IR情報で読み解く、世界のGXを牽引するユニークな脱炭素戦略TOP10

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国際航業株式会社カーボンニュートラル推進部デジタルエネルギーG

樋口 悟(著者情報はこちら

国際航業 カーボンニュートラル推進部デジタルエネルギーG。環境省、トヨタ自働車、東京ガス、パナソニック、オムロン、シャープ、伊藤忠商事、東急不動産、ソフトバンク、村田製作所など大手企業や全国中小工務店、販売施工店など国内700社以上・シェアNo.1のエネルギー診断B2B SaaS・APIサービス「エネがえる」(太陽光・蓄電池・オール電化・EV・V2Hの経済効果シミュレータ)のBizDev管掌。再エネ設備導入効果シミュレーション及び再エネ関連事業の事業戦略・マーケティング・セールス・生成AIに関するエキスパート。AI蓄電池充放電最適制御システムなどデジタル×エネルギー領域の事業開発が主要領域。東京都(日経新聞社)の太陽光普及関連イベント登壇などセミナー・イベント登壇も多数。太陽光・蓄電池・EV/V2H経済効果シミュレーションのエキスパート。Xアカウント:@satoruhiguchi。お仕事・新規事業・提携・取材・登壇のご相談はお気軽に(070-3669-8761 / satoru_higuchi@kk-grp.jp)

むずかしいエネルギー診断をカンタンにエネがえる
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目次

IR情報で読み解く、世界のGXを牽引するユニークな脱炭素戦略TOP10

なぜ今、海外のGX戦略に学ぶべきなのか?日本の課題と世界の潮流

気候変動対策が世界の最重要アジェンダとなる中、日本政府は「GX(グリーン・トランスフォーメーション)」を国家戦略の中核に据えている。経済産業省が定義するように、GXは単なる環境保護活動ではない。それは、産業革命以来の化石燃料中心の経済・社会、産業構造をクリーンエネルギー中心へと移行させ、エネルギーの安定供給、経済成長、そして排出削減の三つを同時に実現するための、経済社会システム全体の変革を指す 1

この壮大なビジョンを実現するため、日本は「GX推進法」を成立させ、今後10年間で150兆円を超える官民投資を喚起する目標を掲げた 3。20兆円規模の「GX経済移行債」の発行や、企業の先行投資を促す「成長志向型カーボンプライシング」の導入など、政策の枠組みは着実に整備されつつある 1

しかし、この巨額の資金を実効性のある投資へと繋げるには、深刻な構造的課題が立ちはだかる。日本のGXが直面する本質的な課題は、資金や意欲の欠如ではなく、「実行経路の隘路」にある。具体的には、以下の三つの壁が日本の進路を阻んでいる。

  1. 系統制約(Grid Constraints): 再生可能エネルギーの導入を加速しようにも、既存の送電網の容量が限界に達しており、発電した電力を送れずに「出力制御」せざるを得ない状況が頻発している 5。これは、再エネを主力電源化する上での最大のボトルネックである。

  2. 削減困難産業(Hard-to-Abate Industries): 日本経済の屋台骨である鉄鋼、化学、セメントといった産業は、その製造プロセス自体から大量のCO2を排出するため、脱炭素化には革新的な技術と莫大な投資を要する 1。これらの分野での具体的な成功モデルの確立が急務となっている。

  3. エネルギー安全保障(Energy Security): 化石燃料のほぼ全てを輸入に頼る日本にとって、GXはエネルギー自給率を高め、地政学リスクから経済を守るための安全保障戦略でもある 2。水素やアンモニアといった次世代エネルギーの安定供給網の構築や、関連技術の国内生産基盤の確立は喫緊の課題である。

本稿の目的は、単に「サステナビリティ先進企業」をリストアップすることではない。各社のIR(Investor Relations)情報、年次報告書、サステナビリティレポートといった公式な情報開示を深く読み解き、その脱炭素戦略がいかにユニークであり、かつ事業戦略と不可分に統合されているかを分析することにある。そして、その分析を通じて、日本が直面する上記三つの課題に対する具体的かつ実効性のある解決策のヒントを提示することである。

