蓄熱・蓄冷技術の全貌とGX新価値創造 – 日本の脱炭素を加速する戦略的ロードマップ

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国際航業株式会社カーボンニュートラル推進部デジタルエネルギーG

樋口 悟(著者情報はこちら

国際航業 カーボンニュートラル推進部デジタルエネルギーG。環境省、トヨタ自働車、東京ガス、パナソニック、オムロン、シャープ、伊藤忠商事、東急不動産、ソフトバンク、村田製作所など大手企業や全国中小工務店、販売施工店など国内700社以上・シェアNo.1のエネルギー診断B2B SaaS・APIサービス「エネがえる」(太陽光・蓄電池・オール電化・EV・V2Hの経済効果シミュレータ)のBizDev管掌。再エネ設備導入効果シミュレーション及び再エネ関連事業の事業戦略・マーケティング・セールス・生成AIに関するエキスパート。AI蓄電池充放電最適制御システムなどデジタル×エネルギー領域の事業開発が主要領域。東京都(日経新聞社)の太陽光普及関連イベント登壇などセミナー・イベント登壇も多数。太陽光・蓄電池・EV/V2H経済効果シミュレーションのエキスパート。Xアカウント:@satoruhiguchi。お仕事・新規事業・提携・取材・登壇のご相談はお気軽に(070-3669-8761 / satoru_higuchi@kk-grp.jp)

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目次

蓄熱・蓄冷技術の全貌とGX新価値創造 – 日本の脱炭素を加速する戦略的ロードマップ

序論:「熱エネルギーのトリレンマ」— なぜ電子だけでなく「熱」が日本のGXの鍵を握るのか

日本のエネルギー転換、すなわちグリーントランスフォーメーション(GX)に向けた議論は、これまで太陽光や風力といった再生可能エネルギーの導入拡大、そしてその電力をいかに効率的に利用するかという「電子(エレクトロン)」の管理に過度に集中してきた。

しかし、この視点には重大な見落としがある。それは、最終エネルギー消費の大部分を占める「熱」の存在である。産業プロセス、冷暖房、給湯といった熱エネルギーの脱炭素化なくして、真のカーボンニュートラルは達成できない

現在、日本は「熱エネルギーのトリレンマ」とも言うべき、3つの相互に関連した課題に直面している。第一に、再生可能エネルギーの導入拡大に伴う出力変動性の管理。第二に、製造業の国際競争力を維持しつつ、高温から低温まで多岐にわたる産業プロセス熱の脱炭素化。そして第三に、住宅・商業ビルにおけるエネルギー効率の抜本的な向上である。これら3つの課題は、一見するとそれぞれ独立しているように見えるが、その根底には共通の解が存在する。それが「蓄熱技術(Thermal Energy Storage: TES)」である。

蓄熱技術は、熱エネルギーを一時的に貯蔵し、必要な時に必要な場所で利用可能にする技術群の総称である。これは単なる省エネ技術ではない。余剰電力を熱として貯蔵することで再生可能エネルギーの出力抑制(カーテイルメント)を回避し、工場の未利用排熱を回収・輸送して新たな熱源として活用し、建物のエネルギー需要を平準化することで電力網全体の安定化に貢献する。

このように、TESは前述のトリレンマを同時に解決しうる、他に類を見ない戦略的技術である 1

本レポートは、この蓄熱技術を日本のGX戦略の基盤技術として再定義し、その科学的原理から2025年現在の最新技術動向、そして具体的なユースケースに至るまでを網羅的に解き明かすものである。

単なる技術解説に留まらず、蓄熱・蓄冷・蓄温技術の組み合わせによって、いかにして新たな経済的価値を創造し、日本の脱炭素を加速させるかという戦略的ロードマップを提示することを目的とする。

本稿を通じて、蓄熱技術がニッチな存在ではなく、エネルギー安全保障と経済競争力を両立させるための、まさに「ありそうでなかった切り口の、地味だが実効性のあるソリューション」であることを明らかにしていく 3

構成は以下の通りである。第1章では、蓄熱技術の根幹をなす「顕熱」「潜熱」「化学蓄熱」の科学的原理と最新動向を定量データと共に詳述する。第2章では、日本のエネルギーシステムが抱える根源的課題、特に再エネの出力抑制問題やエネルギー市場における価値創造に焦点を当て、蓄熱技術の戦略的役割を論じる。第3章では、産業、電力、民生、そしてEVやデータセンターといった新興分野まで、具体的なユースケースごとの価値創造ブループリントを提示する。第4章では、異なる技術を組み合わせることで生まれる相乗効果と、特に中小企業にも導入可能な実践的ソリューションを探る。そして最終章で、技術普及を阻む障壁を特定し、それを乗り越えるための政策・ビジネスモデルを提言し、2030年に向けた実行計画を提示する。


第1章 基盤:蓄熱の原理と2025年の技術的フロンティア

蓄熱技術の戦略的活用を議論する前に、その根幹をなす科学的原理と技術的特性を正確に理解することが不可欠である。蓄熱技術は、熱を貯蔵する物理現象によって、大きく「顕熱蓄熱」「潜熱蓄熱」「化学蓄熱」の3つに分類される。本章では、それぞれの原理、2025年時点での最新技術動向、そして性能とコストに関する定量的データを比較分析し、各技術の長所と短所を明らかにする。

1.1. 顕熱蓄熱(SHS):再創造される伝統的技術

原理

顕熱蓄熱(Sensible Heat Storage: SHS)は、最も古くから利用され、直感的に理解しやすい蓄熱方式である。その原理は、物質の相変化を伴わずに、温度を上昇・下降させることで熱エネルギーを貯蔵・放出するというものだ 1貯蔵される熱量()は、物質の質量()、比熱容量()、そして温度変化()によって決まり、基本的な物理式 で表される 5水や岩、コンクリート、溶融塩といった、安価で入手しやすい材料が蓄熱媒体として広く用いられてきた 1。この方式の最大の利点は、システムの構造が単純で、初期投資コストが比較的低いこと、そして何千回もの充放電サイクルを経ても材料の劣化がほとんどないという高い耐久性にある 5

2025年の技術的到達点

成熟技術と見なされがちな顕熱蓄熱だが、近年、再生可能エネルギーの長期・大規模貯蔵という新たなニーズに応える形で、技術革新が再び活発化している。

特に注目されるのが、砂や岩石といった極めて安価な媒体を用いた高温・長周期蓄熱技術である。米国立再生可能エネルギー研究所(NREL)は、砂を蓄熱媒体として100時間以上のエネルギー貯蔵を目指すプロジェクトを推進しており、その目標とする均等化貯蔵コスト(Levelized Cost of Storage: LCOS)は、揚水発電に匹敵する1kWhあたり0.05ドルという画期的な水準である 6。この技術は、余剰電力で砂を1000°C以上に加熱して蓄熱し、必要時に熱を取り出して発電や産業プロセスに利用するもので、材料の安価さと高温安定性が大きな利点となっている 7

