かな生活を送れる都市を目指しています。具体的には市内をいくつかの生活圏に分け、それぞれに教育・医療・文化・自然など必要な資源を行き渡らせる計画です。市指導部は「全ての住民に主要サービスへ15分歩けばアクセスできる公平性」を掲げ、公共空間の質向上や歩行者中心のストリートづくりに予算2,200万ドル規模を投じています。例えば「マウル(村)」単位でのコミュニティセンター整備や、小学校区ごとの子育て施設充実、また幹線道路沿いの歩道拡幅・美装化といった取り組みです。さらに釜山はデジタル先進都市でもあるため、AIやIoTを活用した市民参加型の街づくりも特徴です。市内各所でリビングラボを展開し、住民自らアイデアを試す「都市の実験場」として新しいモビリティ(自動運転シャトル等)やスマート交差点の実証も進めています。テクノロジーは充実していますが、あくまで目指すのは人々が徒歩15分圏で「豊かなつながり」を感じられる都市です。釜山の挑戦は、ハイテクと人間中心主義の融合という点で他都市への示唆に富んでいます。
スース:都市圏全体での近接性向上
– 北アフリカのチュニジアに位置する港町スースも、15分都市思想を取り入れた大胆な都市ビジョンを描いています。スースは人口約70万の広域都市圏を抱えますが、中心市街地への過度の一極集中と郊外コミューターの増加に悩まされてきました。そこでスイス経済局(SECO)の支援のもと策定された「広域スース持続可能都市交通プラン(SUMP)」では、「2030年までにハイパーモビリティからハイパープロキシミティへ転換する」というビジョンが掲げられました。これは自動車移動前提の都市構造を改め、都市圏を複数の自立型ポリセンター(多中心)に再編成するものです。
具体的には、旧来の放射状コア(中心市街地)と周辺郊外という構図を改め、各地区がそれぞれ仕事・買い物・行政サービスを完結できる小さな都心機能を持つよう誘導します。その上で地区間は公共交通と幹線道路で効率的に結び、「中心に行かなくても暮らせる、しかし行きたいときには行ける」ネットワーク型都市圏を目指しています。
このプランでは交通面での2大目標も設定されています。【(1)】平均通勤距離・時間の削減(近接性向上により渋滞と通勤時間を短縮)【(2)】自家用車依存からの転換(徒歩・自転車・バスなどアクティブ&公共交通網を強化)です。その達成のため、歩道や自転車道の大幅整備、安全で快適な歩行空間の確保、BRT(バス高速輸送)導入などハード面の投資と並行して、市民参加型のワークショップや意識啓発も行われています。スースのケースは、発展途上地域においても15分都市の思想が「都市の分散とモビリティ変革による持続可能性向上」という形で応用できることを示す好例です。
その他の都市・地域
– 上記以外にも世界中で15分都市的な取り組みが見られます。スペインのバルセロナは「スーパーブロック」と呼ばれる9ブロック単位の歩行者優先区域を導入し、結果的に15分圏に必要な施設が整う居住区づくりを進めています。英国のロンドンは「15分街区」こそ掲げていませんが、低排出ゾーンの拡大や「ハイストリート」(生活商店街)の活性化策が近接性を高めています。スコットランド政府は国家戦略として20分近隣居住圏(20-Minute Neighbourhoods)を掲げ、すべてのコミュニティで生活必需サービスへ20分以内にアクセスできるインフラ整備を進めています。この政策は気候変動対策および地域の質の向上を目的としており、住宅と学校・商店・医療を一体的に計画することで人々の生活圏をコンパクトに充実させる方針です。
こうした国ぐるみの取り組みは珍しく、他国でも注目されています。またポーランドの小都市プレシェフ(人口約1.7万)は市議会が公式に15分都市モデル採用を決議し、地方都市としては異例の包括プランを進めています。南フランスの某村では「15分村」を目指して移動スーパーやコミュニティ交通で高齢者も徒歩15分圏で生活できるサービス網を整備中です。このように15分都市のムーブメントは、規模や経済力を問わず世界各地に広がりつつあります。
日本への示唆:時間と暮らしを取り戻す都市政策
世界各地の知見から学んだところで、日本に目を転じてみましょう。日本でも、15分都市的な発想は決して無縁ではありません。戦前から戦後にかけて多くの都市で「近隣住区理論」に基づく計画(徒歩圏内に小学校と商店街、公園を配置)がなされ、昭和の住宅地には八百屋や銭湯が歩いて行ける距離に存在していました。ところが高度経済成長期以降、自家用車の普及と郊外開発により、郊外型ショッピングセンターへの依存や長時間通勤が当たり前となっていきました。
業界や行政も、「地方は車社会」「郊外に大規模店を誘致すれば便利になる」といった常識を疑わず、結果として街からは人通りが消え、高齢者は免許返納後に移動難民となり、都心通勤者は毎朝満員電車や渋滞に苦しむという状況を招いています。
この「なんか違うのでは?」というモヤモヤに対し、15分都市の視点は日本のまちづくりを再発想するヒントを与えてくれます。
日本の都市は15分都市になり得るか?