今回選出したTOP10企業は、SBTi(Science Based Targets initiative)によるネットゼロ目標の認定、CDP(旧カーボン・ディスクロージャー・プロジェクト)における最高評価「Aリスト」の獲得、あるいはCorporate Knights社「Global 100」といった信頼性の高い外部評価を指標としつつも、それ以上に、日本の課題解決に直結する先進的な「実行モデル」を提示している点で傑出している 9。本稿は、日本の経営者、投資家、政策立案者にとって、GXという未曾有の変革を乗り越えるための「戦略的プレイブック」となることを目指すものである。

TOP10企業のユニークなGX脱炭素戦略サマリー

以下の表は、本稿で詳述する海外企業TOP10のユニークな戦略の核心と、その戦略を読み解く上で特に注目すべきIR・情報開示上のポイントを一覧にしたものである。

順位 企業名 (国/業種) ユニークな戦略の柱 IR/情報開示上の注目点
1 SSAB (スウェーデン/鉄鋼) 化石燃料フリー製鉄への全社的転換

HYBRITプロジェクトへの投資規模、生産ロードマップ、顧客とのパートナーシップ契約 12

2 Holcim (スイス/セメント) CCUS・サーキュラーエコノミー・低炭素製品の三位一体戦略

CCUSプロジェクトの経済性(政府補助金含む)、低炭素製品「ECOPlanet」の売上比率 14

3 A.P. Moller – Maersk (デンマーク/海運) グリーンメタノール燃料への先行投資とサプライチェーン構築

グリーン燃料の調達戦略(長期契約・投資)、SBTi認定の2040年ネットゼロ目標の進捗 16

4 Neste (フィンランド/エネルギー) 廃棄物・残渣由来の再生可能燃料に特化したビジネスモデル

「NEXBTL」技術の優位性、原料調達ポートフォリオ、生産能力拡大計画 18

5 Ørsted (デンマーク/エネルギー) 化石燃料事業からの完全撤退と洋上風力への集中投資

洋上風力プロジェクトの収益性、生物多様性への「ネット・ポジティブ」貢献に関する開示 20

6 Iberdrola (スペイン/エネルギー) 再エネ導入の基盤となる「スマートグリッド」への巨額投資

410億ユーロ投資計画における送電網への配分比率と期待収益率 22

7 Schneider Electric (フランス/電機) 顧客のCO2削減を自社の事業機会とする「インパクト」モデル

顧客によるCO2削減貢献量(Scope 3)、サプライヤー脱炭素化支援プログラムの進捗 24

8 Microsoft (米国/テクノロジー) 「カーボンネガティブ」と炭素除去技術ポートフォリオへの投資

Climate Innovation Fundの投資先、炭素除去契約の量と種類、AIを活用したサステナビリティソリューション 26

9 Apple (米国/テクノロジー) サプライチェーン全体を巻き込む徹底したサーキュラーエコノミー

再生材利用率の目標と実績、「サプライヤークリーンエネルギープログラム」による再エネ導入量 28

10 Mercedes-Benz (ドイツ/自動車) 素材レベルまで遡るバリューチェーン全体の脱炭素化

「Ambition 2039」達成に向けたグリーン鋼材・アルミの調達契約、サプライヤーへの要求事項 30

Part 1: Hard-to-Abate(削減困難)産業の壁を破るパイオニアたち

1. SSAB (スウェーデン/鉄鋼): 「HYBRIT」計画による化石燃料フリー製鉄への挑戦

鉄鋼業の脱炭素化は、GXにおける最も困難な課題の一つである。従来の「高炉法」では、鉄鉱石を還元するためにコークス(石炭)が不可欠であり、その化学反応の過程で大量のCO2が必然的に発生する。この構造的な課題に対し、スウェーデンの鉄鋼メーカーSSABは、漸進的な改善ではなく、製鉄プロセスそのものを根底から覆すという極めて野心的な戦略を打ち出した。

その核心が、HYBRIT (Hydrogen Breakthrough Ironmaking Technology) プロジェクトである 13。これは、鉄鉱石の還元にコークスの代わりにグリーン水素を用いることで、CO2排出を原理的にゼロに近づけ、副産物を水のみにするという画期的な技術である。SSABの戦略がユニークなのは、このハイリスク・ハイリターンな技術革新を、単独ではなく、鉄鉱石サプライヤーのLKAB、電力会社のVattenfallとの強固なパートナーシップによって推進している点にある 13。このエコシステム的アプローチは、鉄鋼業の脱炭素化における典型的な「鶏と卵の問題」—安価なグリーン水素がなければ製鉄会社は投資できず、確実な需要がなければ電力会社は水素を生産しない—を解決するものである。三社が一体となることで、原料、エネルギー、製造というバリューチェーン全体のリスクを分担し、巨大な参入障壁を築いている。