日本国内では、大規模な帯水層蓄熱(Aquifer Thermal Energy Storage: ATES)の実用化が進んでいる。これは、地下水が豊富な帯水層(地下の砂礫層)を巨大な蓄熱槽として利用する技術である。夏には冷房で温められた地下水を、冬には暖房で冷やされた地下水をそれぞれ帯水層に注入・貯蔵し、季節をまたいで熱エネルギーを循環利用する 8三菱重工サーマルシステムズは、このATESを工場空調システムに導入し、二酸化炭素排出量を約50%削減するなどの実績を上げており、中部地方初の社会実装案件も受注するなど、季節間蓄熱の有力な選択肢として存在感を増している 9

限界

顕熱蓄熱の根源的な課題は、エネルギー貯蔵密度が低いことである 5潜熱蓄熱や化学蓄熱と比較して、同じ体積に貯蔵できる熱量が少ないため、大規模なエネルギー貯蔵には広大な設置面積や体積が必要となる。このため、都市部や敷地が限られた工場など、スペースが制約される環境での利用には向いていない

1.2. 潜熱蓄熱(LHS):高密度化革命を担う相変化材料(PCM)

原理

潜熱蓄熱(Latent Heat Storage: LHS)は、相変化材料(Phase Change Material: PCM)と呼ばれる特殊な物質が、固体から液体へ、あるいは液体から固体へと状態変化(相変化)する際に吸収・放出する「潜熱」を利用する技術である 5水が氷になるときに熱を放出するのと同じ原理で、PCMは特定の融点(相変化温度)で大量の熱を蓄えたり、放出したりすることができるこの方式の最大の特徴は、顕熱蓄熱に比べて単位体積・単位質量あたり5倍から14倍という非常に高いエネルギー貯蔵密度を実現できる点にある 12。また、相変化中は温度がほぼ一定に保たれるため、精密な温度管理が求められる用途に適している 15

PCMは、その化学的性質から主に3種類に分類される 13

  1. 有機系PCM: パラフィンワックス脂肪酸などが代表例。化学的に安定しており、腐食性がなく、過冷却(凝固点以下になっても固体にならない現象)が起こりにくいという利点がある。一方で、熱伝導率が低く、可燃性である点が課題とされる。

  2. 無機系PCM: 無機塩水和物などが含まれる。有機系に比べて高密度で不燃性、コストも比較的安い。しかし、相分離(融解・凝固を繰り返すうちに成分が分離し、性能が劣化する現象)や過冷却が起こりやすいという課題がある。

  3. 共晶系PCM: 2種類以上の物質を特定の比率で混合し、単一成分よりも低い融点を持つように設計されたもの。融点を精密に調整できる利点がある。

核心的課題と2025年の解決策

PCMの商業的普及を長年妨げてきた核心的な課題は、その低い熱伝導率(一般的に$0.1 \sim 0.5 W \cdot m^{-1} \cdot K^{-1}$程度)である 13熱が伝わりにくいため、蓄熱・放熱に時間がかかり、システムの応答性が悪くなる。しかし、2025年現在、この課題を克服するための材料技術が飛躍的に進化している。

  • 複合化(コンポジット)技術: PCMマトリックス内に、熱伝導率の高いフィラー(充填材)を分散させることで、内部に熱の通り道(ヒートパス)を形成する手法。膨張黒鉛(Expanded Graphite: EG)や金属発泡体(メタルフォーム)、カーボンナノチューブ(CNT)などが用いられ、PCM全体の熱伝導率を数十倍から百倍以上に向上させることが可能となっている 14

  • カプセル化技術: PCMをマイクロメートルからミリメートル単位の微小なカプセルに封入する技術。これにより、熱交換が行われる表面積が劇的に増大し、熱応答性が向上する。同時に、有機系PCMの課題であった液相時の漏洩を防ぎ、システムの信頼性を高める効果もある 19

  • ナノ粒子添加: PCMにナノメートルサイズの高熱伝導性粒子を添加する「ナノPCM」の研究も進んでいる。これにより、熱伝導率の向上だけでなく、比熱容量の増加など、相乗的な物性改善が期待されている 23

サイクル安定性と劣化

蓄熱システムとして実用化されるには、数千回から数万回に及ぶ充放電サイクルを経ても性能が維持される「サイクル安定性」が不可欠である。特に無機系PCMでは、前述の相分離が深刻な劣化要因となる 24。これに対し、増粘剤の添加や、ポリマーマトリックス内にPCMを固定化する形状安定化技術、さらには3Dプリンティング技術を応用した多孔質セラミックス担体(3Dエアロゲルなど)にPCMを含浸させることで、長期的な安定性を確保する研究が進展している 21。有機系PCMは化学的には安定しているものの、熱サイクルによる微細な構造変化が性能に影響を与える可能性があり、長期信頼性の実証が重要となる 18

日本市場の動向

日本国内においても、多くの化学メーカーがPCMの開発・製造を手掛けている。例えば、株式会社カネカは「PATTHERMO」ブランドで-50℃から+50℃までの幅広い温度帯の製品をラインナップし、医薬品や食品の定温輸送分野で強みを持つ 27

株式会社ヤノ技研は「エネバンク」ブランドで農業用ハウスの省エネ化などに実績がある 29。その他、株式会社ネギシや「エコジュール」ブランドなども、それぞれの得意な温度域や用途で製品を展開しており、日本のPCM市場は多様なニーズに応える体制が整いつつある 30

1.3. 化学蓄熱(TCHS):高密度・長期貯蔵のフロンティア

原理

化学蓄熱(Thermochemical Heat Storage: TCHS)は、可逆的な化学反応を利用してエネルギーを貯蔵する、最も先進的な蓄熱技術である 33。具体的には、熱エネルギーを投入して化学物質を分解・分離させ(吸熱反応・充電)、分離した物質を常温で保管する。熱が必要になった際に、これらの物質を再び反応させることで、発熱反応を利用して蓄えた熱を取り出す(放電)。この方式には、他の2つの技術にはない、2つの革新的な利点がある。第一に、極めて高いエネルギー貯蔵密度。第二に、反応物質を分離して常温で保管するため、熱損失がほぼゼロでの長期(季節間)貯蔵が可能となる点である 34

TCHSで研究されている主要な材料システムは以下の通りである。

  • 無機塩水和物: 臭化ストロンチウム()や塩化カルシウム()などの塩が水蒸気と反応(水和・脱水)する際の反応熱を利用する。米国エネルギー省(DOE)の「Stor4Build」プロジェクトでは、この種の材料を用いてを超えるエネルギー密度と30回以上の安定したサイクル性能を目標に開発が進められている 37

  • 吸着材: ゼオライトやシリカゲルといった多孔質材料が水蒸気を吸着・脱着する際に発生する熱を利用する。特に、日本の産業技術総合研究所(AIST)が開発し、高砂熱学工業株式会社が実用化を進める吸着材「ハスクレイ」は、100℃以下の低温排熱を効率的に回収・利用するために設計されており、大きな注目を集めている 16