実は日本には、15分都市に近い要素を持つ都市も存在します。その代表格が札幌市です。
2024年の国際研究で、札幌は「15分都市指数」で世界13位とアジアトップにランクインしました。同研究(ソニーCSLローマらの発表)では、都市内のスーパーマーケット・学校・病院・公園・飲食店など9カテゴリーについて徒歩・自転車での平均移動距離を算出し、住民の何%が15分以内にアクセス可能かを評価しました。札幌は人口の約95%が日常サービスに15分以内で到達できる理想的な都市の一つと判明し、日本では他に東京(24位)、大阪(27位)がトップ30入りしました。
札幌は碁盤目状の街路計画と公共交通網(地下鉄・バス)が発達しており、郊外にも生活拠点が分散していることが高スコアの要因と考えられます。東京23区も地域によっては高い徒歩アクセス性を持ちますが、周縁部との格差が大きく平均値を押し下げました。この結果は、日本の大都市でも中心部はかなり15分都市に近いものの、郊外ニュータウンやベッドタウンでは車なしでは暮らしにくいエリアが多いことを示唆しています。
一方、中小都市ではどうでしょうか。地方都市の多くは車社会ですが、逆に言えばコンパクトシティ政策の伸び代があります。
富山市はLRT(次世代型路面電車)整備と都心回帰策で有名ですが、その取り組みは「日本版15分都市」ともいえる方向性でした。富山市は2000年代から公共交通沿線に都市機能を集中させ、高齢者でも移動しやすいコンパクトな街を目指しています。具体策として中心市街地にグランドプラザ(広場)を整備し、その周囲にスーパーや病院を誘致、また郊外の住宅団地からはコミュニティバスで中心部に出やすくする、といったハード・ソフトの両面から近接性向上を図りました。その成果もあり富山市は2008年に国の環境モデル都市に選定、さらにOECDの国際調査でメルボルン、バンクーバー、パリ、ポートランドと並ぶ先進的コンパクトシティ政策都市の一つに認められました。富山市の戦略には再生可能エネルギー導入拡大も含まれ、これは15分都市がエネルギー面でも持続可能性に資する好例です。
日本全体を見ると、戦後に計画された郊外ニュータウン(多摩ニュータウンや千里ニュータウンなど)は学校や公園の近隣配置を理想としていましたが、現在は人口減や高齢化で空洞化し、かつての徒歩圏商店街も姿を消した所が多いです。
これらを再生するには、近隣に人を呼び戻す仕掛けが必要です。例えば空き店舗に行政サービス拠点(市民センターや図書館分館など)を設置したり、医療・介護施設を誘致して「日常の用事が地元で済む街」に変えていくことが考えられます。
また、用途地域の見直しもポイントでしょう。日本の都市計画法では用途地域ごとに建築用途を規制していますが、住宅専用地域に小規模店舗や診療所をもっと認めることで、住宅街の中にちょっとした日用品店やクリニックが存在できるようになります。これはフランス・パリが進めている“住宅街の中に日常サービスを取り戻す”取り組みに通じます(パリでは閑散としたオフィス街を住宅にコンバートし、1階をカフェや診療所にするプロジェクトが進行中)。日本でも規制緩和やインセンティブにより、住宅街の中に子育て支援施設や高齢者サロン、小規模スーパーなどを設ければ、人々が遠出しなくてもコミュニティ内で用が足せる環境が整うでしょう。
さらに、日本ならではの強みとして「駅前」のポテンシャルがあります。多くの日本の都市では鉄道駅が生活の拠点となってきました。駅前商店街や駅ビルは15分都市の核となり得る存在です。重要なのは、駅を中心とした半径1〜2km圏内に必要な機能を充実させることです。駅前再開発というと大型商業施設ばかりに目が行きがちですが、15分都市の視点では保育園・図書館・クリニック・行政窓口といった公共サービスも忘れてはなりません。たとえば札幌市は副都心「大通」の再開発で地下歩行空間を整備し、冬でも快適に歩ける動線で商業・行政・医療施設をつなぎました。こうした工夫で天候に左右されず15分圏内移動ができる環境を作ったことも高評価につながっています。
日本版15分都市への政策提言
以上を踏まえ、日本で15分都市の考え方を取り入れるためのポイントを整理します。
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1. 都市計画の指針に「近接性」を明記する: 国の都市計画ガイドラインや自治体のマスタープランに、15分都市もしくは20分近隣圏の目標を盛り込みましょう。スコットランド政府は気候変動への対応策として20分ネイバーフッド政策を推進し、「歩いて行ける範囲で生活が完結する街づくり」を公式に謳いました。日本でも同様に、都市計画の基本理念として「生活利便施設へのアクセシビリティ向上(徒歩圏充足率○%向上等)」を掲げることで、全国の自治体に方針転換を促すことができます。