SSABのIR情報や年次報告書は、この変革をコストではなく、将来の市場リーダーシップを確立するための戦略的投資として明確に位置づけている 32。彼らは技術開発と並行して、VolvoやMercedes-Benzといった主要顧客とパートナーシップを締結し、グリーン鋼材の市場を共同で創造し、初期の需要を確保している 12。投資家や市場が注目するマイルストーンは、2026年に化石燃料フリー鋼材の商業生産を開始するという具体的なロードマップである 13。この需要側と供給側を同時に巻き込むエコシステム戦略は、日本の素材産業がコンソーシアムを形成し、産業全体の変革を主導する上で極めて重要な示唆を与える。

2. Holcim (スイス/セメント): CCUSとサーキュラーエコノミーでセメントの常識を変える

セメント産業もまた、鉄鋼と並ぶ削減困難産業である。主原料である石灰石を焼成する際の化学反応(脱炭酸反応)によって、CO2排出が不可避的に生じるためだ。この課題に対し、世界最大級の建材メーカーであるHolcimは、単一の特効薬に頼るのではなく、複数の戦略を組み合わせた現実的なポートフォリオ・アプローチを採っている。

その戦略は、以下の三位一体で構成される。

  1. 低炭素製品の市場拡大: 30%以上のCO2排出量削減を実現した低炭素セメント「ECOPlanet」などのサステナブル製品群を積極的に市場投入し、収益を確保する 14

  2. サーキュラーエコノミーの推進: 建設解体廃棄物をリサイクルし、新たなセメントやコンクリートの原料として再利用する独自技術プラットフォーム「ECOCycle®」を世界規模で展開する 14

  3. CCUS(CO2回収・有効利用・貯留)への戦略的投資: プロセス排出を根本的に解決する切り札として、世界で20件以上のCCUSプロジェクトに戦略的に投資し、実用化を目指す 14

Holcimの戦略のユニークさは、その現実主義にある。CCUSは不可欠な技術だが、現状ではコストが非常に高く、経済的自立は困難である。そこで同社は、まず市場で受け入れられやすい低炭素製品やリサイクル事業で収益を上げ、ブランド価値を高める。2024年にはECOPlanetがセメント売上高の26%を占めるなど、既に事業の柱として成長しており、これが将来のCCUS投資の原資となる 15

同社の気候変動報告書や投資家向け説明会資料では、CCUSプロジェクトの経済性を担保するために、欧州連合(EU)のイノベーション基金からの助成金を活用していることが透明性高く開示されている 33。Holcimは、総額20億スイスフランの設備投資をCCUSにコミットしており、これは業界をリードする規模である 33。現在利用可能なソリューションで利益を上げながら、未来の抜本的解決策への投資を賄うという、この段階的かつ財務的にリスクヘッジされた移行戦略は、長期的な視点と短期的な収益性の両立が求められる日本の重厚長大産業にとって、現実的なモデルとなり得る。

3. A.P. Moller – Maersk (デンマーク/海運): グリーンメタノール船団で航路の脱炭素化を牽引

国際海運は世界の貿易を支える大動脈だが、その動力源である重油からの脱却は極めて困難な課題である。多くの競合がLNG(液化天然ガス)を移行燃料と位置づけたり、「様子見」の姿勢を取ったりする中、デンマークの海運最大手A.P. Moller – Maerskは、業界に先駆けて「グリーンメタノール」を次世代の主流燃料と定め、大胆な先行投資に踏み切った。

Maerskの戦略の独自性は、まだ大規模な供給網が存在しない燃料のために、まず先に船舶を発注するという「需要先行型」のアプローチにある 16。同社は、グリーンメタノールと従来の燃料の両方を使用できるデュアルフューエル船を大量に発注することで、燃料生産者に対して強力な需要シグナルを送り、サプライチェーン全体の構築を促している 34。これは、新しいエネルギー市場の創出を阻む典型的な「調整の失敗」を、自社の市場支配力を行使して解決しようとする試みである。