実用化への道筋

TCHSは、3つの技術の中で最も技術的成熟度が低く、システムが複雑で材料の安定性確保が難しいこと、そしてコストが高いことが実用化への課題となっている 12。そのため、近年の研究開発は、新材料の探索から、いかに効率的な反応器(リアクター)を設計し、システム全体として経済性を成立させるかという工学的課題へとシフトしている 37。この分野における日本の技術力は高く、2024年には三菱電機が水を主成分とする感温性高分子ゲルを用いて世界最高の蓄熱密度を持つ蓄熱材を開発したと発表しており、低温排熱利用のゲームチェンジャーとなる可能性を秘めている 42

蓄熱技術の比較分析(2025年時点)

これら3つの蓄熱技術の特性を俯瞰的に理解するため、以下の表に主要な性能指標をまとめる。この表は、特定の用途に最適な技術を選定する際の定量的な判断基準を提供することを目的とする。

特性 顕熱蓄熱(SHS) 潜熱蓄熱(LHS/PCM) 化学蓄熱(TCHS)
原理 物質の温度変化(比熱) 物質の相変化(潜熱) 可逆的な化学反応(反応熱)
主要材料 水、岩石、砂、コンクリート、溶融塩 パラフィン、脂肪酸(有機系)、無機塩水和物(無機系) ゼオライト、シリカゲル(吸着)、(化学反応)
エネルギー密度 ()

10 – 50(低) 5

50 – 150(中) 15

150 – 400以上(高) 34

作動温度域 (°C) 広範囲(-50 ~ 1000以上) 特定の融点周辺(-50 ~ 800) 材料による(50 ~ 1000以上)
ラウンドトリップ効率 (%)

90 – 95(熱-熱) 45

75 – 90(熱-熱) 19

70 – 90(熱-熱)、50-70(電力-熱-電力) 38

均等化貯蔵コスト (LCOS) 低( 中( 高($30-100/kWh_{th}$以上)
サイクル寿命・安定性 非常に高い(数万回以上)

高い(数千~1万回) 22

開発中(数百~数千回) 37

技術成熟度 (TRL) 9 (実証済み) 7 – 9 (実用化段階) 4 – 7 (開発・実証段階)
主な長所 低コスト、高信頼性、単純なシステム 高エネルギー密度、等温動作 超高エネルギー密度、長期・無損失貯蔵
主な課題 低エネルギー密度、広い設置面積 低熱伝導率、材料の安定性、コスト システムの複雑性、高コスト、材料劣化

注: LCOS(均等化貯蔵コスト)は米ドル/kWhth(熱)を基準とし、出典43等を参考に概算。実際のコストはシステム規模、運用方法、温度域により大きく変動する。ラウンドトリップ効率は熱から熱への変換を基本とし、TCHSの電力変換を含む場合は別途記載。


第2章 日本のエネルギー中核課題の解決:蓄熱技術の戦略的役割

蓄熱技術の真価は、個々の機器の効率改善に留まらない。日本のエネルギーシステムが直面する構造的かつ根源的な課題、すなわち「再生可能エネルギーの出力抑制」「電力市場の硬直性」「企業の炭素コスト」に対して、直接的かつ効果的な解決策を提供できる点にある。本章では、技術論から一歩進み、蓄熱技術を国家戦略のレベルで捉え直し、その多面的な価値を明らかにする

2.1. 出力抑制(カーテイルメント)の危機:廃棄される再エネを国家資産へ転換する

問題の定義:増大する「機会損失」

日本の再生可能エネルギー導入は着実に進んでいるが、その裏側で深刻化しているのが「出力抑制(カーテイルメント)」の問題である。電力は常に需要と供給を一致させる「同時同量の原則」で運用されており、需要が少ない春や秋の晴れた日中などに太陽光発電の出力が需要を上回ると、送配電事業者は系統の安定を維持するために発電事業者に発電停止を命じる 53。2023年度には、九州電力管内で4.4%、東北で1.3%、関西で2.1%など、全国の多くのエリアで出力抑制が実施され、その量は増大傾向にある 54。これは、クリーンなエネルギーが発電可能であるにもかかわらず、意図的に「廃棄」されている状態であり、国民経済全体にとって巨大な機会損失に他ならない 55

解決策としての蓄熱:巨大な「エネルギーの受け皿」

この問題に対する最も直接的な解決策が、エネルギー貯蔵である。リチウムイオン電池などの蓄電池は、応答速度が速く、短時間の需給調整に優れる。しかし、数時間から数日、あるいは季節をまたぐような長周期のエネルギー貯蔵においては、コストが急激に増大するという課題がある 52

ここで蓄熱技術が決定的な役割を果たす。蓄熱システムは、余剰となる電力を熱エネルギーに変換して貯蔵する

ヒートポンプや電気ヒーターを介して、水、岩石、PCM、あるいは化学物質に熱としてエネルギーを蓄えることで、蓄電池よりもはるかに安価に、メガワット時からギガワット時級の大容量エネルギーを貯蔵する「巨大な受け皿」となることができる 2

このアプローチは、単に出力抑制を回避するだけでなく、新たな価値連鎖を生み出す。再生可能エネルギーの導入がさらに進むと、電力の卸売市場価格が極端に低下し、時にはゼロやマイナスになる時間帯が発生する。これは、発電するよりも停止する方がコストがかかる発電所が存在するためや、固定価格買取制度(FIT)などにより発電が優先されるためである 58

蓄熱システム、特にヒートポンプや電気ヒーターと連動するシステムは、まさにこの「市場価格が安い時間帯」を狙って稼働するように設計できる 59

つまり、蓄熱技術は電力系統が抱える「余剰電力」という負債を、安価に製造された「熱エネルギー」という資産に転換する錬金術なのである。これは、出力抑制という問題を解決するだけでなく、それを収益機会に変えるという、根本的なビジネスモデルの転換を意味する。

廃棄されるはずだったエネルギーが、工場のプロセス熱、地域の暖房、農業用ハウスの加温など、新たな価値を持つ商品として再生されるのだ。

2.2. エネルギー市場における新価値創造:単なる負荷平準化を超えて

従来、蓄熱システムの価値は、夜間の安価な電力を利用して熱を蓄え、昼間の電力ピークを削減する「負荷平準化(ロードシフト)」が中心であった 2。しかし、エネルギー市場が多様化し、再生可能エネルギーが主力となる時代において、蓄熱技術はより高度で多面的な価値を提供する

グリッドサービスへの貢献

電力系統の安定運用には、周波数の維持や需給バランスの確保など、様々な調整機能(アンシラリーサービス)が必要である。蓄電池はその高速応答性から周波数調整市場などで活躍しているが、大規模な蓄熱システムも、より時間スケールの長い調整力として価値を発揮する 60。例えば、電力需給が逼迫する数時間前に発動されるデマンドレスポンス(DR)要請に応じ、蓄熱槽からの熱供給に切り替えることで工場の電力使用を抑制したり、逆に電力が余剰となる時間帯にヒートポンプを稼働させて熱需要を創出したりすることが可能である 63。これらの調整力は、2024年度から本格運用が始まった日本の「容量市場」において取引対象となり、蓄熱システムは新たな収益源を得ることができる