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2. パイロット都市・地区の選定: まずはモデルケースとして、15分都市化の潜在力が高い都市・地区を選び、集中的に取り組むのが効果的です。前述のデータで上位だった札幌市は好適でしょう。既に地下鉄網と都心回帰で歩ける街が実現しつつある札幌で、郊外住宅地との結節点(副都心)を強化し、徒歩・自転車で移動できるグリーン回廊を整備する、といった施策を包括的に実施すれば、日本初の本格的15分都市モデルとなるはずです。また地方では富山市や福岡市など、コンパクトシティ政策に積極的な自治体が候補になります。福岡市は人口増加が続く活力ある都市ですが、郊外の車依存も課題です。そこで福岡市内をいくつかの生活圏に分け、各圏で学校・病院・商店が足りない地域を洗い出して集中的に補完する施策が考えられます。具体例として、西区や早良区のニュータウン内に小規模な行政サービス施設や地域商業施設を誘致し、周辺の歩道ネットワークをバリアフリー化するなどです。自治体が主導しつつ地元住民・企業と協働でエリアマネジメントを行えば、持続的に発展する近隣拠点が生まれるでしょう。
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3. 徒歩・自転車インフラの徹底整備: 15分都市に不可欠なのが、歩行者と自転車の安全・快適な移動空間です。日本は歩道や自転車道の整備が欧米に比べ遅れており、まずここにメスを入れる必要があります。幸いにも近年「アクティブ交通推進」として自転車レーン整備やスクランブル交差点の導入が各地で進んでいますが、まだネットワークが途切れ途切れです。都市中心部から半径2km程度を目安に、自転車高速ネットワークや歩行者専用道を放射状・環状に設置し、「歩く人・漕ぐ人が最も優先される道路交通体系」を築きましょう。これは長期的に見れば交通事故の削減(Vision Zero)や健康増進による医療費減にも繋がります。例えば東京都心では自転車シェアが定着しつつありますが、車道走行の不安から歩道を走る自転車も多く見られます。ここに専用レーンや自転車優先信号を整備することは急務です。クリーブランド市が行ったように、スピードテーブル(ハンプ)設置や歩道ボックスの設置で車の速度抑制・歩行者保護を図ることも有効でしょう。
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4. 使われていない資源の活用(リノベーション政策): パリ市の例に倣い、日本も空きビルや遊休不動産を積極活用して近隣サービスを拡充すべきです。少子化で統廃合された小学校跡や空き家となった団地、公営住宅の建て替え用地などは、地域のニーズに合わせて複合施設に転用できます。例えば郊外団地の真ん中にあった小学校が廃校になった場合、そこを地域の医療・介護拠点や子育て支援センター、さらにはコワーキングスペースに改装すれば、住民は遠出せずとも日常のサービスを享受できます。総務省の地域おこし協力隊などを活用し、地方の遊休資産に起業家や医師を呼び込む支援策も考えられます。大事なのは「単機能」を「多機能」に変える発想です。平日日中しか人が来ない公共施設は週末に市民開放イベントを行う、夜はナイトスクールに使う、といった時間割的活用も一案です。欧州では図書館がカフェを併設したり、学校が週末コミュニティセンターになったりする例がありますが、日本でも公共施設の柔軟利用を促す規制緩和やガイドライン整備が望まれます。
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5. コミュニティ交通とラストワンマイル施策: 日本の郊外地域では「あと1~2kmが公共交通で行けない」という壁がしばしばあります。15分都市を推進するには、鉄道駅やバス幹線から自宅までのラストワンマイルを埋める細やかな交通サービスが必要です。具体策としては、予約型乗合タクシー(デマンド交通)やコミュニティバス、自転車シェアリングの拡充が考えられます。特に高齢化が進む地域では、電動カートやシニアカーも活用した高齢者の移動支援ネットワークづくりが重要です。これらソフト面の交通施策とハード整備(歩道・ベンチ・街路灯の設置など)を組み合わせ、歩いて5分圏に誰でもアクセスできるバス停・乗合拠点を確保することが目標です。最近はMaaS(モビリティ・アズ・ア・サービス)として、スマホ一つで最適ルート検索から予約・決済までできる仕組みも登場しています。デジタル技術を駆使して、地方でも都市部でも「ドアツードアで15分」を目指せるよう、交通事業者と行政が協働して取り組むべきでしょう。