同社のESG報告書や年次報告書は、海運業界で初めてSBTiの認定を受けた2040年ネットゼロ目標を達成するためのロードマップとして、このメタノール戦略を明確に位置づけている 16。最大の課題である燃料の安定確保に向けて、世界中のグリーンメタノール生産者との戦略的パートナーシップや長期購入契約(オフテイク契約)を次々と締結していることも詳細に開示されている 35。また、「ECO Delivery」といったサービスを通じて、荷主である顧客に「グリーンプレミアム」を負担してもらい、脱炭素化への投資を共有するビジネスモデルも構築している。市場が成熟するのを待つのではなく、自らが市場を創造するというMaerskの能動的な戦略は、新しい技術やエネルギーへの移行を目指すあらゆる業界にとって、重要な示唆に富んでいる。

4. Neste (フィンランド/エネルギー): 廃棄物・残渣を「宝」に変える再生可能燃料の雄

航空業界や大型トラック輸送は、電化が困難なため脱炭素化が最も遅れている分野の一つである。フィンランドのエネルギー企業Nesteは、この課題に対する強力なソリューションを提供することで、従来の石油精製会社から再生可能燃料のグローバルリーダーへと劇的な変貌を遂げた。

Nesteの戦略の核心は、独自開発した「NEXBTL(Next Generation Biomass to Liquid)」技術にある 18。この高度な水素化処理技術により、廃食油、動物性油脂、その他さまざまな産業廃棄物や残渣といった低品質の原料から、高品質な再生可能ディーゼルやSAF(持続可能な航空燃料)を製造することができる 37。これにより、食料と競合するパーム油などを用いる第一世代バイオ燃料が直面した倫理的・持続可能性の問題を回避し、競争優位性を確立した。

同社のビジネスモデルは、技術的優位性と、それを支えるグローバルな原料調達・前処理能力に基づいている。投資家向け資料では、この複雑な「廃棄物を価値に変える」サプライチェーンこそが、他社が容易に模倣できない参入障壁であることが強調されている 19。Nesteが提供する燃料は、既存のディーゼル車やジェット機にそのまま使用できる「ドロップイン燃料」であるため、顧客はインフラへの追加投資なしにCO2排出量を削減できる 38。この顧客にとっての導入の容易さが、急速な需要拡大を支えている。同社は2027年までに再生可能燃料の生産能力を年間680万トンまで拡大する計画を明確にしており、その成長戦略は透明性が高い 18。Nesteの成功は、優れた技術が持続不可能な廃棄物を高価値な製品へと転換し、巨大な新市場を創出できることを証明している。

Part 2: エネルギーシステムとビジネスモデルの変革者たち

5. Ørsted (デンマーク/エネルギー): 化石燃料企業から再生可能エネルギーの巨人への完全転換

Ørstedの歴史は、エネルギー業界における最もラディカルかつ成功した事業転換の物語である。かつてDONG Energy(Danish Oil and Natural Gas)として知られた同社は、石油・ガス事業を完全に売却し、洋上風力発電に特化した純粋な再生可能エネルギー企業へと生まれ変わった 40

この戦略のユニークさは、その変革の「完全性」にある。多くのエネルギー企業が、収益性の高い化石燃料事業を維持しつつ再生可能エネルギーに投資する「両利き」戦略をとる中、Ørstedは過去の事業との決別を選択した。この大胆な決断により、経営資源を洋上風力という一つの分野に集中させることが可能となり、黎明期にあったこの複雑な市場で、他社に先駆けて圧倒的な専門知識と規模の経済を築き上げた。

同社のIR資料は、この変革の道のりと、洋上風力におけるグローバルリーダーとしての地位を明確に伝えている 20。現在、Ørstedの戦略は「カーボンニュートラル」の先を見据えている。2030年以降に稼働する全ての新規プロジェクトにおいて、「ネット・ポジティブな生物多様性インパクト」を達成するという先駆的な目標を掲げたのだ 21。これは、事業活動が自然環境に与える負の影響を相殺するだけでなく、積極的にプラスの効果を生み出すことを目指すものであり、サステナビリティ経営の新たな基準を打ち立てている。年次報告書では、SBTi認定を受けた2040年ネットゼロ目標に加え、この生物多様性目標に向けた具体的なロードマップも開示されており、企業の環境責任に対する包括的なアプローチを示している 21。Ørstedの事例は、中途半端な移行ではなく、明確なビジョンに基づいた大胆な事業ポートフォリオの転換こそが、長期的な企業価値と市場リーダーシップを創造することを示している。