季節間エネルギーアービトラージ

さらに、ATESや化学蓄熱のような長期貯蔵技術は、「季節間アービトラージ」という究極の価値創造を可能にする。これは、エネルギーが豊富で安価な夏に太陽熱や余剰太陽光発電を熱として地下に大規模貯蔵し、需要が高まりエネルギー価格が高騰する冬にその熱を取り出して利用するという概念である 64。これは、数ヶ月という時間軸でエネルギーの需給ギャップを埋めるものであり、蓄電池では経済的に実現不可能な、まさに蓄熱技術ならではの領域である。これにより、冬場の化石燃料への依存度を劇的に低下させ、エネルギー安全保障の向上にも直結する。

2.3. GXリーグのアドバンテージ:企業の炭素戦略を収益化する具体的ツール

2023年度から本格始動した「GXリーグ」は、日本のカーボンニュートラル実現に向けた産官学のプラットフォームであり、その中核には参加企業による排出量取引制度(GX-ETS)が位置づけられている 69。企業は自主的な削減目標を設定し、その達成度が評価される。この枠組みにおいて、蓄熱技術への投資は、単なる環境貢献活動ではなく、直接的な経済合理性を持つ戦略的アクションとなる。

工場の排熱を回収・蓄熱して再利用するシステムを導入するケースを考えてみよう。この投資は、まず第一に、これまで購入していた化石燃料(蒸気や温水を作るための天然ガスや重油)の使用量を削減するため、エネルギーコストが直接的に低下する 16。これは企業の営業利益を改善する

第二に、化石燃料の削減は、企業のScope1(直接排出)およびScope2(間接排出)のCO2排出量を削減することに直結する。これにより、将来導入される炭素税や排出量取引における企業の炭素コスト負担が軽減される 4

そして第三に、GXリーグの枠組みでは、自主目標を上回る削減を達成した場合、その超過削減分を「クレジット」として市場で売却することが可能になる 69。つまり、蓄熱技術への投資によって生み出されたCO2削減量が、市場で取引可能な金融資産へと変わるのである。

この一連の流れは、蓄熱技術への投資が、「操業コスト削減」と「売却可能な炭素資産創出」という二重の経済的リターンをもたらす金融商品としての側面を持つことを示している。

企業の設備投資判断において、従来の省エネ効果によるコスト削減分だけでなく、この炭素クレジット売却による潜在的収益も加味して投資回収期間(ROI)を計算することで、これまで見送られてきたプロジェクトの採算性が大きく改善する可能性がある。

これは、GXリーグという制度的インフラと蓄熱技術という物理的インフラが結びつくことで生まれる、全く新しい価値創造の形である。


第3章 価値創造の設計図:ユースケース駆動型分析

蓄熱技術のポテンシャルを最大限に引き出すためには、抽象的な議論から、具体的な産業分野や社会システムにおける応用、すなわち「ユースケース」へと落とし込む必要がある。本章では、主要な4つのセクター(産業、電力・系統、民生、新興分野)を取り上げ、それぞれが抱える課題、蓄熱技術による解決策、そしてそこから生まれる新たな価値創造のモデルを「課題→解決策→新価値」のフレームワークで詳細に分析する。

3.1. 産業セクター:排熱の「資源化」

課題:大気中に捨てられる膨大なエネルギー

日本の産業界は、世界有数のエネルギー効率を誇る一方で、依然として膨大な量の熱を「排熱」として大気中に放出している。特に、100℃以下の「低温排熱」は、そのエネルギー品質の低さから再利用が難しく、その多くが未利用のまま廃棄されているのが現状である 38。この排熱は、発生場所と熱需要地が時間的・空間的に一致しない「ミスマッチ」の問題を抱えており、熱をパイプラインで長距離輸送することは経済的に困難であった。

解決策:「オフライン熱輸送」と「Heat-as-a-Service」

この課題を根本から解決するのが、化学蓄熱材を用いた「オフライン熱輸送」という革新的なコンセプトである。

ケーススタディ:ハスクレイ・プロジェクト

その代表例が、NEDOの助成を受け、高砂熱学工業と産総研が中心となって開発した吸着材「ハスクレイ」を用いた蓄熱輸送システムである 16。このシステムのプロセスは以下の通りだ。

  1. 蓄熱(充電): 工場Aで発生する80℃~100℃の排ガスや排温水を、ハスクレイが充填されたコンテナ型蓄熱槽に通す。ハスクレイは水蒸気を脱着し、乾燥することで熱エネルギーを化学ポテンシャルとして蓄える 16

  2. 輸送: 蓄熱槽をトラックに搭載し、熱需要のある施設B(例えば、数キロメートル離れた温水プールや別の工場の乾燥工程)まで輸送する 72

  3. 放熱(放電): 施設Bで蓄熱槽に湿った空気を通すと、ハスクレイが水蒸気を吸着して発熱する。この熱を利用して温水を作ったり、空気を加温・除湿したりする 16

日野自動車羽村工場周辺で行われた実証試験では、工場排熱を約2km離れた市民プールに輸送して給湯・暖房に利用し、90%以上の高い蓄熱効率、50%以上の省エネ効果、そして57%のCO2削減を達成。投資回収期間の観点からも事業性が確認された 16。この成功を受け、TDKの工場などへの商用展開も始まっている 74

ビジネスモデル革新:「Heat-as-a-Service (HaaS)」

この技術は、新たなビジネスモデルの創出を可能にする。それは、エネルギーサービス事業者が蓄熱槽と輸送システムを保有・運営し、排熱を出す工場から安価に熱を「仕入れ」、熱を必要とする需要家に「熱(温水や温風)」をサービスとして販売する「Heat-as-a-Service (HaaS)」モデルである。これにより、個々の工場は高額な初期投資(CAPEX)を負担することなく、排熱を収益源に変え、熱需要家は化石燃料よりも安価でクリーンな熱を利用できるようになる

新価値:熱のコモディティ化

化学蓄熱によるオフライン熱輸送は、これまで特定の場所に固定され、時間と共に失われるしかなかった「排熱」という副産物を、輸送可能で貯蔵可能な「熱という商品(コモディティ)」へと転換する。これにより、工業団地内や地域内で熱を融通し合う新たな「地域熱市場」が形成され、エネルギーの地産地消と資源循環が促進される。これは、産業構造そのものを変革するポテンシャルを秘めている。

3.2. 電力・系統セクター:「カーノーバッテリー」としての蓄熱

課題:高コストな長周期電力貯蔵

再生可能エネルギーの主力電源化には、10時間以上に及ぶ長周期の電力貯蔵技術が不可欠である。しかし、この領域でリチウムイオン電池を用いることは、コストの観点から現実的ではない 52揚水発電は最も安価な長周期貯蔵手段だが、建設可能な地点が極めて限定されるという大きな制約がある。

解決策:ポンプ式熱エネルギー貯蔵(PTES)