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6. データに基づく都市サービスの最適配置: どこにどのサービスが足りないか、エビデンスに基づく計画も不可欠です。前述のソニーCSLの研究チームは全世界1万都市の15分都市度マップを公開し、足りない施設をどこに再配置すればよいかをアルゴリズムで示しました。日本国内でも同様に、GISデータと統計から各都市の徒歩圏アクセス状況を見える化し、課題エリアを洗い出す作業が必要です。経産省や国交省が音頭を取って「15分都市データプラットフォーム」を整備し、市町村が自由に活用できるようにすれば、エリアごとの弱点(医療空白地帯、買い物難民地域など)がひと目で分かります。そこに予算を重点投下し、小規模でも良いので必要なサービスを届ける――これが結果的に全国民の利便性と幸福度を底上げする政策となるでしょう。なお、この際大切なのは単にハードを置くだけでなく、人々の交流を生む場とする視点です。本屋とカフェが一体化したコミュニティ書店、子連れが集まれるキッズパーク、高齢者が自然と顔を合わせるベンチのある広場等、ソフト面のデザイン次第で近隣住民のつながりが蘇ります。孤独やメンタルヘルスの課題にも効果が期待でき、まさに「15分圏の充実」が地域福祉にも繋がるのです。
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7. 誰一人取り残さない包摂性の確保: 15分都市を実現する過程では、社会的包摂と公平性に特に留意する必要があります。往々にして便利なエリアから先に整備が進むと、不動産価格が上がり既存住民が住み続けられなくなる(ジェントリフィケーション)問題が指摘されています。これを防ぐには、公営住宅の確保や住宅家賃補助、コミュニティ土地信託の導入などで低収入層でも中心部に居住できるよう配慮しなくてはなりません。また歩行速度や移動手段の違い(高齢者は若者より遅い、車椅子利用者はバリアフリー経路が必要等)にも配慮し、15分の定義を画一的に適用しない工夫が必要です。上海や北京では子供・大人・高齢者それぞれの歩行速度に合わせてサービス配置を計画した「15分サークル」理論があり、日本も参考にできるでしょう。つまり「誰にとっても15分」を意識したユニバーサルデザインのまちづくりが求められます。デジタルデバイドにも留意が必要です。スマホを使えない高齢者が置き去りにならないよう、アナログな掲示板や対面窓口もしっかり残すといった気配りが、真の包摂的15分都市への鍵となります。
最後に強調したいのは、15分都市は人々の暮らしの質を高めると同時に、脱炭素社会への移行を加速する一石二鳥のアプローチだという点です。都市から車への過度な依存を減らし、歩行・自転車・公共交通へシフトすれば、交通部門のCO₂排出削減は大きく前進します。さらに地域で消費が完結すれば地産地消が進み、サプライチェーンの短縮による排出削減効果も期待できます。人々が近くの店を利用すれば地域経済が循環し、コミュニティも活性化します。
つまり環境・経済・社会の三方良しを実現できるのが15分都市なのです。日本は2050年カーボンニュートラル宣言をしていますが、その達成には技術革新だけでなく生活様式の転換が不可欠です。15分都市は生活様式を無理なくグリーンに変える道筋として、有力な選択肢となるでしょう。
おわりに:「近さ」がもたらす豊かさ
「15分都市 – 時間を節約する解決策」という本のタイトルが示すように、近接性の追求は私たちに時間という贅沢をもたらします。同時に、それは気候危機に立ち向かう都市のレジリエンスを高める道でもあります。遠く離れた場所に頼らずとも日々の営みが完結する街は、災害時にも強く、エネルギー自給やフードマイレージ削減にも貢献します。かつて日本の城下町や門前町は徒歩圏で暮らしが成り立っていました。最先端の技術を取り入れつつも、人間らしいスケールのコミュニティを取り戻すことが、成熟社会の次なるステージではないでしょうか。
幸い、日本には安全で清潔な街、人情味ある商店街、効率的な鉄道網など、15分都市の土台となる要素が揃っています。あとは発想を転換し、政策と暮らしの優先順位を「車中心・効率最優先」から「人中心・時間と幸福最優先」へと切り替えるだけです。
世界の知見を貪欲に取り入れ、そこに日本独自のきめ細やかさやテクノロジーを組み合わせれば、日本版15分都市は必ずや実現できるでしょう。それは決して人々を自宅周辺に「閉じ込める」ものではなく、むしろ自由と選択肢を増やすための都市革命です。1日の大半を移動に費やす生活から卒業し、徒歩や自転車で四季を感じ地域と交流するゆとりを持てる暮らし――そんな豊かな未来像を描きながら、日本のまちづくりをアップデートしていきたいものです。
ファクトチェック・出典一覧
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15分都市の定義: 「徒歩または自転車で15分以内に日常生活に必要不可欠な場所やサービスにアクセスできる都市」という概念は、近年注目される持続可能な都市モデルであり、都市部の交通・汚染・孤立・生活の質といった課題への解決策の一つとされています。この概念はカルロス・モレノ教授が提唱し、パリ市のアンヌ・イダルゴ市長が政策に採用しました。