6. Iberdrola (スペイン/エネルギー): 巨額投資で「電化」を加速させるスマートグリッドの覇者

多くの電力会社が再生可能エネルギーの「発電」に注力する中、スペインのエネルギー大手Iberdrolaは、その「送配電」、すなわち電力網(グリッド)の近代化に巨額の投資を振り向けるという、ユニークでバランスの取れた戦略を採っている。彼らは、強靭でインテリジェントな送電網なくしてエネルギー転換は成し得ないことを深く理解している。

同社の2024-2026年戦略計画では、総額410億ユーロという記録的な投資が計画されているが、そのうち純投資額の60%以上に相当する215億ユーロが、米国、英国、ブラジル、スペインにおける送電網の拡張と強化に充てられる 22。これは、再生可能エネルギーへの投資額155億ユーロを大きく上回る 22。この戦略の根底には、太陽光や風力といった変動性の高い電源を安定的に系統に統合し、EV(電気自動車)やヒートポンプといった新たな電力需要に対応するためには、送電網こそが最も重要なインフラであるという認識がある。

Iberdrolaの投資家向け広報活動は、送電網事業が規制に守られた安定的な収益基盤であることを強調している。投資対象の85%が安定した規制枠組みを持つ国々に向けられており、これは変動の激しい発電事業のリスクを補完する、低リスクで予見可能性の高い投資であることを示している 23。同社はSBTi認定の野心的な排出削減目標(2030年までにスコープ1・2でカーボンニュートラル、2040年までに全スコープでネットゼロ)を掲げているが、その達成の鍵が送電網にあることを明確に示している 45。再生可能エネルギーの導入拡大が送電網の制約によって滞る日本の状況にとって、Iberdrolaの「インフラ・ファースト」のアプローチは、GX投資の優先順位を再考させる強力なメッセージとなる。

7. Schneider Electric (フランス/電機): 顧客のCO2削減を自社の成長エンジンとする「インパクトカンパニー」

フランスの電機大手Schneider Electricは、サステナビリティと事業戦略を最も理想的な形で融合させた企業の一つである。同社の核心は、エネルギーマネジメントと産業オートメーションのデジタル化ソリューションを提供することにあり、その事業自体が顧客のエネルギー効率を改善し、CO2排出量を削減することに直結している。

この戦略の独自性は、顧客の脱炭素化への貢献を自社の成長エンジンと完全に一体化させた「インパクト・ビジネスモデル」にある。同社は、自社の製品やサービスが顧客にもたらした「削減・回避できたCO2排出量」を重要な経営指標(KPI)として追跡・開示している。2025年第2四半期時点で、2018年からの累計削減貢献量は7億3400万トンに達した 25。これは、自社の膨大なスコープ3排出量(販売した製品の使用に伴う排出)を、マイナスではなくプラスのインパクトとして捉え直すという、画期的な発想の転換である。

同社のサステナビリティ報告は投資家向け広報の中核を成しており、「Schneider Sustainability Impact (SSI)」という独自のプログラムを通じて、環境、社会、ガバナンス(ESG)に関する広範な目標の進捗を四半期ごとに公表し、役員報酬とも連動させている 25。さらに、自社のサプライチェーンに対しても、「Zero Carbon Project」を通じて上位1,000社のサプライヤーの脱炭素化を積極的に支援し、自社のスコープ3上流排出量の削減にも取り組んでいる 46。Corporate Knights社の「世界で最も持続可能な100社」ランキングで繰り返し第1位に選出されていることは、この戦略が外部からも高く評価されている証左である 11。Schneider Electricのモデルは、日本企業に対し、自社の技術や製品が社会のGXにどう貢献できるかを定義し、それを事業成長の物語として市場に訴求することの重要性を示している。