この課題に対する地理的制約のない解決策として、「カーノーバッテリー」とも呼ばれるポンプ式熱エネルギー貯蔵(Pumped Thermal Energy Storage: PTES)が注目されている。

原理: PTESは、可逆的なヒートポンプ・ヒートエンジンサイクルを利用して電力を熱として貯蔵する技術である 75

  1. 充電: 余剰電力を使って大規模なヒートポンプを駆動し、高温側の蓄熱槽(溶融塩や砂など)と低温側の蓄熱槽(液体空気や不凍液など)の間に大きな温度差を作り出す

  2. 貯蔵: 作り出された熱(および冷熱)を、断熱されたタンクに貯蔵する。

  3. 放電: 電力が必要になった時、この温度差を利用してヒートエンジン(ガスタービンや蒸気タービンなど)を動かし、発電する。

性能: PTESは、単に電気ヒーターで熱を作るシステム(ラウンドトリップ効率約40%)とは異なり、ヒートポンプを用いることで理論的効率が向上する。最新の研究では、60%から70%という高いラウンドトリップ効率が達成可能であると報告されている 46。さらに、集光型太陽熱発電(CSP)と組み合わせることで、効率をさらに高めるハイブリッドシステムの検討も進んでいる 59

新価値:地理的制約からの解放

PTESは、揚水発電に代わる、地理的制約を受けない大規模・長周期の電力貯蔵ソリューションである。 タービンやコンプレッサー、熱交換器といった既存の産業技術・サプライチェーンを活用できるため、スケーラビリティが高く、都市近郊や産業地帯など、電力需要地の近くに建設することが可能である。これにより、送電網への負担を軽減しつつ、電力系統の安定化と再生可能エネルギーの最大限の活用を実現する

3.3. 民生セクター:ZEH/ZEBの進化

課題:エネルギー管理の高度化

政府は、2030年までに新築住宅・建築物の省エネ基準をZEH(ネット・ゼロ・エネルギー・ハウス)・ZEB(ネット・ゼロ・エネルギー・ビル)水準に引き上げる目標を掲げている 78。しかし、ZEHの実現は、単にエネルギー消費量を削減するだけでなく、太陽光発電などの自家発電と電力系統との間で、エネルギーの流れをいかに賢く管理するかが重要となる。現状では、特に建売住宅におけるZEH普及率は低い水準に留まっている 82

解決策:建材・設備への蓄熱技術の統合

蓄熱技術は、ZEH/ZEBのエネルギー管理を高度化する上で中心的な役割を担う。

  • パッシブ統合: PCMを石膏ボードやコンクリートに練り込んだ「蓄熱建材」は、日中の日射熱や室内の生活排熱を吸収し、夜間にゆっくりと放出することで、室温の変動を穏やかにする 19。これにより、冷暖房のピーク負荷を20~50%削減し、快適性を向上させながらエネルギー消費を抑制する 15。これは、建物の躯体そのものが蓄熱体として機能するパッシブな解決策である。

  • アクティブ統合: 「エコキュート」に代表されるヒートポンプ給湯機は、安価な夜間電力や太陽光発電の余剰電力を使ってお湯を沸かし、貯湯タンクに蓄える、最も普及した家庭用蓄熱システムである 85。今後は、電力市場の価格や系統の需給状況に応じて、AIが自動で沸き上げ時間を最適化するような、より高度な制御が求められる 63

  • 地域統合(地域冷暖房): 都市部においては、個々の建物でエネルギーを管理するのではなく、地域全体で熱を融通し合う「地域冷暖房(District Heating and Cooling: DHC)」が有効である。データセンターや清掃工場、地下鉄などから発生する排熱を大規模な蓄熱槽(ATESやピット蓄熱など)に季節間貯蔵し、冬の暖房需要に供給する。これにより、都市全体のエネルギー効率が劇的に向上する 65

新価値:建物を「熱のハブ」へ

ZEH/ZEBの文脈において、蓄熱技術は、単なる給湯器や建材といった「部品」から、建物全体のエネルギーフローを司る「熱のハブ(中核)」へと進化する。 太陽光パネル(創エネ)、電力系統(買電・売電)、そして居住者の快適性(熱需要)という3つの要素を結びつけ、エネルギーの自家消費率を最大化し、系統への負担を最小化するインテリジェントなエネルギー管理を実現する。

3.4. 新興セクター:熱マネジメント革命

電気自動車(EV)バッテリー

EVの性能、安全性、寿命を左右する最大の要因は、バッテリーの熱マネジメントである。急速な充放電時に発生する熱を適切に管理できなければ、バッテリーは劣化し、最悪の場合は熱暴走を引き起こす。PCMは、この課題に対する軽量かつパッシブな解決策として非常に有望である 86バッテリーセルの周囲にPCMを配置することで、急激な温度上昇を潜熱として吸収し、セル間の温度を均一に保つことができる 23。これにより、複雑な液体冷却システムを簡素化、あるいは補完し、EVの信頼性とコスト競争力を向上させる。

データセンター

AIの普及などにより、データセンターの電力消費量は爆発的に増加しており、その大部分はサーバーの冷却に使われているデータセンターから排出される熱は、温度が一定で品質が高いため、非常に価値のある未利用エネルギー源である 91この排熱を蓄熱システムで回収し、吸収式冷凍機を駆動させてデータセンター自身の冷却に再利用したり、近隣の地域冷暖房ネットワークに供給したりすることで、データセンターは単なる電力消費者から、熱と冷熱を供給する「プロシューマー」へと変貌を遂げる 93。これは、データセンターの運用コストを劇的に削減すると同時に、都市の脱炭素化に貢献する、一石二鳥のソリューションである。


第4章 相乗効果:「ありそうでなかった」組み合わせによる実効的ソリューション

蓄熱技術の真の革新性は、単一の技術を深化させることだけでなく、異なる技術やシステムをインテリジェントに組み合わせることで生まれる「相乗効果」にある。本章では、顕熱と潜熱、季節蓄熱とヒートポンプといったハイブリッドなアプローチを探求し、特に日本の産業構造を支える中小企業にとっても導入可能な、現実的かつ効果的なソリューションを提示する。

4.1. ハイブリッド蓄熱システム:両者の長所を活かす

コンセプト:顕熱と潜熱の融合

ハイブリッド蓄熱システムは、異なる種類の蓄熱技術を一つのシステム内に統合し、それぞれの長所を組み合わせるアプローチである 94。最も一般的で実用的な例が、「顕熱-潜熱ハイブリッドシステム」である。

具体的には、従来から広く使われている温水(または冷水)貯蔵タンク(顕熱蓄熱)の内部に、マクロカプセル化されたPCMモジュール(潜熱蓄熱)を多数配置する 96。この構成には、以下のような利点がある。

  • エネルギー密度の向上: 水だけの場合と比較して、同じタンク容積で貯蔵できる熱量が最大で30%程度増加する 96。これにより、設置スペースを削減したり、既存のタンクの蓄熱容量を増強したりすることが可能になる。