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自動車中心都市の弊害: 自家用車の普及による都市スプロールと長距離通勤は、交通渋滞による時間と経済損失、排気ガスによる大気汚染やCO₂排出増、大量の土地消費など多くの負の影響をもたらしました。車依存の街は社会経済格差を深刻化させ、持続不可能であると指摘されています。
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パリの大胆な施策: パリ市は15分都市実現に向け、路上駐車場の半分(約7万台分)を撤去し、その空間を樹木や遊び場・自転車道に転用する計画を進めています。パリでは自家用車が占める移動分担率はわずか13%なのに市街地の50%を車に割いているとの問題意識から、生きた都市空間を取り戻す取り組みがなされています。
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ポートランドの目標: 米オレゴン州ポートランドは、2030年までに市民の90%が20分以内に日常の用事を済ませられる20分近隣の実現を公式目標に掲げています。これは2009年の気候行動計画に盛り込まれ、公共交通と歩行圏で完結する街づくりを進める原動力となっています。
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クリーブランドの改革: 米オハイオ州クリーブランド市は15分都市ビジョンの一環で、公共交通沿線での新築・改築時の駐車場設置義務を撤廃し、代わりに交通需要マネジメント(TDM)計画の提出を求める条例を導入しました。これにより駐車場ではなく歩道・自転車設備や公共交通利用促進策への投資が義務付けられ、結果的に移動の選択肢拡大や低炭素化、空きビル活用促進につながるとされています。
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釜山の取り組み: 韓国・釜山市は「15分都市釜山」を掲げ、市内を生活圏ごとの近隣に再編成する計画を進めています。パク市長のビジョンの下、市民全員が徒歩15分圏で主要サービスにアクセスできる公平な街を目指し、約2,200万ドルを投じて歩行空間の改善や公共スペース拡充に取り組んでいます。
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スースのビジョン: チュニジア・スースでは、2030年までに「ハイパーモビリティ(過度な移動依存)からハイパープロキシミティ(超近接)へ移行する」という都市圏戦略が掲げられました。中心部への一極集中型から各地区が自給自足できるポリセントリック(多中心)型への転換を図り、各近隣が生活必需サービスを備える**「近接性のある大都市圏」**を目指しています。
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スコットランドの政策: スコットランド政府は全国的に20分ネイバーフッド(20-Minute Neighbourhood)の推進を決定し、気候変動への対応と人々の健康・福祉向上のために、住民が自宅から20分以内で日常の大半の用事を済ませられるような地域コミュニティの構築を進めています。これは自由な移動を制限するものではなく、歩きやすく生活しやすい街をつくるインフラ政策であると公式に説明されています。
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日本・富山市の実績: 富山市は公共交通重視のコンパクトシティ戦略で国際的に評価され、2012年OECD報告ではパリ、ポートランド、メルボルン等と並び先進事例に挙げられました。富山市の計画は、市中心部と鉄道沿線に都市機能を集約し、車依存を減らすことで高齢者も移動しやすい街を目指すもので、地域産業振興や再生可能エネルギー活用も柱に据えられていました。
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国内都市の潜在力: 国際研究による15分都市ランキングでは、札幌市が世界13位となり日本で最も高く評価されました。札幌は市民の95%以上が15分以内に必要サービスにアクセス可能という結果で、東京23区や大阪市を上回りました。一方、都市内部では中心部と周縁部の格差が指摘され、サービス未充足エリアへのリソース再配置が課題とされています。
以上、引用した情報は信頼できる出典に基づいており、本記事の記述はファクトチェック済みです。今後も最新動向を追い、エビデンスに基づくまちづくり議論を深めていきます。
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