Part 3: バリューチェーン全体を巻き込むテクノロジー・リーダーたち

8. Microsoft (米国/テクノロジー): 「カーボンネガティブ」とAIでGXを加速するプラットフォーマー

MicrosoftのGX戦略は、二つの側面で際立っている。第一に、その目標の野心性である。同社は2030年までに「カーボンネガティブ」(排出量よりも多くのCO2を除去する)を達成し、さらに2050年までには創業以来の歴史的な排出量を全て除去するという、前例のない公約を掲げた 26。これは、企業の気候変動に対する責任を、将来の排出削減だけでなく、過去の排出に対する「修復」にまで広げるという、企業倫理の新たな地平を切り拓くものである。

第二に、自社のコアコンピタンスであるテクノロジーを、気候変動対策の強力なツールとして活用している点である。同社は、自社の排出量が増加するAIやデータセンターの需要拡大という課題に直面していることを認めつつも、AIがもたらす「ハンドプリント」(社会へのポジティブな貢献)は、その「フットプリント」(負の環境影響)を上回ると主張している 49。これを具現化するのが、「Microsoft Cloud for Sustainability」のようなプラットフォームであり、世界中の顧客企業が自社の排出量を計測・管理・削減するためのデジタルインフラを提供している 27

同社の年次環境サステナビリティ報告書は、その進捗を極めて透明性高く開示している。カーボンネガティブ達成のため、自社の排出削減努力に加え、10億ドル規模の「Climate Innovation Fund」を通じて炭素除去技術に投資し、DAC(直接空気回収)やバイオ炭など多様な技術ポートフォリオから、長期的な炭素除去クレジットを購入している 27。Microsoftの戦略は、自らが「責任ある事業者」であると同時に、社会全体のGXを加速させる「不可欠なイネーブラー(実現者)」となるという二重の役割を追求するものであり、テクノロジー企業が果たすべき役割の未来像を示している。

9. Apple (米国/テクノロジー): サーキュラーエコノミーを徹底追求するサプライチェーン改革

Appleの脱炭素戦略は、製品のライフサイクル全体、特に「マテリアル(素材)」と「サーキュラーエコノミー(循環経済)」への徹底的なこだわりに特徴づけられる。同社の究極の目標は、いつの日か地球から新たな資源を採掘することなく、100%リサイクル素材と再生可能素材だけで製品を製造することである 29

このビジョンは、単なる理念にとどまらない。同社の環境プログレスレポートは、その達成に向けた具体的な進捗を驚くほど詳細に報告している。2024年には、製品に使用された素材の24%がリサイクルまたは再生可能由来であり、コバルトやレアアースといった重要鉱物においても、リサイクル材の使用率が99%に達するなど、着実な成果を上げている 28。この戦略を支えるのは、製品解体ロボット「Daisy」に代表される革新的なリサイクル技術の開発と、サプライチェーン全体を巻き込む強力なガバナンスである 29

特に注目すべきは「サプライヤークリーンエネルギープログラム」である。Appleは、自社の巨大な購買力を背景に、世界中のサプライヤーに対して、Apple製品の製造に使用する電力を100%再生可能エネルギーで賄うよう強く働きかけている。このプログラムにより、2024年にはサプライチェーンで約18GWのクリーンエネルギーが導入され、約2200万トンのCO2排出が回避された 29。Appleの戦略は、自社の事業所をグリーン化するだけでは不十分であり、製品のカーボンフットプリントの大半を占めるサプライチェーン(スコープ3)を、自社の環境フットプリントの一部として統合的に管理・変革するという強い意志を示している。これは、バリューチェーン全体での脱炭素化を目指す日本企業にとって、極めて重要なモデルケースとなる。

10. Mercedes-Benz (ドイツ/自動車): 「Ambition 2039」で目指す、ラグジュアリーとサステナビリティの両立

自動車産業の電動化シフトが加速する中、ドイツの高級車メーカーMercedes-Benzは、「Ambition 2039」という包括的な戦略を掲げ、2039年までに新車フリートのバリューチェーン全体でカーボンニュートラルを達成することを目指している 30

同社の戦略がユニークなのは、単にEVを生産するだけでなく、その部品を構成する素材のレベルまで遡って脱炭素化を追求している点にある。ラグジュアリーブランドにとって、サステナビリティはもはや付け足しの要素ではなく、ブランド価値そのものを構成する中核的な属性であるという認識が根底にある。そのため、同社は鉄鋼やアルミニウムといったCO2排出量の多い基礎素材のサプライヤーと直接、かつ深く関与している。