  • 温度安定性の向上: 放熱時、まず水の顕熱が使われて温度が徐々に低下するが、PCMの相変化温度に達すると、PCMが潜熱を放出し始めるため、出口温度が一定に保たれやすくなる 97。これにより、安定した温度の熱を長時間供給できる。

  • 導入の容易さ: 全く新しい潜熱蓄熱システムを導入するのに比べ、既存の顕熱蓄熱システム(温水タンク)を改造する形で導入できるため、初期投資を抑えやすい。

応用分野

このハイブリッドアプローチは、特に設置スペースが限られている都市部のビル空調や、既存設備の能力増強(レトロフィット)が求められる工場のプロセス加熱・冷却などに最適である。高価なPCMの使用量を最小限に抑えつつ、顕熱蓄熱の低コスト性と潜熱蓄熱の高密度性という「良いとこ取り」を実現する、費用対効果の高いソリューションと言える 98

4.2. 季節蓄熱とヒートポンプ:究極の脱炭素デュオ

相乗効果:熱の「好循環」を生み出す

大規模な脱炭素化を目指す上で、最も強力な組み合わせの一つが「季節間蓄熱」と「産業用ヒートポンプ」である。

ATES(帯水層蓄熱)のような大規模・低温度差の季節蓄熱システムは、夏場の余剰熱(例えば、冷房排熱や太陽熱)を地中に蓄え、冬場に比較的安定した温度(例えば15℃)の熱源水として供給することができる 8。一方、産業用ヒートポンプは、熱源の温度が高いほど、より少ない電力で効率的に高温の熱を汲み上げることができる(成績係数COPが向上する) 99

この二つを組み合わせることで、驚異的な相乗効果が生まれる。

  1. 冬(暖房): 外気温が氷点下であっても、ATESから供給される15℃の安定した熱源水をヒートポンプが利用する。これにより、外気を熱源とする一般的な空気熱源ヒートポンプに比べて、はるかに高いCOPで効率的に暖房用の温水を製造できる。

  2. 夏(冷房): 冬の間にヒートポンプによって冷やされた地下水をATESに貯蔵しておく。夏にはこの冷たい地下水を直接、あるいはヒートポンプの冷熱源として利用し、非常に効率的な冷房を実現する。

このシステムは、年間を通じて熱エネルギーを巧みに循環させる「熱の好循環(Virtuous Cycle)」を形成する。夏場の捨てられる熱が冬場の貴重な熱源となり、冬場の冷熱が夏場の冷房資源となる。これにより、暖房と冷房に必要な一次エネルギー消費量を劇的に削減し、年間を通じたエネルギーコストとCO2排出量を大幅に抑制することができる

これは、地域冷暖房や大規模工場など、熱需要の大きい施設において、化石燃料からの完全な脱却を可能にする究極のソリューションの一つである。

4.3. 中小企業向け実践的ソリューション:脱炭素への段階的ロードマップ

日本の産業競争力の根幹を支える中小企業にとって、脱炭素化は喫緊の課題である。しかし、高い初期投資、専門人材の不足、情報の非対称性といった多くの障壁が存在する 101。大規模な最新技術の導入は困難であっても、段階的かつ現実的なアプローチを取ることで、着実に脱炭素化を進めることが可能である。以下に、典型的な中小製造業の工場を想定した、蓄熱技術活用の段階的ロードマップを提案する。

ステップ1:現状把握と「熱の見える化」

全ての省エネ活動の第一歩は、現状把握である。中小企業庁などが提供する「省エネルギー診断」事業を積極的に活用し、専門家の支援を受けながら自社のエネルギー使用状況、特にどこで、どのくらいの温度の排熱が発生しているかを定量的に把握する 102。これが「熱の見える化」である。

ステップ2:ローリスクな排熱回収(蓄熱なし)

診断結果に基づき、最も手軽で投資回収が早い「ローハンギングフルーツ(低い枝に実る果実)」から着手する。例えば、コンプレッサーやボイラー排ガスから出る比較的高温の排熱を、単純な熱交換器を使ってボイラーの給水予熱や従業員用の給湯に利用する。この段階では蓄熱槽は不要であり、比較的低コストで導入できる。

ステップ3:補助金の活用とヒートポンプ導入

次に、より高度な省エネを目指し、政府の補助金制度を活用する。経済産業省や中小企業庁が実施する「省エネルギー投資促進支援事業費補助金」などは、指定された高効率設備(ヒートポンプなど)の導入費用の3分の1から2分の1を補助する 102。これにより、これまで投資回収が困難だった高効率ヒートポンプを導入し、低温排熱をより高温のプロセス熱にアップグレードすることが可能になる。

ステップ4:時間差を埋める「小規模蓄熱」の導入

排熱の発生時間と熱の需要時間にズレ(ミスマッチ)がある場合、ここで初めて「蓄熱」の導入を検討する。大規模なシステムは不要で、まずは単純な温水貯蔵タンク(顕熱蓄熱)を設置する。これにより、日中に発生した排熱を貯めておき、夜間の洗浄工程で利用するなど、熱の有効活用範囲が広がる。これは、低コスト・低リスクで蓄熱技術のメリットを享受できる、現実的なエントリーポイントである。

ステップ5:先進的ビジネスモデルの活用

さらなるステップアップとして、自社で設備を保有するのではなく、HaaS(Heat-as-a-Service)のようなサービス利用を検討する。高砂熱学工業などのエネルギーサービス事業者と提携し、自社の排熱を事業者に提供する代わりに、必要な時に熱の供給を受ける、あるいは排熱を売却する。これにより、中小企業は設備投資や維持管理の負担から解放され、本業に集中しながら脱炭素化を進めることができる 103。

この段階的アプローチは、中小企業が身の丈に合った投資から始め、成功体験を積み重ねながら、徐々に高度なエネルギーマネジメントへと移行することを可能にする、現実的かつ持続可能な脱炭素化戦略である。


第5章 障壁の克服:実装に向けたロードマップ

蓄熱技術が持つ immense なポテンシャルにもかかわらず、その社会実装は未だ限定的である。普及を阻む障壁は、経済的、技術的、そして制度的な側面に根ざしている。本章では、これらの障壁を具体的に特定し、それらを克服するための政策提言とビジネスモデルの方向性を示すことで、日本における蓄熱技術の本格的な普及に向けたロードマップを描く

5.1. 経済的ハードル:投資リスクの低減

課題:高い初期投資

蓄熱技術、特に高度な潜熱蓄熱(LHS)や化学蓄熱(TCHS)システムは、依然として高い初期投資(CAPEX)が最大の障壁となっている 43エネルギーコスト削減による投資回収期間が長くなるため、多くの企業、特に中小企業にとっては導入の意思決定が困難である。

解決策:

  • 政策による直接支援: 政府は、既存の省エネ設備投資補助金制度をさらに拡充・簡素化し、特に蓄熱技術を重点支援対象として位置づけるべきである 102。また、電力市場において、蓄熱システムが提供する調整力やデマンドレスポンスといった「熱の柔軟性(Thermal Flexibility)」を正当に評価し、インセンティブを付与する新たな市場メカニズムの設計が求められる。

  • ビジネスモデルによるCAPEXのOPEX化: 設備を所有するのではなく、サービスとして利用するビジネスモデルの普及が鍵となる。前述のHaaS(Heat-as-a-Service)や、フィンランドの食品メーカーHerkkumaa社が導入したEaaS(Energy-as-a-Service)モデルのように、第三者が設備を所有・運用し、ユーザーは月額料金で熱(蒸気など)を利用する形態は、ユーザーの初期投資負担をゼロにする 103。これにより、企業の意思決定はCAPEXからOPEXへとシフトし、導入のハードルが劇的に下がる

  • 国家目標としてのコスト削減: 米国エネルギー省が、長周期貯蔵技術のコストを2030年までに90%削減するという野心的な目標「Long Duration Storage Shot」を掲げ、1kWhあたり0.05ドル以下のLCOSを目指しているように、日本も「蓄熱技術ショット」とでも言うべき国家的な研究開発目標を設定し、産官学を挙げて低コスト化に取り組むべきである 47

5.2. 技術的フロンティア:信頼性と性能の確保

課題:長期信頼性とシステム統合の複雑さ

特に新しい材料を用いるLHSやTCHSにおいては、数千回、数万回のサイクルを経た後の材料劣化や性能低下といった長期信頼性に関するデータが依然として不足している 21。また、蓄熱槽、熱交換器、ヒートポンプ、制御システムなどを組み合わせたシステム全体の最適設計と運用は複雑であり、高度なエンジニアリング能力が要求される。

解決策:

  • 研究開発の重点化: 材料そのものの性能向上に加え、材料劣化メカニズムの解明と寿命予測モデルの開発、高効率な熱交換器の設計、そしてAIや機械学習を活用した運転最適化制御システムの開発に研究開発の重点を置くべきである 104

  • 標準化と認証制度の確立: 蓄熱システムの性能を客観的に評価するための標準的な試験方法や性能表示ガイドラインを業界主導で策定することが急務である。これにより、ユーザーは安心して製品を選定でき、メーカー間の健全な競争が促進される。性能認証制度の導入は、技術への信頼性を高め、市場の透明性を確保する上で不可欠である。

5.3. 政策エコシステム:熱エネルギーの正しい価値評価

課題:電力中心の制度設計

日本のエネルギー政策や市場制度は、歴史的に「電力(kWh)」を基本単位として設計されてきた。そのため、蓄熱が提供する「熱(GJ)」の価値や、需要を柔軟に変動させる「調整力(kW)」の価値が、市場で十分に評価されていない

解決策:

  • 地域熱市場の創設: オフライン熱輸送技術などを活用し、工業団地内や特定地域内で熱を売買できる「地域熱市場」の制度設計を検討する。これにより、排熱が価値を持つ資産として認識され、企業間の熱融通が活発化する。

  • 建築基準・都市計画との連携: ZEH/ZEBロードマップと連携し、新築建築物におけるパッシブ・アクティブ両面での蓄熱技術の導入を建築基準法などで段階的に義務化、あるいは強く推奨していくべきである 79。また、都市計画レベルで、データセンターや下水処理場などの大規模排熱源と、住宅地や商業地の熱需要をマッピングし、地域冷暖房ネットワークの敷設を戦略的に推進することが重要である。

  • 官民連携による実証の加速: NEDOが主導したハスクレイ・プロジェクトのように、材料開発メーカー、システムインテグレーター、そして最終需要家(エンドユーザー)が一体となった大規模な実証プロジェクトを継続的に実施することが、技術の社会実装を加速させる上で最も効果的である 16。これにより、技術的リスクを分散し、実用化に向けた課題を早期に洗い出すことができる。


結論:2030年に向けた行動計画 — 熱の好機を掴む

本レポートは、蓄熱技術が単なる省エネツールではなく、日本のGXを根底から支える戦略的基盤技術であることを、科学的根拠と具体的なユースケースをもって明らかにしてきた。

再生可能エネルギーの出力抑制という「負債」を収益機会に変え、捨てられていた産業排熱を輸送可能な「商品」へと転換し、ゼロエネルギービルディングのエネルギー管理を司る「心臓部」となる蓄熱技術は、これまで分断されていた電力、熱、そして産業プロセスを繋ぎ、エネルギーシステム全体の効率と強靭性を飛躍的に向上させるポテンシャルを秘めている。

この巨大な好機を掴むためには、もはや座して待つ時間はない。産業界、政策立案者、そして技術開発者が一体となり、具体的な行動を起こす時である。

行動提言

産業界のリーダーへ:

  1. 「熱の棚卸し」の即時実施: 自社の工場や事業所において、どこで、どのくらいの質の熱が、どれだけ捨てられているのかを把握する「サーマル・オーディット(熱の監査)」を直ちに開始すべきである。

  2. 補助金を活用したパイロット導入: まずはリスクの低い排熱回収プロジェクトから着手し、政府の補助金制度を最大限に活用して成功事例を構築する。

  3. HaaSモデルの検討: 自社での大規模投資が困難な場合は、エネルギーサービス事業者と連携し、HaaS(Heat-as-a-Service)モデルの活用を積極的に検討し、CAPEXの壁を乗り越える

政策立案者へ:

  1. 「蓄熱ショット」目標の設定: 米国の「Long Duration Storage Shot」に倣い、2030年、2040年を見据えた野心的な蓄熱技術のコスト削減目標(LCOS目標)を国家戦略として掲げ、研究開発投資を集中させる。

  2. 市場メカニズムの改革: 容量市場や需給調整市場において、蓄熱システムが提供する「熱の柔軟性」を明確に評価し、収益化できる仕組みを設計する。

  3. ZEH/ZEBロードマップへの統合: 2030年に向けたZEH/ZEB基準の義務化ロードマップに、蓄熱設備の導入要件を明確に組み込み、建築市場からの需要を創出する。

技術開発者へ:

  1. システム統合と低コスト化への注力: 材料単体の高性能化だけでなく、熱交換器や制御システムを含めたシステム全体の最適化と、製造・施工コストの抜本的な削減に注力する。

  2. 標準化・モジュール化の推進: 設計・施工を簡素化し、品質を安定させるための標準化されたモジュール型システムを開発し、普及を加速させる。

  3. エンドユーザーとの共創: 開発の初期段階からエンドユーザーを巻き込み、実際の運用データに基づいた説得力のあるケーススタディを構築し、技術の価値を「見える化」する。

日本のGXは、電力の脱炭素化という片翼だけでは高く飛ぶことはできない。「熱」の脱炭素化というもう一方の翼を手に入れて初めて、持続可能で強靭なエネルギー社会という未来へ力強く飛翔することができる。蓄熱技術は、そのための最も確実で、最も力強い推進力となるだろう。


付録

FAQ(よくある質問)

Q1: 蓄熱と蓄電池の違いは何ですか?