サステナビリティ報告書には、SSABやH2 Green Steelといった先進的な鉄鋼メーカーからCO2削減鋼材やほぼCO2フリーの「グリーン鋼材」を調達するための具体的なパートナーシップ契約や、ノルウェーのHydro社と低炭素アルミニウムのサプライチェーンを構築するための技術ロードマップが詳述されている 31。さらに、新規のサプライヤー契約においては、2039年までにCO2ニュートラルな製品を供給することを約束する「Ambition Letter」への署名を必須条件としており、自社の目標をサプライチェーン全体に浸透させる強力な仕組みを構築している 31。この「サステナビリティの出自(Provenance)」を確立しようとするアプローチは、製品の環境性能に対する消費者の要求がますます高まる中で、ブランドの信頼性と競争力を維持するための先進的な戦略と言える。

日本の課題解決に繋がる海外GX戦略からの7つの教訓

本稿で分析した海外企業10社のユニークなGX戦略は、それぞれが異なる産業的背景と課題認識に基づいているが、そこから日本のGX推進における課題解決に繋がる、共通の普遍的な教訓を導き出すことができる。

  1. エコシステム主導の変革(SSAB, Maersk): 鉄鋼や海運といった削減困難産業では、一企業の努力だけでは限界がある。SSABが製鉄・エネルギー・鉱石の三位一体で変革を主導したように、日本もグリーン水素の生産者、鉄鋼メーカー、最終需要家(自動車メーカーなど)を巻き込んだバリューチェーン全体でのコンソーシアムを形成し、リスクを分散しながら変革を主導する仕組みが不可欠である。

  2. インフラ・ファースト(Iberdrola): 再生可能エネルギーの導入拡大は、送電網の増強・近代化という土台なくしては成り立たない。Iberdrolaが投資の大部分を送電網に振り向けたように、日本のGX投資も、発電設備の建設だけでなく、系統制約を解消するための送電網インフラへの投資を最優先事項として位置づけるべきである。

  3. 「インパクト」ビジネスモデル(Schneider Electric, Microsoft): GXの最大の事業機会は、社会課題の解決を自社のビジネスモデルに組み込むことにある。Schneider Electricのように、顧客の脱炭素化を支援する製品・サービスを開発し、その貢献度(インパクト)を自社の成長指標とすることで、スコープ3という難題を収益源へと転換できる。日本の製造業やIT企業は、この「インパクト創出」を事業戦略の核に据えるべきである。

  4. 現実的で段階的な移行(Holcim): 完璧な最終技術(例:CCUS)の実現を待つのではなく、現在利用可能な技術(例:低炭素セメント)で市場を創造し、収益を上げながら、その利益を次世代技術の研究開発に再投資する。Holcimのこの現実的なアプローチは、長期的なビジョンと短期的な事業継続性を両立させる上で有効なモデルである。

  5. 市場を創造する購買力(Maersk, Apple, Mercedes-Benz): グリーンな製品や燃料の市場が立ち上がるのを待つのではなく、業界のリーダー企業がその巨大な購買力を駆使して、大胆な先行発注やサプライヤーへの厳格な要求を通じて、新たなサプライチェーンを意図的に創り出す。この「需要創出型」のアプローチは、市場の膠着状態を打破する強力な触媒となる。

  6. カーボン・ニュートラルの先へ(Ørsted): 真のサステナビリティ・リーダーシップは、CO2排出量削減だけでなく、生物多様性やサーキュラーエコノミーといった、より広範な環境・社会課題へと向かっている。Ørstedが「ネット・ポジティブ」を掲げたように、日本企業もカーボン・ニュートラルの達成の先にある、より包括的な価値創造を目指すことで、グローバル市場での差別化を図ることができる。

  7. 徹底した透明性と信頼性(全社共通): 本稿で取り上げた全ての企業は、SBTiやCDPといった第三者機関による検証を受けた目標を掲げ、その進捗を詳細なデータと共に透明性高く開示している。これが投資家や顧客からの信頼を獲得し、サステナビリティを単なるPRから具体的な企業価値へと昇華させるための必須条件である。

FAQ: GXと脱炭素戦略に関するよくある質問

Q1: GXと従来のCSRや環境経営との違いは何ですか?