A1: 蓄電池は電気エネルギーを化学エネルギーとして直接貯蔵し、再び電気として取り出します。応答速度が速く、電力品質の維持(周波数調整など)に優れますが、長時間のエネルギー貯蔵(kWhあたりのコスト)は高価になる傾向があります。一方、蓄熱は電気や熱を熱エネルギーとして貯蔵します。電気を熱に変えるため変換ロスがありますが、水や岩、PCMといった安価な材料を使えるため、特に長周期・大容量のエネルギー貯蔵(MWh〜GWh)において、蓄電池よりもはるかに低いコストで実現できる可能性があります 57。

Q2: 自分の工場やビルに最適な蓄熱技術を選ぶにはどうすればよいですか?

A2: 最適な技術は、必要な「温度」、蓄熱の「期間」、そして「設置スペース」によって決まります。

  • 低温(100℃以下)で短周期(日またぎ): 温水タンク(顕熱)が最もシンプルで低コストです。スペースが限られる場合はPCM(潜熱)が有効です。

  • 高温(100℃以上)で短周期: 溶融塩岩石(顕熱)、あるいは高温用PCMが適しています。

  • 長周期(季節またぎ): ATES(顕熱)化学蓄熱が唯一の選択肢となります。

    まずは専門家による省エネルギー診断を受け、熱の需要と供給の特性を把握することが第一歩です 102。

Q3: 2025年時点での蓄熱の本当のコスト(LCOS)はどれくらいですか?

A3: LCOSは技術と規模に大きく依存します。一般的な熱利用(熱→熱)の場合、顕熱蓄熱は2−10/kWhth​、潜熱蓄熱は10−50/kWhth​、化学蓄熱は$30-100/kWh_{th}$以上が目安となります。電力貯蔵(電力→熱→電力)の場合、NRELは将来的な目標として$0.05/kWh_{e}$(5セント)を掲げていますが、現状ではまだ高価です 6。重要なのは、このコストは技術革新と量産効果によって急速に低下する可能性があるということです 52。

Q4: 日本の中小企業が蓄熱を導入する際に利用できる具体的な補助金は何ですか?

A4: 経済産業省(中小企業庁)が所管する「省エネルギー投資促進・需要構造転換支援事業費補助金」や「省エネルギー投資促進支援事業費補助金」が代表的です。これらの制度では、審査を経て、省エネ効果の高い指定設備(ヒートポンプや高効率ボイラーなど、蓄熱システムも関連設備として対象になりうる)の導入費用の3分の1から2分の1(上限額あり)が補助されます。申請には省エネ診断の受診が推奨される場合が多く、まずは公的機関の支援窓口に相談することが重要です 102。

Q5: 蓄熱は本当に再エネの出力抑制問題を解決できますか?

A5: はい、解決に大きく貢献できます。九州電力管内のように出力抑制が深刻化している地域でも、抑制される電力量は年間発電量の数%です 54。この余剰電力を、地域内の給湯や暖房、産業プロセス用の熱需要に蓄熱技術(特にヒートポンプと組み合わせる)で転換できれば、抑制量の大部分を吸収できると期待されています。蓄熱は、電力網に巨大な「需要の柔軟性」をもたらすことで、再エネの導入量をさらに増やすことを可能にします 2。

Q6: 「季節間蓄熱」は日本でも実用的ですか?

A6: はい、実用的です。特にATES(帯水層蓄熱)は、関東平野など地下水が豊富な平野部で高いポテンシャルを持ちます。三菱重工サーマルシステムズなどが既に国内で複数の商業施設や工場に導入実績を持っています 8。初期投資は大きいものの、年間を通じた冷暖房エネルギーコストを劇的に削減できるため、地域冷暖房や大規模な事業所では十分に経済合理性が見込めます化学蓄熱による季節間貯蔵はまだ研究開発段階ですが、将来的にはよりコンパクトなシステムとして期待されています 64。

ファクトチェック・サマリー

本レポートの主要な主張とデータは、以下の公的機関の報告書、学術論文、および信頼性の高い業界レポートに基づいています。

  • 主張: 潜熱蓄熱は顕熱蓄熱に比べ、単位体積あたり5~14倍高いエネルギー密度を持つ。

    • 根拠: 学術レビュー論文にて、LHS(潜熱)はSHS(顕熱)に比べ5~14倍の熱を貯蔵できると報告されている 14

  • 主張: 米国エネルギー省(DOE)は、蓄熱技術の導入コストを$40/kWh_{th}$以下、LCOSを5セント/kWh以下にすることを目指している。

    • 根拠: DOEの公式資料に、この目標値が明記されている 47

  • 主張: NEDOのハスクレイ化学蓄熱プロジェクトは、50%以上の省エネ効果と57%のCO2削減を実証した。

    • 根拠: NEDOのプロジェクト成果報告にて、これらの数値が公表されている 16

  • 主張: PCMを空調システムに統合することで、エネルギー消費を10~30%、ピーク負荷を20~50%削減可能である。

    • 根拠: 欧州におけるHVACシステムへのPCM応用に関するレビュー論文で、ケーススタディからこれらの削減率が示されている 15

  • 主張: 日本の2023年度の再エネ出力抑制率は全国平均で1.5%であり、九州エリアでは4.4%に達した。

    • 根拠: 環境エネルギー政策研究所(ISEP)によるエネルギー白書の分析レポートに記載されている 54

  • 主張: ポンプ式熱エネルギー貯蔵(PTES)は60%を超えるラウンドトリップ効率を達成可能である。

    • 根拠: NRELなどの研究機関による技術経済性分析で、62%~65%の効率がシミュレーションされている 46

  • 主張: 日本政府は、2030年までに新築建築物の省エネ基準をZEHレベルに引き上げることを目指している。

    • 根拠: 国土交通省の審議会資料等で、この方針が示されている 80

  • 主張: 中小企業向けの省エネ補助金は、指定設備の導入費用の最大2分の1をカバーする場合がある。

    • 根拠: 中小企業庁の支援制度に関する公式資料に記載されている 102

著者情報

国際航業株式会社カーボンニュートラル推進部デジタルエネルギーG

樋口 悟(著者情報はこちら

国際航業 カーボンニュートラル推進部デジタルエネルギーG。環境省、トヨタ自働車、東京ガス、パナソニック、オムロン、シャープ、伊藤忠商事、東急不動産、ソフトバンク、村田製作所など大手企業や全国中小工務店、販売施工店など国内700社以上・シェアNo.1のエネルギー診断B2B SaaS・APIサービス「エネがえる」(太陽光・蓄電池・オール電化・EV・V2Hの経済効果シミュレータ)のBizDev管掌。再エネ設備導入効果シミュレーション及び再エネ関連事業の事業戦略・マーケティング・セールス・生成AIに関するエキスパート。AI蓄電池充放電最適制御システムなどデジタル×エネルギー領域の事業開発が主要領域。東京都(日経新聞社)の太陽光普及関連イベント登壇などセミナー・イベント登壇も多数。太陽光・蓄電池・EV/V2H経済効果シミュレーションのエキスパート。Xアカウント:@satoruhiguchi。お仕事・新規事業・提携・取材・登壇のご相談はお気軽に(070-3669-8761 / satoru_higuchi@kk-grp.jp)

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