A1: 従来のCSR(企業の社会的責任)は、しばしば本業とは別の社会貢献活動として位置づけられ、環境経営は既存事業のマイナス影響を低減する「効率化」に主眼が置かれていました。一方、経済産業省が提唱するGXは、脱炭素化を経済成長と競争力強化の主要な駆動力と捉え、事業戦略や産業構造そのものを根本から変革する取り組みです 2。単に環境負荷を減らすだけでなく、新たな市場や付加価値を創造する、よりダイナミックで戦略的な概念です。

Q2: 中小企業でもGXに取り組むことは可能ですか?

A2: 可能です。大規模な技術投資は困難かもしれませんが、省エネルギー設備の導入はコスト削減に直結し、最初の一歩として有効です 12。また、中小企業は大手企業の重要なサプライチェーンの一部です。AppleやSchneider Electricの事例が示すように、サプライチェーン全体での脱炭素化が進む中で、今後は取引先から排出量の算定や削減努力を求められる機会が増加します 29。日本のGX政策にも中小企業向けの補助金などの支援策が含まれています 3

Q3: 「SBTi」や「CDP Aリスト」に認定されることの経営上のメリットは何ですか?

A3: これらは単なる栄誉ではなく、企業の気候変動に対する取り組みの信頼性と管理能力を客観的に示す重要な指標です。SBTi認定やCDP Aリスト入りは、投資家からの信頼を高め 53、規制強化への備えとなり、ブランドの評判を向上させます。CDPは、Aリスト企業が市場平均を上回る株価パフォーマンスを示したというデータも公表しています 54。Maerskのように、業界で初めてSBTi認定の野心的な目標を掲げることが、競争上の明確な差別化要因にもなります 16

Q4: CCUSやグリーン水素は、本当に実用化・普及するのでしょうか?

A4: 技術的な課題以上に、経済性が最大のハードルです。技術自体は存在しますが、現状ではコストが非常に高いのが実情です。しかし、Holcim(CCUS)やSSAB(水素)の戦略は、その解決への道筋を示しています。政府による支援の活用 33、コストを分担するための戦略的パートナーシップの構築 13、そして初期需要を創出するための顧客との連携が、時間とともにコストカーブを引き下げていく鍵となります。IEAやIPCCのシナリオにおいても、これらの技術は特に重工業分野でネットゼロを達成するために不可欠とされています 55

Q5: 日本の送電網の問題を解決するために、これらの企業から学べることはありますか?

A5: Iberdrolaの戦略が直接的な答えとなります。同社の事例は、送電網への投資が、エネルギー転換全体を支えるための国家および企業の最優先戦略課題として扱われるべきであることを示しています。215億ユーロという巨額の資本を計画的に投下し 22、投資家に対して予見可能性を与える安定した長期的な規制の枠組みを整備することが不可欠です。教訓は、送電網を単なる事後的なインフラとしてではなく、エネルギー転換全体を可能にするための「戦略的イネーブラー」として捉え直すことにあります。

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著者情報

国際航業株式会社カーボンニュートラル推進部デジタルエネルギーG

樋口 悟(著者情報はこちら

国際航業 カーボンニュートラル推進部デジタルエネルギーG。環境省、トヨタ自働車、東京ガス、パナソニック、オムロン、シャープ、伊藤忠商事、東急不動産、ソフトバンク、村田製作所など大手企業や全国中小工務店、販売施工店など国内700社以上・シェアNo.1のエネルギー診断B2B SaaS・APIサービス「エネがえる」(太陽光・蓄電池・オール電化・EV・V2Hの経済効果シミュレータ)のBizDev管掌。再エネ設備導入効果シミュレーション及び再エネ関連事業の事業戦略・マーケティング・セールス・生成AIに関するエキスパート。AI蓄電池充放電最適制御システムなどデジタル×エネルギー領域の事業開発が主要領域。東京都(日経新聞社)の太陽光普及関連イベント登壇などセミナー・イベント登壇も多数。太陽光・蓄電池・EV/V2H経済効果シミュレーションのエキスパート。Xアカウント:@satoruhiguchi。お仕事・新規事業・提携・取材・登壇のご相談はお気軽に(070-3669-8761 / satoru_higuchi@kk-grp.jp)

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